今できることは神様、仏様にもお願いする・・・。 2020年4月24日発信

祈る 毎年この時期に地域の春祭りとして親しまれている「腰折地蔵春祭り」が4月19日に行われました。
 コロナのために中止にしようかどうかと迷いながら、このお地蔵様は正式が延命地蔵菩薩と言い、家内安全・運命長久を願っています。 富沢だけでなく世界の人々がコロナの難をのり越えられるように踏み切りました。
 またこんな時期、近所の高齢者の元気な顔をみることも重要です。

祈る マスク・消毒を徹底し、密接にならないように里山から椅子を運んで、一人ひとりの間隔を1m以上に取って開催。
 祈願を終えた後は、例年なら懇親会に移るのですが、今年は元気な笑顔を確認し合い、ただちの散会となりました。
 参加者は来年の春も笑顔で再会できることを願い、一日一日を充実させながら生き抜くことを誓合いました。

 (取材・写真 勝部公平)

 

 神社でもお願いしました

祈る 4月から田植えの準備、神社では「祈年祭」が方々で行われ、ここ福渡八幡神社でも神様に海の幸の鯛と山の幸のタケノコをお供えし、「今年も豊作でありますように・・・」と祈願。
 そして、それだけでなく今年は「コロナウィルス撲滅を・・・」の詔(みことのり)も唱えました。
 他所ではこういった神事が中止を余儀なくされている中、人が密集しないこの建部でできることをありがたく思うと同時に世界の平穏を願いました。

 (取材・写真 三宅 優)

 

 追伸:建部の里の小さな息吹き

 つい2ヵ月ほど前には、だれもが想像しなかったことが起きている。だから、ここは慎重に状況を睨みながらも、日々を愛おしく生きよう。
 目をやれば、いつの間に咲いた花々、間違いなくここに生命の息吹があるのだから。

祈る

 (取材・写真 三宅美恵子)

自粛の中で、できるのは建部の自然でモクモクと 2020年4月15日発信

里山炭出し里山炭出し建部ハイキングクラブ会長の本田義章さんから届いたのは、建部古道、法寿山てっぺんの写真。見事に咲き誇る山ツツジ。
 さすがアルピニストの本田さん、人と触れ合わないでもできること、一人山歩き。籠ってばかりだと当然ストレスが溜まる、かと言ってどこへ行っても人はいる。
 少し雨続きで、そんな野外活動も行えなかった「里山建部」。やっと昨日、炭出しが行われた。事務局の勝部(当新聞編集長)が送ってきた写真には、眩いばかりに 輝く正にいぶし銀の備長炭。さて、出来上がりはというと、ほぼ70%の上出来!
 メンバーは炭出しの後も倉庫修理、下草刈りに精を出したらしいが、外作業は人との距離もあり、 話を交わす必要もそれほどない、黙々(モクモク)と自分の仕事をこなすだけ。

神社掃除神社掃除 日曜日の雨、何もできなかったと思いきや、ここ福渡では町内の人らで地元神社境内の掃除を敢行。誰もが雨ガッパ着用で、それこそモクモクと。
 今回の掃除の指揮を取った町内会理事の松下泰成さんは、「雨だからどうしようかなあって思ったんですけど、やりだしたら皆、本気になって、いつの間にか終わっちゃいました(笑)」
 やはり人の力、集まっても離れて仕事ができるので、こんな時は、日頃できない「地域奉仕」がいいのかも。

神社掃除神社掃除 その雨で、建部町の物産販売所にもやっとタケノコが出荷され始めた。噂ではどこの竹藪もイノシシに荒らされ、ほぼ壊滅だとか。
 当新聞グルメレポーターもイノシシの堀り跡を確認、それでもあきらめずガサゴソ、やがて 「あった!これを採って明日、神社の祈年祭にお供えしよう!」と 本日、初収穫に大喜び。
 一人タケノコ掘りも、モクモク楽しい・・・。

 (取材・写真 三宅 優)

