「死生観を考える」勉強会(第2回) | 武狼太のブログ

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大学の通信教育過程で心理学を学んでおり、教科書やスクーリングから学んだことをメインに更新しています。忙しくて書けなかった、過去の科目についても遡って更新中です。

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●勉強会各回と資料内容●

第1回:【1】死生学について
           【2】なぜ死生学を学ぶのか
第2回:【3】死生観調査
第3回:【4】伝統文化と死生観 
第4回:【5】近代日本の死生観の流行 
第5回:【6】小中学生アンケート 「生と死について」
           【7】死ぬ瞬間
第7回:【8】生きる意味
              【9】死後の生
各回の数字を押すと対象ページに移動します

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■「死生観を考える」第2回
■日時: 2022/7/10(日) 20:00~22:30
■場所:オンライン
■参加者:6名

■内容:

 【3】死生観調査

■資料:死生観を考える.pdf
     *資料のダウンロードはコチラ




 【3】死生観調査 

▼「がんと死生観」
・死生観調査(2012年発表)の目的:中世日本人の死生観を考察すること
・中世日本人は、その文学の「諸行無常観」からも死が身近にあったと考えられる
・死を身近に感じているがん患者への死生観調査から、中世日本人の死生観に迫る

▼日本人とがん
・日本人の2人に1人ががんに罹り、3人に1人ががんで亡くなっている
・がんは老化の一種とも言える、急速な高齢化ががん患者の急増につながった
・日本人の平均寿命は80歳を超えるが、明治~大正時代は40歳程度であった
・ここ四半世紀、治療のあり方に変化はないが、医師と患者の関係は変化した
・告知がされ、治療法の有無や余命が伝えられ、治療方針を患者が決めるように

死生観の調査票 
・2012年3月15日発刊「死生学第17号」より抜粋
東京大学大学院人文社会系研究科 グローバルCOE研究室のプログラム
『死生学の展開と組織化』(2007~2012年)
・海外で開発された死生観尺度を日本人向けに改良して作成されたもの

▼死生観の評価尺度 
・27項目が7つのドメインに別れている
①死後の世界観、②死への恐怖・不安、③解放としての死、④死からの回避、⑤人生における目的意識、⑥死への関心、⑦寿命感
・7段階評価:「当てはまらない」:0点 ~ 「当てはまる」:7点
*真ん中の4段階目「どちらともいえない」が3点か4点かが不明
・・・・・・
「あてはまらない」=1点
「どちらともいえない」=4点
「当てはまる」:7点
(参考文献:「死生観に関する研究」2000年,平井啓)
*会記録作成中、正しい点数が判明(後日、資料修正の予定)

▼死生観調査の対象 
①一般市民:1162人
・東京都内の国税調査区からサンプリングした3000名に調査票を郵送
・20~79歳、死別経験と信仰についても調査
②がん患者:308人
・東京大学医学部附属病院の放射線外来を受診しているがん患者
・20代~90代、視覚障害や身体障害がない

▼死生観調査の結果 
・がんは高齢者に多く、喫煙率などから男性に多い
 ⇒ 一般市民との間で大きな差が生じたため、統計的なデータ補正を実施
・死生観は、年齢や性別により大きく異なることが判明
・表1~3:男女、年代、信仰の有無による比較
・表4:がん患者と一般市民のドメイン毎の比較
・表5:がん患者と一般市民の項目の比較(有意差ありの4項目)

▼まとめ 
・ドメイン ⑤「生きる目的」⑥「死への関心」:
 がん患者の方が強く感じている
・ドメイン ①「死後の観念」②「死への恐怖」:
 ほとんど変化がなかった
⇒死を意識するようになっても、日本人の死生観は大きく変化しない
*がん患者は、死と直面する中で生きる目的や価値を再認識している
*一般市民と同様の死生観のままに、死を受容しているのではないか
 ⇒がん患者も一般市民も、自力で自己の生の有限性と運命を受容しているかもしれない
 ⇒日常的に死への十分な備えがあり、伝統的・宗教的死生観の助けは不要かもしれない
◎本研究の課題
・死の受容のあり方について、より精緻な検討が必要
・医療者と患者との死生観の比較
 ⇒スピリチュアルケアの一助になるかもしれない

