皆さんこんにちは。

本日は、「ビジネスパーソンの優秀さと人間の成熟度とは同一か?」という、少々長いタイトルをテーマに書き留めてみたいと思います。

 

ビジネスの世界で名を残す方は、とても人間的にも優れておられる方が多いと感じます。

たとえば次の一万円札に内定している渋沢栄一さんは、日本の実業界の祖であり、多くの企業を育て上げました。明治時代の新しい国づくりにも貢献された方です。けれども私の渋沢栄一さんの第一印象は、ある知的障碍者施設の建設に携わったこ。それがきっかけであったものですから、明治期の実業界の祖であるということを後に学んだときは、少々びっくりした位でした。

存命の方では、元京セラの稲森和夫さん。京セラの創業者であることは有名ですが、JALの再建では、経営哲学というよりは人間哲学というものを現役社員に教え込んで、見事に再生を果たした、そんな感じさえ受けますね。また私が敬愛する丹羽宇一郎さんは、生涯学び続けることの大切さを、現役時代は自分の後ろ姿で、最近では多くの著書で私たちに指導してくださっています。

 

これらの大先輩方は、ビジネスパーソンとしても秀でておられたことはもちろんのこと、人間としても素晴らしい生き方をされていると私は思います。それは、会社のために、また自分のために一生懸命生きると同時に、他者のため、後世に生きる若者のためにしっかり指導したい、という「自利利他」の精神をお持ちでいらっしゃることであると思います。「人格者」であり、人間の品格を備えておられるのです。

 

でもこの世の中、ビジネスの成果にはコミットできても、必ずしも人間としての品格が伴う方ばかりではありません。残念ながら、私の周囲にもそういう事例がございます。

ビジネスは、単純にお金を稼ぐためだけの目的で集まる人間が、その目的のためだけに日々活動しているのかと問われれば、ある意味ではそういう割り切りも必要でしょうが、もし経営に哲学がなければ、果たしてその集合体は、本当の意味で社会貢献できるのでしょうか。

 

リーダーは、組織に対し、一定の影響力を持ちます。本人が考えているよりも大きな影響力を発信しているのです。それゆえリーダーは、一種の社会的な公器として、自ら人間的成熟を伴うように努力する義務もあるのではと、最近の社会事象からも、また自身の周囲の現実からも感じています。

そして、自らを律し、公器となるべく訓練を進んで受けられる度量を持てる人間こそ、本当の幸福が与えられるものと思っています。

 

自分は現在、進んで訓練を受けられているか、自らにその責任を課しているかと問われれば、正直に申し上げて、志も不十分であると応えざるを得ません。

でも、ビジネスパーソンとして評価を得られるよりも、実直な人間であったと、少しでも人間としての品格を評価していただける方が、よほどうれしいと思っています。

 

現職でのビジネスパーソンとしては、すでに第4コーナーを回りました。恥ずかしくない滑走をしていきたいと思います。そして新たなスタートに向けて、正しく準備したいと思っています。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2020.3.17 #061