「めだかクラブ」会合で出した結論 2020年4月6日発信

しあわせ橋 岡山市環境学習センター「めだかの学校」の1年の活動を支える地元ボランティアチーム「めだかクラブ」その令和2年度の会合が開かれた。
 会場はいつもの「おもちゃの宿」室内から外の養殖場に変更、それぞれが距離を置いて座れるように設定。時間も要点に絞って進めることで短時間の進行となった。
 この日課題となったのは当然、コロナの影響による至近の行事の実施の有無。 最大は5月後半に予定する「第32回環境まつり」千人からの親子連れが来館するビッグイベントだ。
 少し先だとは言え、準備を進める上で早くからの取り掛かりが求められる。今日の話し合いでは、今の日本の状況からして開催は困難との意見が大勢となった。

しあわせ橋 今4月に着任されたばかりの武藤邦夫館長から「私が赴任した途端、全部中止となり、早く仕事を覚えて地域に役立ちたいと願っておりましたのに残念です。しかし折角ですので、この時間を使ってしっかりとメダカの勉強をしたいと思います(笑)」
とユーモアを交えた話がなされた。
 今期の要望の中では「春の小川のヘドロの除去」が上げられた。会員の勝部編集長から「生き物が住める状態に環境を戻したい、それこそが”春の小川”の本来の意味だから」と強い思いが述べられ全員が賛同した。
 「明るく元気で、”行ってみたい、来てよかった”と感じる町を創出する」(設立趣意書より)。
  その目的で作られた「めだかクラブ」、メンバーはほとんど高齢者だが理想は失わない、まだまだ壮年である。  
 (取材・写真 三宅 優)

今日から「しあわせ橋」開通! 2020年4月1日発信

しあわせ橋しあわせ橋 今日から新年度、希望に燃え大きく羽ばたく最初の日。冷たい雨、コロナの不安が天空をズッシリと覆う。それでも未来を信じて前へ進もう。
 一昨年、7月の豪雨で流されていた「しあわせ橋」が1年8カ月ぶりに戻って来た。
 朝9時45分、傘を差しながら市の職員が通行禁止用に設置したバーとコーンを撤去する。
 10時、向こう岸の職員と携帯で確認、門が開かれる。大きなセレモニーはしない、淡々と両側のゲートを開けるだけ。
 この記念すべき時に立ち合おうとやって来た福渡町内会長、他3名、さっそく渡り初め。
 白い手摺が眩いばかり、前より橋が広く感じられる。床の杉板の表面には滑り止めの溝が付いていて雨の日も安心。全体にライトな仕上がり。

しあわせ橋しあわせ橋 向こうから渡ってきた第1号は建部上の斉藤区長。福渡側、窪藪会長と橋上での握手ポーズ(笑)。
 久々に「しあわせ橋」から眺める旭川のせせらぎ。水音を足に感じながらの往復3分半。
 橋の再建に尽力された森田市議や建部支所の新支所長、山陽新聞さんも駆けつけて、「しあわせ橋」復興を祝う。  

 (取材・写真 三宅 優)

■今月の「たけべ人(びと)」

建部で活き活きと活動する人にスポット。
 建部の抱える大きな課題「空き家の増加」
その中には、まだまだ住めるのに、手を入れれば
見違える様に良くなるのにという家屋もままある。
 だれか此処を活かして住む人いないかな?
 そんな所へ救世主、歴史ただよう中田新町で
古民家を改造し、仕事場兼住宅として再生した
ご夫婦。家具職人ならではのこだわりの家づくり。
太田 秀世・久美子ご夫妻にお聞きする。

 (取材:三宅美恵子 勝部 公平 写真:三宅 優 )

 

大田ご夫妻(プロフィール)
 太田 秀世(ひでお)
 昭和43年 淡路島に生まれる 
 太田 久美子(くみこ)
 昭和41年 浜松市に生まれる
 共に岡山大学理学部を卒業後、企業に勤務。
 30才で脱サラ(秀世 氏)家具職人の道に入る。
 淡路島にて工房を設ける。
 岡山県内にて展示会を開催。
 平成30年、建部町中田に居を移し、「太田秀世家具工房」を構える。

    

 