▼日本のがん患者のターミナル・ケア
・河野博臣著『病気と自己実現』(1984年)
・病気をする、特にターミナル(終末)状態は自己実現の絶好の機会となる
 ⇒その最も成熟する瞬間を、医学の側が強制的に遮断している状況
 ⇒現代の深刻な問題である

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 BreakTime

①「死生観の調査票」の分析結果とあなた自身の回答について、どのようなことを感じましたか
②「終末期は自己実現の機会である」とする考え方をどう思いますか
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(②について)
 「終末期は自己実現の機会である」とは、死を身近に感じながら思考や対話をすることが、人生最後の「自己実現」の機会となるのか、などと考えてみましたがハッキリとは分かりませんでした。初めて入院を経験したときには、自分自身を省みながら少し感情的になりながら自己分析をしたことがありました。その経験がその後、私の自己実現に繋がっていると思われますが、終末期の自己実現とは何なのか、と考えさせられました。
 この言葉が個人的に気になったのは、フロイトの最期に関する記述を思い起こしたからでした。フロイトは病で亡くなる前に、「自分が痛みに堪えるということに意味があると思う限り堪えます。しかし、痛みに堪えることが無意味であると思ったときは自分で言うから、あとは頼む」と娘に伝えたそうです。痛みに堪えることは「自己実現」と関係があるのかどうかと。
 また、キューブラー・ロスは「苦痛を通じて死んでいくことに意味があるとしたら、苦痛を奪っていいものだろうか」、「不快だからという理由で安易に患者を安楽死に導いている。これは患者が卒業する前に、最期の教訓を学ぶ機会を、患者から奪っていることに気づいていないからだ」と書いています。これについて、河合隼雄さんは人格が破壊されるほどの痛みには堪える必要はないが、ともかく痛みは無い方がいいと頭から決めつけている、そのことに問題があるのだと解釈しています。死を卒業と捉え、人生の最期まで意味があり教訓である、という考え方のようです。
 人の最期を看取るという経験がない私には全く思いもよらぬ内容でしたが、死を迎える当人の考えに耳を傾けられぬまま、自身の価値観や世界観のみで判断して決めつけてしまうことは、人の尊厳を傷つけてしまう恐れがあるのかもしれない、と考えさせられました。とはいえ、死を迎えようとする人の声に平然と耳を傾けることは、私自身の感情や思考の揺れが邪魔して困難なようにも感じます。時として、死への恐怖や不安と向き合うことが困難なこともありますが、自他含めて、人間の最期に尊厳を持って向き合うことの意味を、これからも考え続けてみたいと思います。

(①について)
 「死生観の調査票」については、7段階評価の4段階目「どちらともいえない」の点数が3点か4点か不明であったため、結果内容に関する印象がぼんやりとしていましたが、「どちらともいえない=4点」と判明したため、改めて考察をしてみたいと思います。また合わせて、私自身の回答について、時期を違えた3回分の結果を考察してみたいと思います。
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総括
 本調査票については、ドメイン②④⑥は「死」に関する体験や思考について、①③⑤⑦は「死」に関する世界観や宗教観について問う内容となっており、全体的には「やや当てはまらない」~「やや当てはまる」という範囲内に評価が集まる傾向が強かったようである。④と⑥からは死を考えることを避ける傾向はあまりなく、死をよく考える傾向もあまりない、という全体的な傾向がみられた。
 ドメイン②の4項目やドメイン⑦の3項目は特に、ほぼ同じ内容の質問項目が続いており、それらの違いを考えてしまい、個人的には回答しづらく感じた。個人差はあると思うが、回答者が負担を感じやすい質問項目は「どちらともいえない」のような中性的な評価に回答が集まりやすいと言われており、本調査でも同様のバイアス(偏り)が生じている可能性があるかもしれないと感じた。ドメイン毎に項目を並べずに、バラバラに分散して調査票を構成した方が回答しやすいようにも感じた。

