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キューブラー・ロス著『死ぬ瞬間』
【12】患者の家族
■2■家庭の中の変化、家族への影響
■3■コミュニケーションの諸問題
■4■死の後の家族
■5■悲しみと怒りの解消へ
【12】患者の家族
■2■家庭の中の変化、家族への影響
◎家族をも含めて支援しなければ、末期患者を真に意義深い方法で助けられない
・家族は、患者本人の病気中、重大な役割を担う
・病気に対する家族の反応 →患者自身の反応へ大きく影響する
▼夫の重病と入院
◎妻
・安定の喪失、夫への依存の終焉、を感じて慄くかもしれない
・夫の細々とした用事までを、引き受けなければならないかもしれない
・自分の日課を、新しく全く不慣れなものへと適応させる必要が出てくる
・これまで避けていたビジネス、経済問題へと巻き込まれるかもしれない
・留守中、ベビーシッターが必要かもしれない
・家の中では、微妙な、あるいは劇的な変化が起こる
⇒家庭内の雰囲気は変わり、子ども達はこれに反応する
⇒母親の負担と責任が増加する
・突然、自分が片親であるという事実に直面させられる
★入院中の夫への憂慮と心配、増大する仕事量と責任、そこへ孤独感が増していく
⇒しばしば怒りが付け加わる
・親戚や友人からの援助を期待しても、すぐにはないかもしれない
⇒あったとしても、迷惑な受け入れ難いものかもしれない
・近所の人々の助言は、妻の負担を増やすだけで、受け入れ難いものが多いだろう
・理解ある隣人は、最近の様子など聞きに来ず、仕事の負担を軽くしにやってくる
⇒時々、食事の用意をしてあげるとか、子どもを遊ばせてあげるとか
▼妻の重病と入院
◎夫
・喪失感は、妻のそれよりも、ずっと大きいかもしれない
・夫は妻ほど柔軟性が低く、役目の逆転への順応が困難になりやすい
・少なくとも、子ども、学校、放課後活動、食事、衣服のことなどに慣れていない
・妻の病臥などのために働けなくなると、すぐに喪失感に見舞われる
・家庭内で、サービスされる立場からサービスする立場に変わる
⇒1日いっぱい働き、家で休息できず、寝椅子に臥してテレビを見る妻を眺めたとき
⇒情況を十分に理解していても、意識的、あるいは無意識的に憤りを覚える
【事例】
*ある男性
「俺がこの新しい仕事に乗り出したばかりだというのに、なぜ女房のやつ病気に
ならなければならないんでしょうね?」
・子どもが母親の家出に反応するように、妻の病臥に反応する
★我々に“子どもっぽさ”がどれほど残っているか、しばしば忘れがちとなる
★患者家族にも息抜きが必要である
・夫に感情のはけ口を与えてあげると、非常な助けになる
⇒1週間に1晩でも、お手伝いを見つけてあげる
⇒罪の意識なく娯楽を楽しみ、憤懣の解放を行うことが可能に
⇒それは重病人のいる家の中では困難なことである
・病妻のそばに、常に家族メンバーを置くという環境は、夫にとって酷だろう
⇒誰でも時々は病室外へ出て、再充電し、正常な生活を送る必要がある
⇒絶えず、病人を意識ばかりしていては、我々は能率的に行動できない
▼患者の親戚
・患者家族に対する、不満の声を聞くことがある
・週末の慰安旅行に出たとか、劇場や映画館に行っているとか
⇒末期患者がいるのに、その家族が娯楽をするのは怪しからぬ、と非難する
★患者家族から慰安活動の全てを奪い去らないよう心掛ける方が、有意義である
⇒病気によって家庭が崩壊しないように
・病気に対し、徐々に調節が行われるべきである
⇒患者がもはやいない家庭、その方向への変化を考慮するべきではないか
▼患者家族
・患者と常に一緒にいるために、その他のあらゆる活動を棄てることはできない
⇒それを絶対の是とすべきではない
★時には悲しい現実を否認したり、回避したりする必要もある
⇒末期患者が絶えず死の恐怖に直面し続けることが無理なのと同様に
⇒やがて、悲しい現実に直面できるようになっていく
◎家族の要求
・病気の発端から変化を始め、多くの面で変化を続け、それらは死後も長く続く
⇒家族メンバーは、その活動エネルギーを経済的に行う必要がある
⇒最も必要なときに崩れるほど、張り切らないようにすべきである
・必要なのは、理解あるヘルパーである
(必ずしも、職業的なヘルパーを意味しない)
⇒家族が患者に尽くす努力、家族自身のニーズの充足、そのバランスを維持する
■3■コミュニケーションの諸問題
・妻か夫が、病気の重大性を伝えられる
⇒凶報を患者や他の家族に伝えるべきか否か、どの程度伝えるべきかを決定する