大田ご夫妻(勝部 公平)太田さん、元はどちらのご出身ですか ?
(太田 秀世)「淡路です。岡山の大学にいましたので、こちらとのつながりが深くなりました 」

 じゃあ、奥様も淡路ですか?
(太田 久美子)「いえ、私は静岡県浜松市です。主人と同じ岡山大学に通ってました 」

 専攻は何ですか?
 (秀世)「僕は理学部化学科で、妻は同じ理学部ですが地質が専門の地学科です 」

 ホー、それがなんで家具職人になられたのか、とっても興味深いですね
 (秀世)「いや、僕は卒業して最初、滋賀県にあるガラスメーカーで普通にサラリーマンをしていたんですが、どうも違うって思って岡山の通信教材を扱う会社に移ったのですが、 たまたまその頃、カヌーで出会った友人が木工工房をやってたんです。モノ作りでお客さんとつながる、それを生業(なりわい)とするそんな世界があるんだと驚きました。それで30歳で倉敷の職業訓練学校で木工の勉強を始めたんです」

大田ご夫妻 そのことに対して奥さんはどう思われましたか
 (久美子)「私も当時は岡山の地質の会社に勤めてましたので、会社のつまらなさや難しさがわかるので、まあ、やりたいように生きるのがいいのではと(笑) 」

 それはまた理解がある、理想的でうらやましい
 (秀世) 「いやぁ、若気のいたりですが、そういう人間らしい生き方がしてみたかったわけで・・・」

 それでじゃあ、どういうふうに道を開かれたのですか
 (秀世) 「淡路に戻りまして、そこに仕事場を設けました。最初はゼロからで、特定のお店とかないので、倉敷で15年、展示会をやってきてコツコツお客さんとの信頼関係を築いてきました。今は市内の岡ギャラリーでも開いています」

大田ご夫妻 今は奥さんもいっしょにやられているそうですね
 (久美子)「はい、主に漆(うるし)は私がやっています。オイル塗とかも 」

 二人で一つのモノを作り上げる、素晴らしいなあ。そもそも、建部に越して来られた経緯については?
 「淡路からだとこちらに来るのにも不便なことがあって、こちらで良い所はないかと探していたんです。もともと、私たちの仕事は音や埃とかが出るので、 倉敷にも友だちがいて市内ではなかなかやれないということも聞いて、じゃあ建部あたりが良いのではと。最初、市役所に相談したら、商工会に聞いたら言われまして古民家はありませんかと尋ねたんです。そしたら景山建設さんを紹介して頂きました。景山さんに、木工をやりたいんだがとお話して、なら不動産屋さんのアイターンホームさんの物件がいいのではとなりました」

大田ご夫妻 ここはもともと醤油屋さんだったんですよね?
 「ええそうです、今もこうして醸造に使われたいた道具とか甕とかが置いてあります。どれもとても味のあるものだと思います。 実はここに来るまでに足掛け3年かかっています。持ち主さんとお話をして、この建物の雰囲気を残してくれるならということでご了解をいただいたのが2年前で、 2月3日に決まりました。それから、ここをどういうふうに直そうか、できるだけ今の家を活かしたかたちにするにはどうしたらいいか、あれこれ試行錯誤しながら進めて来ました」

 この大きな機械(製材用)とかは向こうから運ばれたんですか
 「はい、ここに移ることが決まってからも、淡路の作業場の片づけで、引越しまでに数か月かかりました。ほとんどは自分たちで車で運んだのですが、こういった大きな機械もあるので、時間がかかりました。最終的には2年前の9月半ばに、すべて終えました。7月7日の豪雨の時は建部に避難していましたけど」

 今、後ろに新しく建てられたお家には、奥さんのご両親がお住まいだとか
 「ええ、妻の両親に住んでもらっています」

大田ご夫妻 それはいいことだ、奥さんも安心でしょう。ここに来てからはどんなふうに感じてますか
 「歴史のある町に入ってくるので、どういうふうに受け入れてくれるのだろうと不安だったのですが、でも持ち主さんも一緒にご挨拶に回ってくれて思った以上に温かく迎えてくれました」

 いいスタートですね、最後に、理想を追い求めた感想とこれからの目標についてお聞かせください
 「やってみて、大変だとつくづく思います。これで生計を立てるのがいかに難しいか、モノ作りでやっている人はどなたも苦労されていると思います。今は注文家具を中心に仕事をしているのですが、ちょっと太田さんに頼もうかなっという感じで注文を受けて図面を引いてやっています。そういうお客さんとのつながりを本当にありがたく思います 。 目標と言うんじゃないんですが、大きな所に所属するとかでなく自立してやりたい、注文家具(別注家具)で私たちは私たちのスタイルでやる、そんなふうに考えています。二人でやっているので多くはできないし、注文を受けてからなので作り置きも出来ませんから 」