 がん患者と一般市民との比較では、各ドメインの平均得点の差は以下の通りであり、有意差ありのドメインは存在しなかった。がん患者と一般市民との間に大きな差はみられなかった。
●差が0.2以下のドメイン4つ
①「死後の世界や生まれ変わりはあるか」
 -差0.1- がん患者 15.0点 < 一般市民 15.1点
②「死への恐怖や不安はあるか」
 -差0.2- がん患者 17.3点 < 一般市民 17.5点
④「死を考えることを避けたいか」
 -差0.0- がん患者 13.2点 = 一般市民 13.2点
⑦「人の生死は何かに決定づけられているか」
 -差0.2- 一般市民 11.4点 < がん患者 11.6点
●差が0.4以上のドメイン3つ
③「死を苦悩や重荷からの解放と考えるか」
 -差0.4- がん患者 12.9点 < 一般市民 13.3点
⑤「生きる目的や使命感があるか」
 -差0.7- 一般市民 16.0点 < がん患者 16.7点
⑥「死について考えるか」
 -差0.7- 一般市民 13.8点 < がん患者 14.5点

 「性別」により有意差ありとなったドメインは①③⑥⑦であった。①③では、一般市民よりもがん患
者において、「性別」による得点差が大きい結果が示された。
①「死後の世界や生まれ変わりはあるか」
【がん患者】 男性 12.2点 < どちらともいえない 16点 < 女性 16.3点
【一般市民】 男性 13.8点 < どちらともいえない 16点 < 女性 16.5点
③「死を苦悩や重荷からの解放と考えるか」
【がん患者】 男性 12.5点 < 女性 15.2点 < どちらともいえない 16点
【一般市民】 男性 12.4点 < 女性 13.5点 < どちらともいえない 16点
⑥「死について考えるか」
【一般市民】男性 13.3点 < 女性 14.2点 < どちらともいえない 16点
⑦「人の生死は何かに決定づけられているか」
【がん患者】男性 11.1点 < どちらともいえない 12点 < 女性 12.9点

 「年代」により有意差ありとなったドメインは①②③④⑦であった。一般市民で比較すると、①④⑦
では最大2点以上、③では最大3点以上の差がみられ、比較的大きな差がみられた。
①「死後の世界や生まれ変わりはあるか」
【一般市民】60~70代 13.5点 < 40~50代 15.9点 < どちらともいえない 16点 < 20~30代 17.0点
【がん患者】60代以上 12.9点 < 20~50代 15.4点 < どちらともいえない 16点
②「死への恐怖や不安はあるか」
【一般市民】どちらともいえない 16点 < 60~70代 16.9点 < 40~50代 17.7点 < 20~30代 18.3点
【がん患者】どちらともいえない 16点 = 60代以上 16.0点 < 20~50代 17.9点
③「死を苦悩や重荷からの解放と考えるか」
【一般市民】20~30代 11.4点 < 40~50代 12.3点 < 60~70代 15.2点 < どちらともいえない 16点
【がん患者】20~50代 12.0点 < 60代以上 14.8点 < どちらともいえない 16点
④「死を考えることを避けたいか」
【一般市民】20~30代 12.3点 < 40~50代 12.6点 < 60~70代 14.4点 < どちらともいえない 16点
⑦「人の生死は何かに決定づけられているか」
【一般市民】20~30代 10.0点 < 40~50代 11.4点< どちらともいえない 12点 < 60~70代 12.4点

