皆さんこんにちは。

本日は、「努力は自分のためならず?」というテーマで書き留めたいと思います。

 

現在私は、「モティベーションをまなぶ12の理論」(鹿毛雅治編)という本を読んでいます。その中に、「他者志向的動機」という言葉が出てきます。

この「他者志向的動機」というのは、自己決定的でありながら、同時に人の願いや期待に応じることを自分に課して努力を続ける姿のことで、私利私欲で動く「自己志向動機」と対置されるもの、と書かれています。

 

何か目標を決めて頑張る場面を想像してみましょう。

日本人の場合、自分自身の目標でありながら、応援してくれる先生や家族のために、また理解してくれる上司や社員のために・・・のような、他者の期待や応援に応えるという要素が相応にあったりします。スポーツの勝利インタビューでも、そのような場面に良く出くわしますね。

でも、欧米(=とひとくくりには言えないでしょうが)では、日本とは文化的慣習が異なるため、そういう図式は日本ほどではなくて、周囲との協調関係の度合いに差があるように感じます。 (「相互独立的自己感」と「相互協調的自己感」については、マーカス&北山(1991)をご参照ください)

 

頑張る理由が自分以外にあった方が、一緒に歩んでいる連帯感を感じることもあり、頑張ることへの責任ややり遂げる意識を持ちやすいという面がありますが、「他者のために」が強すぎると、義務感が漂ったり見返りを欲しくなったりして、そのバランスが悪くなることもあります。その重圧による弊害は、「自己志向動機」の場合よりも大きくなってしまいます。

 

私たちが現実的に社会適応していく場合、「自己志向動機」と「他者志向動機」は、混在していて、且つ二律背反で捉えられるほど単純なものではないと思います。

大切なのは、「自己志向動機だけに囚われないこと」、そして、「他者志向動機を活かすために、お互いに適切な信頼関係を作り、適切な期待を掛けあうこと」だと思います。

 

昔、私自身がカウンセラーの先生に言われたことがありました。「他者に対して、何かできると思い過ぎてはいけません。また他者からの見返りを求め過ぎてはいけません。」 

それはきっと、他者志向動機の強い人間のデメリットを諫めてくださったのだろうと、やっと気が付くことができました。

 

最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。

2020.3.20 #062