■今月の「たけべ人(びと)」
建部で活き活きと活動する人にスポット。
建部の抱える大きな課題「空き家の増加」
その中には、まだまだ住めるのに、手を入れれば
見違える様に良くなるのにという家屋もままある。
だれか此処を活かして住む人いないかな?
そんな所へ救世主、歴史ただよう中田新町で
古民家を改造し、仕事場兼住宅として再生した
ご夫婦。家具職人ならではのこだわりの家づくり。
太田 秀世・久美子ご夫妻にお聞きする。
(取材:三宅美恵子 勝部 公平 写真:三宅 優 )
(プロフィール)
太田 秀世(ひでお)
昭和43年 淡路島に生まれる
太田 久美子(くみこ)
昭和41年 浜松市に生まれる
共に岡山大学理学部を卒業後、企業に勤務。
30才で脱サラ(秀世 氏)家具職人の道に入る。
淡路島にて工房を設ける。
岡山県内にて展示会を開催。
平成30年、建部町中田に居を移し、「太田秀世家具工房」を構える。
(勝部 公平)太田さん、元はどちらのご出身ですか ?
(太田 秀世)「淡路です。岡山の大学にいましたので、こちらとのつながりが深くなりました 」
じゃあ、奥様も淡路ですか?
(太田 久美子)「いえ、私は静岡県浜松市です。主人と同じ岡山大学に通ってました 」
専攻は何ですか?
(秀世)「僕は理学部化学科で、妻は同じ理学部ですが地質が専門の地学科です 」
ホー、それがなんで家具職人になられたのか、とっても興味深いですね
(秀世)「いや、僕は卒業して最初、滋賀県にあるガラスメーカーで普通にサラリーマンをしていたんですが、どうも違うって思って岡山の通信教材を扱う会社に移ったのですが、 たまたまその頃、カヌーで出会った友人が木工工房をやってたんです。モノ作りでお客さんとつながる、それを生業(なりわい)とするそんな世界があるんだと驚きました。それで30歳で倉敷の職業訓練学校で木工の勉強を始めたんです」
そのことに対して奥さんはどう思われましたか
(久美子)「私も当時は岡山の地質の会社に勤めてましたので、会社のつまらなさや難しさがわかるので、まあ、やりたいように生きるのがいいのではと(笑) 」
それはまた理解がある、理想的でうらやましい
(秀世) 「いやぁ、若気のいたりですが、そういう人間らしい生き方がしてみたかったわけで・・・」
それでじゃあ、どういうふうに道を開かれたのですか
(秀世) 「淡路に戻りまして、そこに仕事場を設けました。最初はゼロからで、特定のお店とかないので、倉敷で15年、展示会をやってきてコツコツお客さんとの信頼関係を築いてきました。今は市内の岡ギャラリーでも開いています」
今は奥さんもいっしょにやられているそうですね
(久美子)「はい、主に漆(うるし)は私がやっています。オイル塗とかも 」
二人で一つのモノを作り上げる、素晴らしいなあ。そもそも、建部に越して来られた経緯については?
「淡路からだとこちらに来るのにも不便なことがあって、こちらで良い所はないかと探していたんです。もともと、私たちの仕事は音や埃とかが出るので、 倉敷にも友だちがいて市内ではなかなかやれないということも聞いて、じゃあ建部あたりが良いのではと。最初、市役所に相談したら、商工会に聞いたら言われまして古民家はありませんかと尋ねたんです。そしたら景山建設さんを紹介して頂きました。景山さんに、木工をやりたいんだがとお話して、なら不動産屋さんのアイターンホームさんの物件がいいのではとなりました」
ここはもともと醤油屋さんだったんですよね?
「ええそうです、今もこうして醸造に使われたいた道具とか甕とかが置いてあります。どれもとても味のあるものだと思います。 実はここに来るまでに足掛け3年かかっています。持ち主さんとお話をして、この建物の雰囲気を残してくれるならということでご了解をいただいたのが2年前で、 2月3日に決まりました。それから、ここをどういうふうに直そうか、できるだけ今の家を活かしたかたちにするにはどうしたらいいか、あれこれ試行錯誤しながら進めて来ました」
この大きな機械(製材用)とかは向こうから運ばれたんですか
「はい、ここに移ることが決まってからも、淡路の作業場の片づけで、引越しまでに数か月かかりました。ほとんどは自分たちで車で運んだのですが、こういった大きな機械もあるので、時間がかかりました。最終的には2年前の9月半ばに、すべて終えました。7月7日の豪雨の時は建部に避難していましたけど」
今、後ろに新しく建てられたお家には、奥さんのご両親がお住まいだとか
「ええ、妻の両親に住んでもらっています」
それはいいことだ、奥さんも安心でしょう。ここに来てからはどんなふうに感じてますか
「歴史のある町に入ってくるので、どういうふうに受け入れてくれるのだろうと不安だったのですが、でも持ち主さんも一緒にご挨拶に回ってくれて思った以上に温かく迎えてくれました」
いいスタートですね、最後に、理想を追い求めた感想とこれからの目標についてお聞かせください
「やってみて、大変だとつくづく思います。これで生計を立てるのがいかに難しいか、モノ作りでやっている人はどなたも苦労されていると思います。今は注文家具を中心に仕事をしているのですが、ちょっと太田さんに頼もうかなっという感じで注文を受けて図面を引いてやっています。そういうお客さんとのつながりを本当にありがたく思います 。 目標と言うんじゃないんですが、大きな所に所属するとかでなく自立してやりたい、注文家具(別注家具)で私たちは私たちのスタイルでやる、そんなふうに考えています。二人でやっているので多くはできないし、注文を受けてからなので作り置きも出来ませんから 」