 ありがとうございました
 

(後日談)

 実はこの取材には後日談があり、当新聞グルメレポーター(三宅美恵子)から家具作りについてもっと聞きたいとの要望があり再び訪ねた。

 

大田ご夫妻大田ご夫妻(三宅美恵子)ここにズラッと立てかけてある木材が家具の材料になるわけですか
 (太田 秀世)「ええ、ここに置いてあるものは日本全国、中国からも取り寄せた材木ですが、この状態から機械で必要な厚さに落としていって、ソリを取って、というのも必ず木はそっているので両側のソリを削って平らな板にするわけです。場合によっては丸太で買って乾燥させて製材する場合もあります」

 どんな種類の木がありますか 
 「タモ、ナラ、クリ、セン、ケヤキ、トチ、ツゲ、クルミ、カバ、クロガキ、コエマツ、クワ、ヒメコマツ・・・とか広葉樹が多いです」

 これで何年くらい経ちますか
 「そうですね、最低でも3年は乾燥させないといけませんからね、それ以上ですね」

大田ご夫妻大田ご夫妻 木によってまったく木目というか、木肌が違いますが、どういう使い方をされますか 
 「う~ん、それは何を作るかによって、またはどんな大きさのものか、一枚板の大きなテーブルの場合は自ずと大きい素材が必要となりますし。 こういったイスですと使う人の体に合わせた木を選んだり、座の部分の木目を活かす使い方をします。奥のチェストはセンの木とタモを使っていますが、 木種を変えることで見た目に重くならない工夫をしています。板目と柾目を組み合わせたり、観音扉の左右を微妙に違えたりといったことも。 やはり材木は形との出会いですからね」

大田ご夫妻大田ご夫妻 デザインはどのようにして起こされますか
 「私は、過去の優れた作品とかから学ぶことが多いです。例えば人間国宝の黒田辰秋さんのこういった重厚な作品、ジョージ ナカシマという作家のこのイスとかも勉強になります。このイスは古いヨーロッパの糸繰イスからヒントを得ました」

 なるほど、座がとても小さいのですが、ちゃんと私でもお尻が乗っかり座り心地がいいです(笑)
 「人間の体形は昔とそれほど変わらないので、今でも使えます。動かしやすいので靴とか履き替えるのに便利です」

大田ご夫妻大田ご夫妻 これらは漆が塗られていますが、どんな工程ですか
 「拭き漆(うるし)仕上げといって、漆を拭き取りながら5回の工程で仕上げています。拭き取るたびに深みが増していくように」

 製作に使う道具とかはどんなものですか
 「(工房に案内されて)ここにあるのはカンナですが、それぞれに用途が違っていて、大きいのからこんな小さいもの、刃の形も平たいのからカーブしたもの、南京ガンナ、蝉ガンナそれぞれの工程で使い分けます」

大田ご夫妻 端材で作った小物類も見せてください
 (久美子)「はい、それは私が製作しているんですが、茶さじ、箸置きこれはウニ用のスプーンです。ウニが味わえるようにメープルで作りました。こちらは、トモ木で作ったモビールです」

 わぁ、木の温もりがこんなに小さいものでも伝わってきますね
 (久美子)「ええ、その通りだと思います」

 ありがとうございました 

 太田秀世家具工房」←ホームページはこちら

 

(記者感想)

太田家具工房 (三宅 優)太田さんのお話は、以前より当新聞編集長(勝部)より 「中田の醤油屋だった家に移住して来た人がいて、それが面白い人なんだ、夫婦で岡大を出て家具職人をやってるんだ・・・」と聞かされていた。
 「へー、そりゃあ興味がありますねえ」と言ったものの中々、訪れる機会がなかった。
 今回、お邪魔して、当初、抱いていた家具のイメージと随分違っていた。木材選定から設計、製作まですべてを行う、よって2つと同じものがない、まさにオンリーワン。
 イスの表面を覆うつややかなべっ甲色の漆、現代風に明るい木肌を表に出したオイル塗の飾り棚、作家のモノ作りに対する思いが伝わる。