 「信仰」により有意差ありとなったドメインは①②④⑤⑥⑦であった。全てのドメインで有意差がみ
られ、信仰ありの人は信仰なしの人よりも、死について関心が強く、死生観を持ち得ているようである。
(*「信仰が熱心ではない」には「信仰なし」の人も含まれる)
①「死後の世界や生まれ変わりはあるか」
【一般市民】信仰なし 14.7点 < どちらともいえない 16点 < 信仰あり 18.3点
【一般市民】信仰熱心ではない 14.9点 < どちらともいえない 16点 < 信仰熱心である 18.4点
②「死への恐怖や不安はあるか」
【一般市民】どちらともいえない 16点 < 信仰あり 16.6点 < 信仰なし 17.8点
④「死を考えることを避けたいか」
【一般市民】信仰あり 12.3点 < 信仰なし 13.3点 < どちらともいえない 16点
⑤「生きる目的や使命感があるか」
【一般市民】信仰なし 15.7点 < どちらともいえない 16点 < 信仰あり 17.6点
【一般市民】信仰が熱心ではない 15.6点 < どちらともいえない 16点 < 信仰が熱心である 18.8点
⑥「死について考えるか」
【一般市民】信仰なし 13.7点 < 信仰あり 14.6点 < どちらともいえない 16点
【一般市民】信仰が熱心ではない 13.6点 < 信仰が熱心である 15.1点 < どちらともいえない 16点
⑦「人の生死は何かに決定づけられているか」
【一般市民】信仰なし 11.0点 < どちらともいえない 12点 < 信仰あり 12.7点
【一般市民】信仰が熱心ではない 11.0点 < どちらともいえない 12点 < 信仰が熱心である 13.1点

▼項目毎
●「7.当てはまる」「6.かなり当てはまる」「5.やや当てはまる」と回答した割合が高かった項目
【がん患者】
・(52%)6.自分が死ぬことを考えると不安になる
・(51%)5.死ぬことがこわい
・(43%)23.身近な人の死をよく考える
・(43%)25.人の寿命はあらかじめ決められていると思う
【一般市民】
・(59%)5.死ぬことがこわい
・(54%)6.自分が死ぬことを考えると不安になる
・(40%)7.死は恐ろしいものだと思う
・(38%)23.身近な人の死をよく考える

 がん患者と一般市民の回答を上記データにて比較すると、項目5、6、23の3つが共通して上位に示された。中でも、項目5、6は50%以上と他項目よりも一段と高い割合となっていた。「どちらともいえない」の回答の割合は分からないが、肯定する回答の割合の方が高かったようである。
 項目5と7は、同様の意味のようにも感じられるが、比較的大きな差が生じていることを不思議に感じた。項目5は「私が死ぬこと」、項目7は「概念的な死」を指すようにも解釈できるが、そのような解釈の差が影響しているのだろうか。

▼得点平均値の比較 
●ドメイン毎の得点の平均値を比較
◎がん患者側の平均値が高かったドメイン:
⑤人生における目的意識、 ⑥死への関心、 ⑦寿命感
◎一般市民側の平均値が高かったドメイン:
①死後の世界観、 ②死への恐怖・不安、 ③解放としての死
◎同等
④死からの回避
●項目毎の平均値を比較
◎がん患者の方が有意に高かった項目:
19. 私は人生について考えると、今ここにこうして生きている理由がはっきりとしている
20. 未来は明るい
22. 自分の死について考えることがよくある
◎一般市民の方が有意に高かった項目:
10. 私は死をこの人生の重荷からの解放と思っている

 自身の死を身近に感じたことで、死生観について真剣に考えるようになった経験があるが、がん患者の方にもそうした傾向を示す人が少なくないのかもしれないと感じた。「20.未来は明るい」については、省かれた主語がどう捉えられたか分からないが、「19.~生きている理由がはっきりとしている」ことは人生において光明が指すと比喩されることもあり、関連性があるようにも感じられた。

