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キューブラー・ロス著『死ぬ瞬間』
【13】末期患者の精神療法
■1■心のドアを開けるインタビュー
■2■短期療法と集団療法の可能性
■3■言葉を超えた沈黙
【14】訳者のあとがきより(川口正吉)
■参考文献■
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【13】末期患者の精神療法
■1■心のドアを開けるインタビュー
▼極めて特別なニーズを持つ末期患者
・じっくりと座り、耳を傾け、私たちがニーズを見つける
⇒患者らを満足させられることが、明らかとなった
★私たちから末期患者に近づき、彼らの悩みを喜んで分け持つ用意がある
⇒そう知らせることが最も重要であった
◎死にゆく患者への協力
・ある程度の成熟を要する
⇒その成熟は経験からしか得られない
・末期患者のそばに、静かに不安感なしに座る
★まず「死と死ぬこと」に対する、私たち自身の態度を内省する必要がある
◎患者自らが心のドアを開けるのは・・・
・恐怖や不安を持たずに、コミュニケートできる人間と会うとき
*この役目を果たそうとする者
⇒ガンや死について語られても、決して逃げ出さないこと
⇒それを自身の言葉と行動によって患者に示す必要がある
⇒患者はそれをキッカケに、心のドアを開くだろう
・今すぐ話す気持ちになれなくても、その申し出を感謝するだろう
⇒その時が来れば、連絡を受けるだろう
◎心のドアを開けるインタビュー
・患者は皆、何か未完成の仕事があると、それが気になって生にしがみついた
・“告白”のあと、披保護者の世話について決まると
⇒患者たちは皆、心を軽くした
・通常、未完成の仕事が他者の手に引き継がれると、患者は間もなく亡くなった
【事例】
*怖くて死ねないという患者
・稀なケース:非現実的な恐怖が死を妨げていた
・「生きたまま蛆虫に食われる」などと考えると恐ろしい
・病的なまでに蛆虫を恐れ、同時にそのバカらしさを十分に理解していた
⇒貯金をはたいて入院させている家族に、その恐怖を打ち明けられなかった
・一度のインタビューのあと、患者は私たちにそれを打ち明けた
・患者の娘が火葬の予約をした
⇒そうした恐怖を吐き出したすぐ後に、患者は亡くなった
★たった一度のインタビューが、どれほど大きな悩みを患者から取り去れるか
⇒私は常に驚かされる
・それは、ただ率直な問いかけをするだけ
・なぜ、スタッフや家族が、患者のニーズを引き出せないでいるのか
⇒私は理解に苦しむことがある
■2■短期療法と集団療法の可能性
◎解決を要する問題が、単純かつ単一でない患者
・非公式な短期療法が有効である
・必ずしも、精神科医の協力を必要としない
・患者のそばに座り、時間をかけて耳を傾けられる、人間味のある親切な人がいればよい
【事例】
*シスター・I
・私たち以外にも、頻繁に訪問を受けて、患者仲間からも短期療法を与えられた
・彼女に、自然と短期療法を施した患者たち
⇒幸運にも、時間をかけて自らの内的抗争の幾分かを解決することができ、
より深い理解に達することが出来た
⇒自分自身にも、まだ享楽することのできる事物があることに気づいた
▼非公式な精神療法
・短時間の精神療法面接と同じく、時間も回数も不定
(条件)
①患者の身体的状態
②与えられた時間のうちにどれだけ話せるか
③話す気持ちがあるか否か
・患者が話したくない時
⇒私たちの方から訪ね、わずか数分間ただ座っているだけの訪問もある
・患者の痛みが激しい時
⇒むしろ頻繁に訪問を続け、言葉はかけず、黙って一緒にいるだけの形をとる