ありがとうございました
(後日談)
実はこの取材には後日談があり、当新聞グルメレポーター(三宅美恵子)から家具作りについてもっと聞きたいとの要望があり再び訪ねた。
(三宅美恵子)ここにズラッと立てかけてある木材が家具の材料になるわけですか
(太田 秀世)「ええ、ここに置いてあるものは日本全国、中国からも取り寄せた材木ですが、この状態から機械で必要な厚さに落としていって、ソリを取って、というのも必ず木はそっているので両側のソリを削って平らな板にするわけです。場合によっては丸太で買って乾燥させて製材する場合もあります」
どんな種類の木がありますか
「タモ、ナラ、クリ、セン、ケヤキ、トチ、ツゲ、クルミ、カバ、クロガキ、コエマツ、クワ、ヒメコマツ・・・とか広葉樹が多いです」
これで何年くらい経ちますか
「そうですね、最低でも3年は乾燥させないといけませんからね、それ以上ですね」
木によってまったく木目というか、木肌が違いますが、どういう使い方をされますか
「う~ん、それは何を作るかによって、またはどんな大きさのものか、一枚板の大きなテーブルの場合は自ずと大きい素材が必要となりますし。 こういったイスですと使う人の体に合わせた木を選んだり、座の部分の木目を活かす使い方をします。奥のチェストはセンの木とタモを使っていますが、 木種を変えることで見た目に重くならない工夫をしています。板目と柾目を組み合わせたり、観音扉の左右を微妙に違えたりといったことも。 やはり材木は形との出会いですからね」
デザインはどのようにして起こされますか
「私は、過去の優れた作品とかから学ぶことが多いです。例えば人間国宝の黒田辰秋さんのこういった重厚な作品、ジョージ ナカシマという作家のこのイスとかも勉強になります。このイスは古いヨーロッパの糸繰イスからヒントを得ました」
なるほど、座がとても小さいのですが、ちゃんと私でもお尻が乗っかり座り心地がいいです(笑)
「人間の体形は昔とそれほど変わらないので、今でも使えます。動かしやすいので靴とか履き替えるのに便利です」
これらは漆が塗られていますが、どんな工程ですか
「拭き漆(うるし)仕上げといって、漆を拭き取りながら5回の工程で仕上げています。拭き取るたびに深みが増していくように」
製作に使う道具とかはどんなものですか
「(工房に案内されて)ここにあるのはカンナですが、それぞれに用途が違っていて、大きいのからこんな小さいもの、刃の形も平たいのからカーブしたもの、南京ガンナ、蝉ガンナそれぞれの工程で使い分けます」
端材で作った小物類も見せてください
(久美子)「はい、それは私が製作しているんですが、茶さじ、箸置きこれはウニ用のスプーンです。ウニが味わえるようにメープルで作りました。こちらは、トモ木で作ったモビールです」
わぁ、木の温もりがこんなに小さいものでも伝わってきますね
(久美子)「ええ、その通りだと思います」
ありがとうございました
「太田秀世家具工房」←ホームページはこちら
(記者感想)
(三宅 優)太田さんのお話は、以前より当新聞編集長(勝部)より 「中田の醤油屋だった家に移住して来た人がいて、それが面白い人なんだ、夫婦で岡大を出て家具職人をやってるんだ・・・」と聞かされていた。
「へー、そりゃあ興味がありますねえ」と言ったものの中々、訪れる機会がなかった。
今回、お邪魔して、当初、抱いていた家具のイメージと随分違っていた。木材選定から設計、製作まですべてを行う、よって2つと同じものがない、まさにオンリーワン。
イスの表面を覆うつややかなべっ甲色の漆、現代風に明るい木肌を表に出したオイル塗の飾り棚、作家のモノ作りに対する思いが伝わる。
ところで冒頭にも述べたが建部町における空家の問題は、これといった解決策が見つからない実情。そんな中、特集でもお伝えしているように「たけべ空き家おこしプロジェクト」が発足、空家を活かしていく取組みが動き出した。今回の太田さんの移住は、その意味で好事例となる。
大きな居住空間、音や埃をあまり気にかけなくてもいられるのは田舎だからこそのメリット。 実は記者もここに移住するにあたり、アイターンホームさん、商工会、景山建設さんと、お世話になった経緯がある、これも奇遇。
それと元、醤油屋さんのお家には、地元郷土史家の神原英朗先生に何度か案内をして頂いた。入口に付けられている門は通称「乳門(ちちもん)」と呼ばれ、女性のお乳の形に似た飾りがほどこされているからとのこと。明治に池田家が居を移して取り壊しになった際にここに移築された。
かつて多くの職人が住んでいた町に、今、新たに職人がやって来た。歴史の巡り合わせとしか言いようがない、この好循環がさらに拡がり「モノ作りの町たけべ」が形成できる日を夢見るのも悪くない。
(三宅 美恵子)「材木はついつい縁があると手元に置きたくなるんです(笑)」と太田さん。その通りこんなワイルドな無垢の一枚板が並んでいるとは思わなかった。
中でも、はるばるアフリカからやって来たブビンガの大板は加工するのがもったいない、眺めているだけで幸せな一品。お話を伺い、木がこれほどまでに奥が深いんだと 初めて知った。 そんな太田さんが作る家具は使う人に寄り添い、使うほどに愛着が増す。 大原麗子のウィスキーのTVコマーシャルじゃないけど「なが~く愛して」そんなフレーズが浮かんだ。