・親が、子どもに伝える責任を持つ
⇒子どもがまだ幼い場合は、特に難しい仕事となる
▼取り繕いゲームと仲介者
・危機的な数日間ないし数週間
家族の構造と団結、コミュニケーション能力、意味ある友人の援助の有無
⇒この問題に大きく影響してくる
◎中立的な外部者
・情動的に巻き込まれ過ぎず、家族の関心や願望、欲求をよく聞ける立場
⇒法律問題の相談、遺言書作成の手助け、子ども達の世話の取り決め、など
・実際案件の処理とは別に、家族はしばしば、仲介者を必要とする
・死にゆく患者の諸問題はやがて片付くが、患者家族内の問題は続いていく
⇒その問題は、患者の死以前の話し合いによって片付ける、減らすことが可能
・患者に対し、家族は感情を隠して笑顔を繕い、陽気さを装おうとする傾向がある
⇒遅かれ早かれ、維持できなくなる
【事例】
*夫:末期患者
・「私はもう長くないことを知っています。しかし、妻には言わないでください。
妻はとても耐えられませんから。」
*妻
・夫とほぼ同じ内容の言葉で、夫に真実を告げることを避けていた
★結婚生活を30年続けてもなお、最悪の事態への覚悟を分け合う勇気を欠いていた
*病院牧師
・夫婦を励まして、覚悟を分け合わせた
・患者の要請で病室にとどまり、夫婦の間の仲介役を果たした
・夫も妻も、もはや“取り繕いゲーム”をやらなくてすんでホッとした
⇒どちらも1人では出来なかった身辺整理を、協同で行うことができた
*その後
・夫婦はその“子どもじみた遊び”を笑い、どちらが先に真相を知ったかを語り合った
・第三者の仲介がなければ、いつまで隠し合いを続けただろうかと述懐した
★死にゆく患者自身が、近親に患者の死を直面させる大きな役割を担っている
・患者は色々な仕方でそれを行うことができる
⇒患者自身が、その思考や感情を家族に話し、同じように考え感じさせる
・患者が自身の悲しみを整理し、人がいかに従容と死ぬことが可能かを身をもって示す
⇒家族は、患者の強さを想いだし、自身の悲しみをより冷静に堪えることが可能となろう
▼近親の死と家族の罪責感
*「罪責感」が、恐らくは最も苦しい「死の伴侶」である
・致命疾患と診断されると、家族は自分達のせいではないかと自問することが多い
⇒「私がもっと早く医師に診せたらよかった」
⇒「私がもっと早く気づき、医師に診てもらうよう力づけてやればよかった」
※末期患者の妻の口からしばしば聞かれる嘆きである
↑
・出来るだけのことをしたのだと、非現実的な自責を取り除く
⇒自信を回復することが、家族、友人、家庭医、牧師などの役目である
※「そんなに罪責感を感じてはいけません。あなたのせいではないのだから。」
と言うだけでは足りない
※その言い分を注意深く聞いてあげること
⇒その罪責感の内にある、より現実的な理由に直面することができる
・近親者が、患者本人に対して深刻な怒りを含んだ願望を持っているとき
⇒患者の死に際して、深い罪責感を抱く場合がよくある
★誰でも、時には怒りに任せて、肉親に「消えてしまえ」とか、「出てゆけ」とか、
極端なときは「死んでしまえ」などと怒鳴ることがある
◎「死と死ぬことについて、自由に語りたがらない気持ち」は理解できる
・殊に、死が突然に、身近なものとなった場合は尚更である
・迫りくる死という危機を経験した少数の人々
⇒コミュニケーションの難しさはただ初めのときだけ
⇒経験が進むにつれ、死を語ることが容易になることを知っている
⇒経験が深まるにつれ、疎外と隔絶はなくなっていく
⇒コミュニケーションはもっと意味深い、もっと内面的な性質のものとなる
★苦悩のみがもたらすことができる、密着感と理解とが見出されていく
■4■死の後の家族
◎患者の死の直後
・家族の前で、天国における神の愛を云々 ←残酷で不適当だろう
▼誰かを喪ったとき
・心の準備の暇もないうちに先立たれたとき
⇒我々は怒り、絶望にいきり立つ
★これらの感情は表白が許されるべき
・家族は、死後解剖に同意するや否や、放っておかれることが多い
⇒どうしようもなく苛立ち、怒り、呆然自失し、病院の廊下を行き来するだけ
★苛酷な現実を正視し得ない
・死後数日
⇒忙しい後始末、訪問客、病院来訪などで煩雑となり、心落ち着く暇もない
・葬式後 (親戚が帰った後)
⇒空虚と落莫がひしと感じられてくる
⇒話しかけられる相手の来訪に、家族は慰められ、もっとも感謝する
※特に、ごく最近、故人と親しかった人
※終焉までの日々にあった逸話や愉快な出来事などを一緒に語り得る人
★家族は、当初のショックと悲しみから立ち直ることが出来る