大田ご夫妻 ところで冒頭にも述べたが建部町における空家の問題は、これといった解決策が見つからない実情。そんな中、特集でもお伝えしているように「たけべ空き家おこしプロジェクト」が発足、空家を活かしていく取組みが動き出した。今回の太田さんの移住は、その意味で好事例となる。
 大きな居住空間、音や埃をあまり気にかけなくてもいられるのは田舎だからこそのメリット。 実は記者もここに移住するにあたり、アイターンホームさん、商工会、景山建設さんと、お世話になった経緯がある、これも奇遇。
 それと元、醤油屋さんのお家には、地元郷土史家の神原英朗先生に何度か案内をして頂いた。入口に付けられている門は通称「乳門(ちちもん)」と呼ばれ、女性のお乳の形に似た飾りがほどこされているからとのこと。明治に池田家が居を移して取り壊しになった際にここに移築された。
 かつて多くの職人が住んでいた町に、今、新たに職人がやって来た。歴史の巡り合わせとしか言いようがない、この好循環がさらに拡がり「モノ作りの町たけべ」が形成できる日を夢見るのも悪くない。

 (三宅 美恵子)「材木はついつい縁があると手元に置きたくなるんです(笑)」と太田さん。その通りこんなワイルドな無垢の一枚板が並んでいるとは思わなかった。
 中でも、はるばるアフリカからやって来たブビンガの大板は加工するのがもったいない、眺めているだけで幸せな一品。お話を伺い、木がこれほどまでに奥が深いんだと 初めて知った。  そんな太田さんが作る家具は使う人に寄り添い、使うほどに愛着が増す。 大原麗子のウィスキーのTVコマーシャルじゃないけど「なが~く愛して」そんなフレーズが浮かんだ。

 別れの時は、新しい旅立ちの時・・・ 2020年3月31日発信

入野さん 町内の関心がコロナ一色、「自分も危ないかも・・・」、「いやいや、建部は大丈夫・・・」不安と憶測が入り乱れる。
 そんな中、気がつくと明日から4月。予断を許さない状況とは言え、日本社会では今まで通りに事が動く。公務員の人事異動。
記者の周りでも何人かが退任、転勤と決まった。建部町公民館では3人が離れることに。そのうちの一人が入野曜子さん。

マスク 赴任から7年、彼女が関わった数々の公民館企画。「建部の歴史を学ぶ」「ESD世界大会」「タネピリカ」「トライ&トライピアノコンサート」 「未来塾」「たけべおこしプロジェクト」「タイムカプセル」「だっぴ」「たけべマルシェ」「小学校防災キャンプ」「夏休みお化け屋敷」「フードバンク」「たけべ部」、そして「建部はっぽね太鼓20周年コンサート」での見事なナレーション。

入野さん まだまだあるに違いないが、そのどれもが彼女の果たした役割が大きい。先日は県内の全公民館が選ぶ最も優秀な活動で「たけべ部」がグランプリに輝いた。
 そんな入野さんの次なるステージは足守公民館だ。
 「ここからも近いし、またちょくちょく来ます」と挨拶をしてくれたが、ちょっぴり寂しいのは変わらない。
 別れはいつだって、新しい旅立ちの時、笑って送るとしよう。

 (取材・写真 三宅 優)

 

「こんな時だからこそ」第2弾!マスク作りボランティアの活動 2020年3月25日発信

マスクマスク 取材自粛ぎみの当新聞だが、「oniビジョン」の松本記者から、ボランティア建部の会でマスクを作って配るそうですとの情報。
 そうか、さすが建部のご婦人たち動きがいいなあとマスク着用で社会福祉協議会のある「老人センター」に赴く。
 会場入り口で身振り手振りで松本記者に説明をしていたのはボランティアの佐々木会長さん。
 「ニュースで高校生が600枚のマスクを作ったのを聞いて、私も作ってみたんです。これまで会では、ふれあい給食を一人暮らしのお年寄りに届けていたんです、安否確認も含めて。それが、こんな時になって弁当がくばれなくなって、そうだ、じゃあマスクを配ろうって。それで何人かに話したら、お弁当の代わりに配ってあげようやーとみんなが賛成してくれたんです。で、今日と明日で170枚作れたら、そこから来週にかけて届けることにしたんです」

