福島県在住ライターが綴る あんなこと こんなこと -22ページ目

サイトの更新が止まっていますが・・・

今年、気合いを入れて作成したページ

福興ライターのサイトの更新が止まっています。


商業ライティングの仕事が忙しくなったため

取材をしていながらもとまっていました。

すでに今年もあと1カ月・・・ということで

今、すでに取材させていただいた方の原稿アップに勤しんでおります。

来週には、公開できると思います。

なので、いましばらくお待ちくださいませ。


福島県の今と未来を綴る
福興ライター

11月30日おはよう日本(NHK) で キセキノメイシが紹介されました!


キセキノメイシ とは

障がいをもつ人たちが手書きで書いた名刺です。

ご縁があって、私も以前作っていただきました。

手書きになんともいえないあたたかみがあると

各方面で好評だそうで、取り上げた数々の名刺の中に

私の名刺もとりあげていただきました。


$福島県在住ライターが綴る あんなこと こんなこと-キセキノメイシ武田


この名刺は、先に東京で開催された

「東京デザイナーズウイーク」にも出展し

あの茂木健一郎さんの目にもとまったとか。

素晴らしい職人たちに拍手☆です!



上京して先輩ライターの方にお会いする

先週のことですが、上京して
ライターの先輩のお話を聞く機会がありました。

お一人はかつて一緒に仕事をさせていただいた人。
現在はご自身の会社を設立し、別の仕事をしています。

もうお一人は、私がライターを目指していた頃から憧れていた人。
だから初めてお会いしたときの嬉しさは、今も忘れられなくて。
今はご主人と共に営んでいる飲食業をメインに
小さい子ども向けのイベントを開催したりと
編集者としての腕を、違う方面に活かしていらっしゃいます。

お二人とは、
別々の場でお会いしたのですが
お話を伺う中で、
私が学んだことをみなさんにもシェアします。

まず、かつて一緒に仕事をさせていただいた方からは

 ●自分の強みを知ること

自分が得意なこと、好きなだと思っていることが
必ずしも周りから「強み」と思われていないことがある。
周りが「強み」とみてくれていることを
やったほうがうまくいくことが多い。


 ●自分の見せ方を考えること

これは最初にお話しした「たち位置」によっても変わると思います。
現在経営者として仕事を回している彼女が言うからこそ
説得力ある話だとも思いました。


そしてライターの先輩であり、憧れの編集者でもある方からは

 ●いろいろな材料を、どう組み合わせたらいいか
  できあがった結果が、かかわったすべての人にとって
  幸せなものになるように物事を運ばせる

私はライターという仕事柄、
一人で物事を進めることが多いです。
もちろんチームでプロジェクトを進める場合も
それぞれの役割分担が明確になっていることが多い。

一人でできる。ということは、
責任を伴うことですから
それ事態はOK。

でも、物事は複数で回した方がうまくいくことも多いのです。
ただ、人数が増えれば増えるほど、その調整は大変です。
自分の思うように事が進まないこともあるでしょう。
それに耐えるようなプロジェクトが私にできるか。
それを問われたような気がしました。