▼選ばれた少人数の末期患者による集団療法
・私はしばしば、とても良い効果が見込めると思う
・患者らは、同じような孤独と隔離の環境にいる
・1人の重病患者からもう1人の重病患者にかけられた人情味に溢れる言葉
⇒他の患者たちの間にも、無数の反響と反作用を波打たせていく
・セミナーの経験が、瀕死の患者から患者へと、多く伝えられていく
⇒患者から患者へ照会されたりもする
・「同友会」の発生
⇒インタビューを受けた患者同士が、病院のロビー等で集まる非公式な集会
【事例】
*ある小グループ
・慢性重病者、また将来数回の再入院を要する病人たち
・かなり長い間、互いに知り合いになっている
・同病相憐れむだけでなく、過去の入院に関して共通の記憶を持つ
★仲間の1人が死ぬと、残った人たちが嬉しそうな反応を示した
⇒私たちは非常な感動を覚えた
★「汝には起こるかもしれないが、我には起こらない」
⇒無意識の信念を示すものに外ならない
・患者同士の集まりは、患者任せにしていた
⇒公式的な会合として参加を募るには、どういう動機づけが必要かを調べている
⇒小グループからの求めに応じて
■3■言葉を超えた沈黙
▼患者の「生」の中で苦痛がなくなるとき
・心は夢のない状態へ入り、食物欲求は最少となる
・周囲環境の知覚はほとんど消えかかり、暗黒となる
⇒家族や親戚は、待つことの苦痛に心乱れ、廊下を行き来したりする
①患者のそばを去り、生きている人々のグループへ戻るか
②死の瞬間を待って患者のそばに留まるべきか
・家族が、助けを求めて声を限りに泣く時
⇒言葉ではもう遅すぎる
⇒医学が干渉するには遅すぎる (←善意であっても残酷すぎる)
・だが、死にゆく人から離れ去るには早すぎる時間
⇒近親にとって、たとえようもなく辛い時間
⇒逃げ出したい、あるいは乗り越えたいと望む
⇒愛する人を永遠に失う過程の中で、何かに必死に取りすがろうとする
★患者にとって、まさに沈黙の精神療法が行われるべき時間
⇒すぐそばに近親がいることが必要である
・医師、看護師、ソーシャルワーカー、牧師
⇒この最後の時間では非常な助けとなる
⇒この時の家族の内的抗争を思いやることができる
⇒死にゆく患者と最後まで快く一緒にいられる近親者を選んでくれるだろう
⇒選ばれた1人が、事実上、患者の精神療法者となる
▼死にゆく人のそばにいることに耐えきれない人
・自分達の罪責感を軽減してくれる人、患者と一緒に死が起こるまでいてくれる人
⇒安心感を与えられ、助けられるだろう
・患者は独りでは死ななかった
⇒最期の瞬間を避けたことを、恥ずかしいとも罪深いとも感じることなく家へ帰れるだろう
▼言葉を超えた沈黙のうちに、死にゆく患者と一緒に座る力と愛を持った人
・最後の時間は、恐ろしくも痛ましくもない
⇒ただ肉体の機能が平和のうちに終わる瞬間であることを知るだろう
・人間の平和な死を見るとき、我々は消えゆく星を想う
⇒広大な空にまかれた何百万もの小さな光の一つ
⇒一瞬きらめいて永遠に無限の中へ消え去っていく
・死にゆく患者の精神療法者となること
⇒我々に、この広大な人間の海にいる個々人の唯一性を覚知させる
⇒人間の有限性、限られた寿命をひしひしと感じさせる
・七十年を越えて生きる人はごく少ない(アメリカ1960年代以前)
⇒短いその時間の中で、多くはユニークな個人伝記を創造する
⇒それを生き、我々自身を人類史のタベストリの中へ織り込んでゆく
【14】訳者のあとがきより(川口正吉)
◎知覚のある動物は死の脅威を持つ
・危険が迫るとき、動物は本能的に恐怖を感じ、そこから逃げようとする
