「死生観を考える」勉強会(第1回) | 武狼太のブログ

武狼太のブログ

大学の通信教育過程で心理学を学んでおり、教科書やスクーリングから学んだことをメインに更新しています。忙しくて書けなかった、過去の科目についても遡って更新中です。

(はじめに)
「死生観」について、関連文献を元に私が作成した資料を用いて、所属するグループ内で勉強会を全9回開催しました。
自己内省を深めることを目的に設けた対話テーマなど、私が話した内容に加えて、関連情報を追記した会記録を記載していきます。

――――――――――――――――――――――
●勉強会各回と資料内容●

第1回:【1】死生学について
           【2】なぜ死生学を学ぶのか
第2回:【3】死生観調査
第3回:【4】伝統文化と死生観 
第4回:【5】近代日本の死生観の流行 
第5回:【6】小中学生アンケート 「生と死について」
           【7】死ぬ瞬間
第7回:【8】生きる意味
              【9】死後の生
↑各回の数字を押すと対象ページに移動します

――――――――――――――――――――――
■「死生観を考える」第1回
■日時: 2022/6/5(日) 20:00~22:30
■場所:オンライン
■参加者:4名
■内容:
 【1】死生学について
 【2】なぜ死生学を学ぶのか
■資料:死生観を考える.pdf
     *資料のダウンロードはコチラ




 【1】死生学について 

▼概要 
・1960年代、欧米のホスピス運動を契機に「死生学」の研究が始まった
・広範囲:ホスピス、グリーフワーク、葬式、倫理、哲学、宗教、文学、芸術など
 ⇒問題や課題も多数
・1970年代、日本には「死生学」と翻訳され紹介される
 ⇒日本死の臨床研究会、生と死を考える会、日本臨床死生学会などが発足
・キリスト教の影響が強いホスピス運動
 ⇒日本の仏教界にもホスピスと同じような「ビハーラ」運動が起こる

▼「死生学」という語 
・英語では、Thanatology、DeathStudies と表記され、直訳では「死学」となる
・日本では「死生学」、中国・台湾・韓国では「生死学」という語が使われている
・「死生学」と表記された理由は、「死生観」という語がよく用いられたからだろう
●なぜ「生死観」でなく「死生観」なのか
・「生死観」(しょうじかん・せいしかん)という語もかつては使われていた
・「生死」(しょうじ)は仏教用語で、仏教の根本概念の一つ
・「死生」(しせい)は儒教で用いられてきた言葉で、『論語』に記載がある
・アジア太平洋戦争前、加藤咄堂著『死生観』が大反響を呼んだ
・戦時中~末期には、兵士の死の覚悟が仏教色の強い「生死観」として語られた

▼死生学がやるべきこと 
・死がもつ輝き、引き込まれそうな深淵につりあう、生の輝き、生の重みを示すこと

――――――――――――――――――――――

 BreakTime 

①「死」について初めて考えたのはいつ頃ですか、どのようなことを考えましたか
②あなたは「死」という言葉から、どのようなことを連想しますか
・・・

  私自身は小学校低学年の頃、親族に囲まれ真っ白な布団に横たわった老人が大往生する、そのシーンをテレビで観たことが、死について初めて考えるキッカケとなりました。そのシーンを思い出しては考えたりしていましたが、「死を口にすることは不吉なこと」という空気を周りの大人たちから感じていたため、それを誰かに話すことはありませんでした。当時は、死んだ人は目を瞑っていることから、死ぬと暗闇の世界に放り込まれるのではないかと恐怖を感じていました。順番的には自分よりも先に親が死ぬだろう、そう考えたときにはより恐怖を強く感じました。悲しみが大き過ぎて自分自身がどうにかなってしまうような、そういう不安を強く感じたように思います。



 【2】なぜ死生学を学ぶのか 

▼『人生は廻る輪のように』(キューブラー・ロス著) 
(抜粋:患者達が与えてくれた教訓)
  • 「生きなさい。ふり返っていのちを無駄にしたと後悔しないように。
  •  生きなさい。してきたことを悔やみ、別の生き方を望むことのないように。
  •  正直で、じゅうぶんな人生を生きなさい。」
・・・
私にとっての「死生観を考える」意義と重なっていたため、この章の冒頭に記載しました