非常に濃い1日でした。

お二人に会い、お話しできたことが
来年の自分の仕事に活かせるよう
私もがんばりたいと思います。


次にお二人に会えるのが、今からとても楽しみな私です。




自分史活用アドバイザー

サイトにも掲載いただきました。
みなさまからのご用命を、心からお待ちしております。

自分史活用アドバイザーになりました(社)自分史活用協議会認定

本日は、お知らせのみです。

9月に認定講座を受講し、この度

自分史活用アドバイザーになりました。


人の生き様、歴史には

子どもの頃から興味がありました。

歴史が好きな中で、伝記を読むのがとりわけ好きな少女でした。


ひと様の生き様を伺うのも好き

それを文章にまとめるのも好き

でしたが、仕事として意識しだしたのは

3.11の震災後です。


今回取得した 自分史活用アドバイザーの資格を

福興ライターの仕事に活かしていけるよう

仕事を生み出したいと思っています。


ご自身の生き様の記録が、郷土の記録、

福島の記録にもつながるかもしれません。

私に、そのお手伝いができれば、何よりも嬉しいです。



自分史活用アドバイザー

サイトにも掲載いただきました。

みなさまからのご用命を、心からお待ちしております。



「八重の桜」に学ぶ 共感の集め方

NHKの大河ドラマ「八重の桜」には
登場人物のセリフに、共感できることが多々あります。

作者は登場人物を通して
今の世相や福島県人の気持ちを代弁するように
務めていると聞きました。

さて。

11月24日20時からの放送は
八重の夫 新島襄が 同志社大学設立に向けて
多額の資金を集めるために奔走する場面が描かれていました。

その中で私が感動、共感したシーンがあります。


●新島襄の教え子 徳富蘇峰が、
自身の発行する雑誌に
『同志社大学設立の旨意』を掲載。

その記事は他誌にも転載されます。
その前に来訪した新島夫妻に勝海舟がいうセリフ

 「多額の金額を
数名のお金持ちから集めたものよりも
一人1円の寄付を
千人の読者から集めた金額が同じだとしたら
どちらが重いだろうか」(意訳)



現代社会は「共感」の時代です。

私利私欲は人々の共感をよびません。

ただ、多くの人の共感を呼ぶためには・・・

そのための仕組み作りが大切だと言われています。


同じ事をすでに明治の時代に
次世代を創り出そうとする人たちがやっていたのだと。

そのことを今回の大河ドラマで初めて私は知り
感動しました。


ドラマ「八重の桜」を通して
先人たちに学ぶこと。
まだまだたくさんありそうです。


福島県の今と未来を記録する
福興ライター


TOMORROW|明日へ ~10/9放送 語り継ぐ旅 ~ を見て 6

震災当時と、その後のことを書き綴ったのは

ある出来事がきっかけです。


弱い私は、自分の中にしまっておくことができず

自分の苦しい心を周りに伝えてしまいました。

それを聞いたお一人が、言われたのです。

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いろんな考えの方がいて、いろんなつらい事があって、、、

でも生きていかなきゃいけない。

僕も胸に刺さる痛みは数知れず経験しました。

最近ようやくその痛みを感謝できるようになりました。

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旅行業界で広く活躍されたのち

眼の病気で、やむを得ず退社され

幸いにも障害者手帳を手にすることはなかったそうですが

長く療養した方の言葉です。



先にご紹介したように、私の住む地域は

津波による被害はありませんでした。

地震による被害も一部地域です。


それでも、それ以上に放射能に関する

見えない人たちから受けた、多くの言葉に傷つきました。


私自身、今でも震災のことに話が及ぶと

心のどこかが狂います。


「あなたライターでしょ」と言われると、

今も複雑な気持ちで受け止めてしまいます。



福島県の今と未来を綴る

福興ライター





TOMORROW|明日へ ~10/9放送 語り継ぐ旅 ~ を見て 5

「社長、私インタビュー集を書きたいんです」

と、自分の気持ちを話し、社長から承諾を得たのち

私は当時お世話になっていた「経営革新塾」の集まりに出ました。


経営革新塾では、あの頃

震災後の私たちに何ができるかを

事業主の立場で話し合っていました。


仲間の中には、浪江町から避難された人たちのお世話を

ボランティアでやっている人もいました。

その席で自分の思いを話し、協力者を求めました。


「震災に関するインタビューをしたい。

それを文章にして、福島県から発信したい」


10数人いた革新塾の仲間の

過半数の方から賛同をもらいましたが

実際インタビューに応じてくれた方は、わずかでした。


それも、そのはず。

震災から半年もたっていなかったあの頃

原発事故による放射能汚染のことも

理解できないまま

多くの人たちは不安な気持ちを抱えていました。




人が、自分の気持ちを他人に話すとき、

それも苦しい気持ちを話すとき

段階があると感じています。


 ・自分の気持ちを整理する
 
から

 ・まとめた気持ちを人に伝える


までのステップは、人によって様々です。


何よりも

  インタビューをやりたい! 


