福島県に医科大学を! 署名運動にご協力ください
「東北に医科大学を建設する」
国が方針を出したそうです。
呼びかけに対して、現在仙台で2箇所
名乗りを上げているとか。
ここ福島県では、
原発事故という不幸な出来事がありました。
福島県立医大では、放射線に関する
医療の専門課を育てると言っていますが
全国で3番目に広い福島県です。
それだけで足りるでしょうか。
現在、福島県郡山市にある医療機関が
医科大学誘致の署名運動を開始しました。
また先日は、県内の有識者をパネリストに
意義豊かなシンポジウムが開かれ、平日にもかかわらず
会場は参加者で、ほぼ埋め尽くされたと聞いています。
署名はWEBから簡単にできます。
私も早速署名してきました。
福島県の医療の未来を願うみなさん、
ぜひ署名にご協力ください。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
http://www.minamitohoku.or.jp/daigaku.html
国が方針を出したそうです。
呼びかけに対して、現在仙台で2箇所
名乗りを上げているとか。
ここ福島県では、
原発事故という不幸な出来事がありました。
福島県立医大では、放射線に関する
医療の専門課を育てると言っていますが
全国で3番目に広い福島県です。
それだけで足りるでしょうか。
現在、福島県郡山市にある医療機関が
医科大学誘致の署名運動を開始しました。
また先日は、県内の有識者をパネリストに
意義豊かなシンポジウムが開かれ、平日にもかかわらず
会場は参加者で、ほぼ埋め尽くされたと聞いています。
署名はWEBから簡単にできます。
私も早速署名してきました。
福島県の医療の未来を願うみなさん、
ぜひ署名にご協力ください。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
http://www.minamitohoku.or.jp/daigaku.html
自然に人が集まってくる方の特徴
地域興し、まちづくり
という言葉が盛んになっています。
まちづくりに関する団体を立ち上げる人も多い。
その一方で、地域興しの旗をあげなくても
その人の周りに、自然に人が集まっている人もいる。
なぜか?
その人が仕事で、あるいは別のことで
地域の人たちの役に立っているからです。
震災後、インタビューした方に
別の取材でお話を伺う機会に恵まれました。
その方のお話を通して知った発見です。
という言葉が盛んになっています。
まちづくりに関する団体を立ち上げる人も多い。
その一方で、地域興しの旗をあげなくても
その人の周りに、自然に人が集まっている人もいる。
なぜか?
その人が仕事で、あるいは別のことで
地域の人たちの役に立っているからです。
震災後、インタビューした方に
別の取材でお話を伺う機会に恵まれました。
その方のお話を通して知った発見です。
ふるさと散歩(安積・本宮・須賀川・田村編)
ブログの更新を怠っているうちに、桜も満開になりました。
ゆっくりお花見はできませんでしたが
道すがら見る、美しい花たちから元気をもらっています。
日々、パソコンに向かいながら
今年は特に5年前の仕事のことを思い出します。
桜の開花を待って、
郡山市内、本宮市、須賀川市、そして三春町をめぐった日々。
たくさんの神社・仏閣から目に見えないチカラをいただきました。
ふるさとの自然は美しい。
「ふるさと散歩(安積・本宮・須賀川・田村編)」
ゆっくりお花見はできませんでしたが
道すがら見る、美しい花たちから元気をもらっています。
日々、パソコンに向かいながら
今年は特に5年前の仕事のことを思い出します。
桜の開花を待って、
郡山市内、本宮市、須賀川市、そして三春町をめぐった日々。
たくさんの神社・仏閣から目に見えないチカラをいただきました。
ふるさとの自然は美しい。
「ふるさと散歩(安積・本宮・須賀川・田村編)」
日経ウーマン4月号に取材記事が掲載されました
ご報告が遅れましたが、現在発売中の
「日経ウーマン4月号」
特集「東日本大震災から3年 これから私たちにできること」
に取材記事が掲載されました。
●「お友達になりましょう」をキャッチコピーに
福島県を紹介したり、
福島県に縁ある女の子たちのお姉さん役として
リーダーシップを発揮している 鎌田千瑛美 さん
●双葉町で300年にわたり、酒造りを続けてきた
その酒蔵の再興を目指し、
日々走り回っている 冨沢真理 さん
●自らを「宮城復興大使」と名乗り、
宮城県民の力で、宮城県の復興を!