・知性のある人間は長期にわたって死を恐れる
・避けられない死を恐れることは、矛盾であり不合理である
⇒知りながら、人間は極度に死を恐れ、死から顔を背けようとする
・死の恐怖を克服
⇒「宗教」と「哲学」を生み出し、「死生観」を考え出した
・「死とは何か分かれば、まだしも受容できる」との儚い試みに過ぎないだろう
◎死というものは、考えれば考えるほど分からない
・100人の哲学者に100の哲学があるように、宗教に無数の宗派があるように、
死は個人の自覚の問題であり、主観であり、千差万別の考え方があり得る
・死生観には、次の2つがある
①人生書に書かれているようなそれ
⇒まだ死から遠い、いわば元気に生きている人の懐疑であり、憶測である場合が多い
②死に直面した人の吐露した心境
⇒致死的状況に置かれた人々のみる死の見方
⇒いわゆる死生観とはニュアンスを異にした深刻な即事性がある
◎デカセクシス:死に臨んだときの静かな境地
・・・自分自身を(その精神エネルギーの全てを)周囲世界との関わりから引き離す
・日本語で言えば、「解脱涅槃」の境地であろうか
・患者はウトウトとまどろむ必要がある、頻繁に短く間隔をおいて眠らなければならない
・新生児にも似た、だが逆方向の、原初的ナルシシズムに対する終焉的ナルシシズムの時期
※ナルシシズム ・・・自己を愛したり、自己を性的な対象とみなす状態。うぬぼれ、自己陶酔。
※終焉的ナルシシズム=デカセクシス
★この時期は、短くて数時間、通常は数日、長ければ数週間ほど
⇒その後に臨終が来る
◎臨終
・・・薄暗いベッドルームに、宇宙の風がゴウゴウと吹く壮厳なドラマである
・限りなく複雑な精神と肉体、物質と魂との塊である小さな生命
⇒時間と空間とを造物者に返し、宇宙の霊(スピリット)と融合して永遠性を獲得する
聖なる瞬間
◎死の受容の心境
・奥深い森の中に透明な水をたたえて静かに光っている湖のような
⇒そこへ達するには、いくつかの山や谷を越えなければならない
⇒誰でも死の受容へ達するのだが、越えていく心理的な山や谷の峻しさは、
個人の性格やバッググラウンドによって難易の差が出てくる
⇒平常の修養と死生観がものをいう
★「死の受容」は、周囲の人々の協力によって、生と死を成就する社会的存在
と著者は言う。これほど明確に実証された試みはないだろう。
⇒“愛”と“協力”、それはコミュニケーションである
・死にゆく人はひたすらに孤独である
⇒医師の回診を、看護師の訪問を、検査を、ただうつろに、無気力に待つだけ
⇒昼間も夜間も、彼らにとっては泥濘のような単調さがあるばかり
⇒その灰色の中へ、ふと訪問者が現れて、その心をかすかに乱してくれる
・コミュニケーションに飢えきった、そうした患者とコミュニケートする
⇒まず我々が、自らの死の恐怖を去らなければならない
⇒そのような人がそばに座っているだけで、患者は無限の安らぎを覚える
⇒平和と威厳のうちに死ぬことができる
★自身の死の恐怖の克服、確固とした死生観の把持
⇒単純に自分自身のためではなく、むしろ死にゆく肉親や隣人のため
⇒翻って、自らの充電された生のためであると知る
■参考文献■
『死ぬ瞬間 死にゆく人々との対話』 エリザベス・キューブラー=ロス著
(目次)
第一章 死の恐怖について
第二章 死と死ぬことについて
第三章 第一段階、否認と隔離
第四章 第二段階、怒り
第五章 第三段階、取り引き
第六章 第四段階、抑鬱
第七章 第五段階、受容
第八章 希望
第九章 患者の家族
第十章 さらに末期患者とのインタビューのいくつか
第十一章 死と死ぬことに関するセミナーへの反応
第十二章 末期患者の精神療法