と言った私自身の気持ちが

まだ揺れ動いていた頃でした。


夫からは、こう言われました。


「自分のことを聞かれるのが嫌なくせに

なぜ他人の話を聞きに行こうとするんだ」と。





改めて冒頭に書いた話

「あなたライターでしょ」

と言われたエピソードに戻ります。



私がインタビューをはじめようと思った

そもそものきっかけは、出版社社長の一言からでしたが

気持ちがまだ前を

向ききれていないのにもかかわらず

はじめられたのは


「書くことで何かをしなければ」という

義務感に似た気持ちの方が強かったのです。



福島の今と未来を言葉で綴る
福興ライター

TOMORROW|明日へ ~10/9放送 語り継ぐ旅 ~ を見て 4

「福島県と原発事故のことを本にしたい。

武田くん、書いてくれないか」


社長の言葉に唖然としたものの、

私だって福島県のことが大好きです。

それに震災直後、自分が何もできなかったことを悔やんでいます。

自分の弱さを悔やんでいます。


書くことで、お役に立てるなら

求められているならやりましょう!


そんな気持ちで取材に出ました。

毎日新聞をながめ、新しいことがあると

県庁に電話。取材のアポを取りました。


その一方で、放射線に関する本を読みあさりました。

理系に疎い私には、一般書すら難解でしたが。


取材が進まない。

苦しい心を抑えながら書いた4万文字の文章。

まるで教科書のようでおもしろくなかった。

もがいているうちに専門家の著作が、次々と販売されたのもこのころです。


一度書き上げた4万文字を、出版社の編集会議で

「まぁ、様子を見ましょう」という結果になった。

それを聞いたときに言いました。

「私、インタビュー集を書きます。書きたいんです」と。

(つづく)


福島の今と未来を綴る
福興ライター

TOMORROW|明日へ ~10/9放送 語り継ぐ旅 ~ を見て 3

私の住む福島県中通り地方は

地震による被害はあったものの

幸いにして津波の被害はありませんでした。


しかし我が福島県には、原発事故が発生しました。

美しい風土とおいしい食べものに恵まれ

のんびりと生きてきた(ように思える)

人々の生活は一変しました。



福島県民だけが、慌てているならまだいい。

周りの人たちの反応がすごかった。

日本だけではなく、世界から反響がありました。


ありがたい援助があった。


一方で中傷めいた、

人々の心の傷を逆なでするような

話もたくさんあった。


不幸なことに、

その一部は「自分は正しいことを言っている」

という信念の元に発信されたものだったことです。


さらなる不幸は、多くの人が、発信に振り回されたこと。

少なくない数の友人が、家族が

「福島県をでる」「福島県に残る」で言い争いました。


うずくまっていた私は、その後どうしたか。


混乱した心が整理され、ガソリンの供給が安定した頃

お世話になっている出版社に行きました。

私の親くらいの年令の社長のことが心配でした。

震災のショックで、体調を壊していないだろうかと

思ったのです。


お会いすると社長は元気でした。

出版人としての信念に燃えていました。

彼は私に言ったのです。



「世界でまれな事件が起きた、この福島で。

私は、そのことを本にしたい」と。

(つづく)




福島県の今と未来を綴る
福興ライター

TOMORROW|明日へ ~10/9放送 語り継ぐ旅 ~ を見て 2

昨日は、南相馬市のスタディツアーのツアーガイドさんのお話をしました。

彼女が、なぜガイドをやっているのか。

自身のつらい体験と向き合い、話をしているのか。

ご自身の気持ちを整理している・・・


という言葉を聞いたときにハッとしたのです。

私は記録することを通して、同じ事をしていると。


3.11の直後、私はうずくまっていました。

どうしようもなく混乱した、自分の心を抱えて。



そんな思いをツイッターで吐いてたんでしょうね。

「でしょうね」と書く理由は、

当時の記憶が、すでにうすぼんやりしているから。

自分がつぶやいていた言葉を思い出せないのです。


ただ「あなたライターでしょ」と

何人かの人から言われたことだけは

はっきり覚えています。


顔も知らない匿名の人からは

ライターとしての基本的な表現が

できていないことを指摘。攻撃されました。


顔を知っている人からは

うずくまっている私を励ます気持ちを感じました。


でも、でも、あの当時は 

その気持ちに応えることなんて

とうていできなかった。



・・・すこしたってから家族に言われました。

あの当時、家族の中で、一番私が荒れていたと。

(つづく) 


福島の今と未来を綴る
福興ライター