をキャッチコピーに活動している 澁谷直美 さん
の3人の輝く女性を取材させていただきました。
また「被災地支援のためにわたしたちにできること」
のページも一部、係わらせていただいてます。
書店などで手にとってくださるとうれしいです☆
福島の今と未来を言葉で綴る
福興ライター
「日経ウーマン4月号」
特集「東日本大震災から3年 これから私たちにできること」
に取材記事が掲載されました。
●「お友達になりましょう」をキャッチコピーに
福島県を紹介したり、
福島県に縁ある女の子たちのお姉さん役として
リーダーシップを発揮している 鎌田千瑛美 さん
●双葉町で300年にわたり、酒造りを続けてきた
その酒蔵の再興を目指し、
日々走り回っている 冨沢真理 さん
●自らを「宮城復興大使」と名乗り、
宮城県民の力で、宮城県の復興を!
をキャッチコピーに活動している 澁谷直美 さん
の3人の輝く女性を取材させていただきました。
また「被災地支援のためにわたしたちにできること」
のページも一部、係わらせていただいてます。
書店などで手にとってくださるとうれしいです☆
福島の今と未来を言葉で綴る
福興ライター
4年目も「ふくしまが好き」
昨日の あの時刻は 結局1人で自宅にいました。
長男は市内にあるショッピングモールで
まだ学校にいた二男は、校内放送の呼びかけで
そして夫は 勤務する会社で
あの時間、黙祷をしたそうです。
夜、久しぶりに あの曲を
ユーチューブで聞き、号泣しました。
学校が長く休校になり
自宅にいた子供たちが、
度々ビデオで聞いていたあの曲を。
▼『I love you & I need you ふくしま』猪苗代湖ズ
あの当時、県北の友人たちは別の歌を
好んで聞いていました。
当時は、ピンときませんでしたが
今、改めて聞くとチカラがわいてきます。
▼ave 福の歌~頑張っぺver.
今日から4年目。新たな1歩です。
大好きな福島県のみなさん
福島県を愛するみなさん
共に歩みを進めましょう。
福島の今と未来を言葉で綴る
福興ライター
長男は市内にあるショッピングモールで
まだ学校にいた二男は、校内放送の呼びかけで
そして夫は 勤務する会社で
あの時間、黙祷をしたそうです。
夜、久しぶりに あの曲を
ユーチューブで聞き、号泣しました。
学校が長く休校になり
自宅にいた子供たちが、
度々ビデオで聞いていたあの曲を。
▼『I love you & I need you ふくしま』猪苗代湖ズ
あの当時、県北の友人たちは別の歌を
好んで聞いていました。
当時は、ピンときませんでしたが
今、改めて聞くとチカラがわいてきます。
▼ave 福の歌~頑張っぺver.
今日から4年目。新たな1歩です。
大好きな福島県のみなさん
福島県を愛するみなさん
共に歩みを進めましょう。
福島の今と未来を言葉で綴る
福興ライター
3月11日の過ごし方
雪の朝で迎えました。
あの日の夕方降りはじめた粉雪を思い出します。
寒い中、避難所に避難した方々のことを想像します。
今日は家で、ふだん通りに過ごすつもりです。
・家族が無事でいること。
・寝る家があることに感謝した日
だからです。
いわゆる「被災地」にいなくても
あの日、そのことを痛感した方が多いはず。
あのときを思い、黙祷しましょう。
共に未来に向かって歩みましょう。
自分のできることで、一歩、一歩。
「日経ウーマン」4月号
●東日本大震災から3年
これから私たちにできること
インタビュー・執筆させていただきました!
福島の今と未来を言葉で綴る
福興ライター
あの日の夕方降りはじめた粉雪を思い出します。
寒い中、避難所に避難した方々のことを想像します。
今日は家で、ふだん通りに過ごすつもりです。
・家族が無事でいること。
・寝る家があることに感謝した日
だからです。
いわゆる「被災地」にいなくても
あの日、そのことを痛感した方が多いはず。
あのときを思い、黙祷しましょう。
共に未来に向かって歩みましょう。
自分のできることで、一歩、一歩。
「日経ウーマン」4月号
●東日本大震災から3年
これから私たちにできること
インタビュー・執筆させていただきました!
福島の今と未来を言葉で綴る
福興ライター
「恋するフォーチュンクッキー」福島編 みんな見てね★
今、フェイスブックの私の友人たちの間で
話題沸騰★
それは・・・
「恋するフォーチュンクッキー」福島編が
ユーチューブで公開されたからです。
各地で活躍するゆるキャラ や、
がんばってる人たち、観光名所が登場しますよ♪
私の住む郡山市からは、がくとくんバンドを組んだ
がくとくんたちが 郡山スペースパークで
踊ります。
みんな見てね~☆
3.11から3年たったからといって
暗いニュースばかりなんて いやだ!