★最終的な死の受容へと、心の準備を進めていくことが出来る
・多くの遺族
⇒故人の記憶で胸がいっぱいになり、空想を反芻する
⇒時に、故人がまだ生きているかのように話しかける
⇒生きている人たちとの接触を避ける
◎死の現実を直視できない人たち
*それは最愛の人の喪失に対処する唯一の方法
⇒嘲笑うのは酷であり、受容できない現実を突きつけ責めるのは配慮に欠ける
⇒その欲求を理解してあげることが、助けになる
※人々の集まりから引き離し、徐々に隔離から連れ戻してあげるのがよい
●若い未亡人
・自らを隔離する行動が多く見られる
・彼女らは若く、夫の死への心準備が出来ていなかった
●戦争
・若者たちの死が頻繁にみられ、同様のことが起こりやすい
・しかし、帰還不可能への自覚を促されていることが多い
●急性悪化の病気
・若者の死については、心構えが困難と言える
▼近親の死と子ども
・子ども達は、しばしば忘れられた存在となる
⇒世話はよくされるだろう
⇒子どもに死について語ることを、好む者は少ない
★子どもは「死」について大人とは異なった観念を持つ
⇒子どもらに話しかけるにも、コミュニケーション内容を理解するためにも考慮が必要
◎3歳までの幼児
・「別れる」ということにしか、関心が注がれない
・次いで、生体破壊への恐怖が出てくる
⇒外の世界へ飛び出し、生体破壊=物理的な肉体破壊を目撃したり経験したりする
⇒自身の五体満足なことに最大の関心があり、それを破壊するものへ恐怖を抱く
・死は永久的なものではなく、一時的なものとして映っている
◎5歳以降
・死は、しばしば擬人化され、人々をさらっていくお化けの姿をとる
⇒外部世界からの干渉により起こるものと考える
◎9~10歳ぐらい
・現実的な観念の芽生えにより、死は永久的な生物学的プロセス、と考え始める
⚫親の死への反応
・様々である
①物も言わず引きこもり、外界から隔離しようとする反応
②激しく泣き叫ぶ悲嘆
⇒大人の注目を引き、代替物として別の愛の対象を求める衝動
*願望と行為の区別ができない
⇒親と喧嘩して「消えてしまえ」と思ったことを親の死と結びつけたりする
※深刻な悔恨と罪責感に陥ることがある
※親を殺した責任を自ら感じ、報復として恐ろしい罰があることを恐れる
※別れを比較的冷静に受けとり、“春休みには帰ってくるよね”などと言う
⚫大人たちの反応
・子どもの心理を理解せず、叱ったり訂正したりする
⇒子どもは自分の悲嘆方法を内部に保持する
⇒後日、情動障害の原因となることも決して稀ではない
◎思春期の子ども
・大人とあまり変わらない
・難しい時期であり、親の死はしばしば耐えがたい衝撃となる
【対応】
・話をよく聴いて、感情を自由に表出させてあげることが望ましい
⇒罪の意識、怒り、悲しみなど
■5■悲しみと怒りの解消へ
★遺族には、話をさせ、涙を流させ、必要ならば絶叫させる
⇒感情を分けもつようにさせ、吐き出させる
⇒そのニーズにいつでも応えてあげることが重要
▼遺族
・死者の諸問題が片づいた後も、長い哀悼の期間を控えている
・悪性疾患の診断の確認の時から、その死後何ヵ月までも、助けが必要である
▼支援
◎必ずしも、専門家的なカウンセリングでなくともよい
・大抵の家族は、必要としないし、依頼する経済的余裕もない
・必要なのは「人間」である、「友人」である
◎ソーシャルワーカー
・最も意味ある援助者となり得るだろう
⇒施設療養院を世話などされていれば、なおのこと
⇒私設療養院に患者を移したことに、家族が罪責感を持っているかもしれない
⇒患者のことをもっと語りたいかもしれない
●支援を受けた家族
・患者の死後も同じ私設療養院を時々訪ね、他の老人たちの世話を続ける人も
【心情】部分的な否認、尽くせなかった埋め合わせ、として善事をなす
・原因が何であれ、家族のニーズを建設的な方向へ向けることが重要
・罪責感、無念さ、報復(罰)の恐怖、などを軽くするよう努める必要がある
★子どもであれ大人であれ、患者家族の一番の助けとなること
・死の前に、彼らの感情を分けもってあげること
・たとえそれが、どんな不条理なことでも、それを吐き出させてあげること
★遺族の怒りの方向性
・私たちであれ、死者であれ、神であれ、それを寛容に受けることが重要
・罪責感なく、死の受容へと大きく前進できる
★タブー視されている「死と死ぬこと」について人前で語ること
・責める人があれば、その人こそ、負の感情を長引かせたと非難されるべき
・感情の抑圧は、身体的、情動的障害を起こす恐れがある