マスクマスク 材料は持ち寄り、端切れ、市販布、家にあった布、それを洗ってノリを落として使う。ところが見つからなかったのがゴム紐、どこも買い占められたようで無い。
 散々探して、意外やすぐ近く商店街の「中田文具店」で発見、灯台下暗しとは正にこのこと。
 ボランティアの人数は約30名、ということは一人5~6枚を製作せねば。
 「もうなあ、目も悪いし、指もよう動かんからなあたいへんじゃ」そう言いながらも針で1目、1目を縫っていくさまは、昔取ったきねづか。
 「最近はもうこんなことせんからなあ、ミシンの方が早いし・・・」いえいえ、手際のよさに感心。
 布を裁断する人、縫製をする人、途中登場したミシン掛けする人、役割分担よろしくマスクが順調な生産体制に入る。

マスクマスク 手を動かしながらも会話は続く。その内容はやはり「もうどうなるんじゃろうなあ、コロナ・・・」
 「何もかもが中止になってなあ、ホントにどうなっていくんじゃろう・・・」

 そうだね、ついつい気持ちが暗くなるよねえ、でも、こんな時だからこそボランティアの活動が勇気を与えると思うよ。
 記者の感想にoniビジョン松本さんも「そうですね、こうやってみんながすぐに集まって、やるというのがすごいですよね」
 きっと来週には、手作りマスクを付けたお年寄りの姿が町内であちこち見られるだろう。当新聞グルメレポーター(妻)も試作品を頂きさっそく着用、
 「これで、コロナなんか怖くない!」(当グルメレポーターの一言)

 (取材・写真 三宅 優)

「こんな時だからこそ」建部の学童ボランティアの活動 2020年3月23日発信

学童学童 コロナウイルスのため里山祭りが中止になりホッと(笑)していたら、市場の里山会員のメンバー達から、市場地区で今月初めから「市場コミュニティ」で子供たちの学童保育をしているという情報をもらった。
 何か手伝えることはないかと問いかけた所、工作やレクリェーションで子供たちに体験活動を提供しようと話がまとまる。さっそく、子供たち同様にしっかり手洗い、うがいなどして活動開始です。
 3月13日の朝8時半から垣本町内会長さん、片山さん、市川さんと共に、水鉄砲や紙鉄砲づくり、ブンブンゴマ、折り紙を使った頭の体操などを一緒に行う。

学童学童 この市場地区は元小学校の校長先生である市川さんを中心に、地域の皆さんが交代交代で子供たちを見守るボランティア活動に参加しています。
 垣本町内会長は「こんな時だからこそ、地域の協力、ボランティアでの手伝いが大切です」との発言、思いがひしひしと伝わってきました。
 隣りの中田地区では、地区内にあります龍淵時で寺子屋が今月7日から始っていました。
取材で伺った日も9人の子どたちが、1時間目は国語、2時間目は算数、3時間目は道徳などと、小学校の時間割と同じように進めていました。 ご住職の浅沼さんに伺いますと、これまでに檀家の子どもたちの夏休み合宿の経験があり、市場地区と連携を取りながら開校したとのことです。
 こんな力が建部地域にあるなんて嬉しいですね。本堂の脇にある掲示板には「陰徳あれば陽報あり」の聖語が掲げられており、まぶしいぐらい輝いていました。

 (取材・写真 勝部 公平)

コロナにも負けず、福渡河川桜はスタンバイOK! 2020年3月20日発信

桜準備 春分の日といえど朝はさすがにまだ寒い。それでも福渡町内の人たちは、午前7時には「建部町産業観光物産案内所」下の旭川河川敷に軍手、長靴姿で集合。約40人がいっせいに草刈り、清掃に動き出す。
 間もなく開花が待たれる桜並木周辺をきれいにしようというこの活動は「福渡愛護会」が呼びかけとなり、今日も大勢の参加を得た。草刈り機を使う人、熊手をかく人、ゴミを集める人、やり慣れている人らの行動は無駄がなく、あっという間に数百メートルにも及ぶ並木道はきれいさっぱり。 

3.113.11 続いての作業は提灯の設営。お花見に定番のこの”ぼんぼり付け”は、一昨年から始まり、夜桜に訪れる人らに好評だ。
 赤、青、黄、緑の提灯を日中に眺めるとこれまた昭和レトロな感じで親しみ倍増。(手前自慢?)
 終わってみると1時間ちょっと、やはり人の力は偉大なり。自分たちの町にある自分たちの桜並木、だから自分たちの手で大事にしよう、 そんな素直な思いでつながるこの町にコロナなんか恐くない?

(写真・レポート 三宅 優)