▼自分自身の死 
・集団としてではなく、「私」個人として見つめなければならない
 ⇒見つめることで、事物の様相が変わって見えてくる
 ⇒遅かれ早かれ、いずれは対決させられる
・人生五十年の時代、死が身近にあり、生きることに覚悟が必要だった
・人生八十年の時代、死の日常性が薄らぎ、「覚悟のない時代」の様相を見せていく
 ⇒死を意識しない社会、死を排除する社会となった
 ⇒「死」の意識を取り入れようと「死生学」が興隆する

▼命がけの対話 
・旅客飛行機墜落事故:機内で父親が書いた家族への遺書
 (息子)父とは心通わせることがなく、父は勝手な人間だと思っていた。自分のことを父がこんなふうに思っていたなんて全く知らなかった
・戦時中:前線の兵士たちが家族へ書いた遺書
 辺見じゅん著『昭和の遺書 ―南の戦地から―』
 死との対峙の中で親子関係を、自分の生きる意味を考えた
・現代人:親子関係や生きる意味について対話できるのは、死と直面した時だけ

▼凄惨な戦争体験 
・医学は、人命を第一に、長生きさせようと努めてきた
 ⇒死を遠ざけるように発達
 ⇒やがて、人々が「生」を粗末にするようになった
 ⇒親子や夫婦の対話にも、命がかかっていることを忘れてしまった

▼死の経験から学ぶこと 
・生者は多くの死者を見送る
・生きることとは…
 ⇒死者とともにあること
 ⇒死者の経験が刻印された、様々な物事を受け止め続けること
 ⇒多くの生き物の死の上に成り立つこと

――――――――――――――――――――――

 BreakTime

③あなたは自分自身の「死」を意識したことはありますか
④「死生学」を学ぶ意義について、あなたはどのように考えますか
⑤「命がかかっている対話」とは、どのようなものだと思いますか
・・・

(③④について)
 私自身は、誤診の影響で高血糖性昏睡となったとき、その入院生活の中で初めて自分自身の死を意識しました。自分もいつか死ぬと頭では分かっていましたが、当時13歳の私は「死」は遠い未来のことと認識していました。なので、原因も分からぬまま、突然に死んでいたかもしれないと考えたとき、強い恐怖感に襲われました。手に入れたものも経験し学んだことも、全て失われて無に帰してしまうのだと。それでは「生きる意味」とは何なのかと考えるようになりました。
 そのうちに、ただ生きてただ死んでいく、それが生物の決まり事だから仕方がない、と考えるようになりました。そもそも「生きる意味」なんてものはなく、私の腕に止まった蚊が叩かれて死ぬ、そのように自分もある日突然バーンと死んでいくのだと考えました。今思えば、死への恐怖をそうして半ば強引に打ち消したようにも思えます。私にとっての「死生学」を学ぶ意義の1つは、もう一度、死への恐怖を思い起こし、改めて死生について考えを深めてみることです。

(⑤について)
 「命がかかっている対話」は、私には経験がなかったのですが、数年前に一度、私が介護援助をしていた祖母との間であったことを思い出しました。対話というよりも、魂からの叫びとでも言うような激しさでしたが、ほぼ無意識に言葉が出たので私の記憶も定かではありません。ままならない現状に自暴自棄になりかけた祖母を、正気に引き戻しつつ鼓舞しようと瞬間的に感情を込めたのですが、まさに死に直面した時期だからこそ生じたのかもしれません。死を忌避する雰囲気を私の家族親族にも感じますし、私自身も忌避しているからこそそう感じるのかもしれませんが、それは戦争を体験した祖父母たちの影響が強いのではないかと考えるようになりました。そのため、「命がかかっている対話」を家族と今行おうとしても、そこには高い壁があるように感じています。