私自身の回答 
実施日: (1)2020年3月(当文献閲覧時)
     (2)2022年6月(勉強会実施直前)
     (3)2022年8月(勉強会実施後)
▼ドメイン 
【変化なし】
④「死を考えることを避けたいか」
 (1)4点、 (2)4点、 (3)4点
 *「当てはまらない」傾向を示した
⑤「生きる目的や使命感があるか」
 (1)7点、 (2)9点、 (3)8点
 *「ほとんど当てはまらない」傾向を示した
⑥「死について考えるか」
 (1)17点、(2)16点、(3)16点
 *「どちらともいえない」傾向を示した
【変化あり】
①「死後の世界や生まれ変わりはあるか」
 (1)13点、(2)13点、(3)9点
 *「ほとんど当てはまらない」もしくは「やや当てはまらない」傾向を示した
②「死への恐怖や不安はあるか」
 (1)8点、 (2)18点、(3)8点
 *「ほとんど当てはまらない」もしくは「どちらともいえない」傾向を示した
③「死を苦悩や重荷からの解放と考えるか」
 (1)4点、 (2)18点、(3)11点
 *「当てはまらない」→「どちらともいえない」→「やや当てはまらない」と変化した
⑦「人の生死は何かに決定づけられているか」
 (1)3点、 (2)12点、(3)3点
 *「当てはまらない」もしくは「やや当てはまらない」傾向を示した
・・・・・・

【変化なし】④⑤⑥について
④「死を考えることを避けたいか」
 ここ数年、個人的に関心の強いテーマであるため、3回とも「当てはまらない」という回答となった。
⑤「生きる目的や使命感があるか」
 質問内容について、人生における私だけの大きな目的や使命感、という印象を受けて3回ともやや低い得点で回答していた。個人的には、日々の小さな目的や使命感を考えたりすることもあるが、そうした考え方はまだ身についていないようである。「20.未来は明るい」については漠然としてよく考えられなかったため、「どちらともいえない」を3回とも選択していた。
⑥「死について考えるか」
 死に関することを「考えるか」という質問には高めの得点を、「よく話すか」という質問には低めの
得点を選択しており、そのため平均が「どちらともいえない」の範囲となっていた。
【変化あり】①②③⑦について
①「死後の世界や生まれ変わりはあるか」
 勉強会以前の2回は「やや信じない」、勉強会後は「ほとんど信じない」に変化していた。死後の生を
考えることに意義はあるが、あるかどうかは分からない、無いかもしれない、という考えが結果に表れたように思う。「3.死んでも魂は残ると思う」については「当てはまる」→「ほとんど当てはまらない」に大きく変化していた。「魂」の考え方が揺れているからだと思う。
②「死への恐怖や不安はあるか」
 勉強会直前が18点、その前後は8点で差が生じていた。得点が高かった時期は、入浴中に浴室で気を失い倒れたことが影響したと考えられる。よく分からないまま死を迎えていたらと思うと、10代の頃以来になる、死への恐怖を感じた。しかし、数多の命の消滅を思うと、恐怖心がまた弱まった
③「死を苦悩や重荷からの解放と考えるか」
 4点→18点→11点と変化し、私の中では最も大きいバラツキが見られた。この変化には、末期患者や安
楽死に関する文献を読んだことが影響したと考えられる。それほど辛い病苦を経験したことがないため、私自身はそう考えたことはなかったが、もし、将来経験することになったらそう思うかもしれないと考えた。ただ「重荷」と「解放」という言葉に、個人的に何か違和感を感じる。
⑦「人の生死は何かに決定づけられているか」
 勉強会直前が12点、その前後は3点で差が生じていた。全3項目が「当てはまらない」と「どちらとも
いえない」の間を往き来した。得点が高かった時期は、「死後の生」「仏教」「運命」などに関する文献を読んでいたことが影響したと考えられる。現時点では、私にはそれを認める体験もなく、信じる根拠も持ち合わせていないため、元の状態に戻るという経緯をたどったように思う。
・・・・・・
(考察)
 死生観調査への私自身の回答について、時期を隔てた3回分を比較したが、死生への思考を問うものは変化が少なく、死生への思想や感情を問うものは変化が大きい、という傾向が見られた。「死」そのものを体験することは不可能なため、死生への思想や感情については今後も揺れるように思う。死生への思考については、日常生活における体験を中心に自身の内省を深めつつ学びを重ねていきたいと思う。