はじけろ★ ふくしまけん!
話題沸騰★
それは・・・
「恋するフォーチュンクッキー」福島編が
ユーチューブで公開されたからです。
各地で活躍するゆるキャラ や、
がんばってる人たち、観光名所が登場しますよ♪
私の住む郡山市からは、がくとくんバンドを組んだ
がくとくんたちが 郡山スペースパークで
踊ります。
みんな見てね~☆
3.11から3年たったからといって
暗いニュースばかりなんて いやだ!
はじけろ★ ふくしまけん!
なごり雪
昨日3月1日は
県立高校の卒業式でした。
震災の年の春、
入学した子供たちが
卒業していきました。
現在、長男が通っている高校が
避難所だった頃
車に残ったガソリンの量を気にしながら
子ども用のアニメビデオを
届けたことを思い出します。
長男は、あの当時から
「将来はこの高校へ」と思っていたらしい。
その理由の一つに
「建物が地震の被害をまぬがれたから」
もあったらしいです。
なぜなら当時中2だった彼は
卒業式の片付けをしていたときに
あの地震にあったからです。
頭の上に落ちてきた
天井からの落下物を間一髪の差で逃れた長男
「もう、あの学校に行きたくない」
あの晩、ふるえる彼と
手をつなぎながら寝たことを
今も思い出します。
長男が「あの学校に行きたくない」
と言っていた中学に
来春から二男が通い始めます。
しかし校舎の建て直しのために、
3年間仮校舎で過ごすそうです。
福島の子供たち、
いえ、東北の子供たちは
私たち大人が子供だったときよりも
ずっと大変な状況の中、子供時代を過ごしています。
でもね、いつも、思うんですよ。
次の時代は、東北の子供たちが作っていくと。
困難を、困難と受け止めた子はそのように
同じ状況を過ごす友だちがいるから
さほど困難と感じずに育つ子はそのように
さながら昭和一桁生まれの
私の父の世代のようにです。
父の世代の人たちは終戦前と
終戦後では真逆の教育を受けました。
つまり日本人のアイデンティを
ひっくり返されたのです。
そのせいか、
あの時代に子供だった人たちは
ぐれた子も、たくさんいたそうです。
でも、その一方で歯をくいしばり、
時代をつくった人もいる。
私の息子たちは、
おそらく普通に成長すると思いますが
普通の中に何か、
一つ石(意志)をもつ大人になってほしいと思います。
今朝の郡山は雪。
なごり雪であってほしい。
福島の今と未来を言葉で綴る
福興ライター
県立高校の卒業式でした。
震災の年の春、
入学した子供たちが
卒業していきました。
現在、長男が通っている高校が
避難所だった頃
車に残ったガソリンの量を気にしながら
子ども用のアニメビデオを
届けたことを思い出します。
長男は、あの当時から
「将来はこの高校へ」と思っていたらしい。
その理由の一つに
「建物が地震の被害をまぬがれたから」
もあったらしいです。
なぜなら当時中2だった彼は
卒業式の片付けをしていたときに
あの地震にあったからです。
頭の上に落ちてきた
天井からの落下物を間一髪の差で逃れた長男
「もう、あの学校に行きたくない」
あの晩、ふるえる彼と
手をつなぎながら寝たことを
今も思い出します。
長男が「あの学校に行きたくない」
と言っていた中学に
来春から二男が通い始めます。
しかし校舎の建て直しのために、
3年間仮校舎で過ごすそうです。
福島の子供たち、
いえ、東北の子供たちは
私たち大人が子供だったときよりも
ずっと大変な状況の中、子供時代を過ごしています。
でもね、いつも、思うんですよ。
次の時代は、東北の子供たちが作っていくと。
困難を、困難と受け止めた子はそのように
同じ状況を過ごす友だちがいるから
さほど困難と感じずに育つ子はそのように
さながら昭和一桁生まれの
私の父の世代のようにです。
父の世代の人たちは終戦前と
終戦後では真逆の教育を受けました。
つまり日本人のアイデンティを
ひっくり返されたのです。
そのせいか、
あの時代に子供だった人たちは
ぐれた子も、たくさんいたそうです。
でも、その一方で歯をくいしばり、
時代をつくった人もいる。
私の息子たちは、
おそらく普通に成長すると思いますが
普通の中に何か、
一つ石(意志)をもつ大人になってほしいと思います。
今朝の郡山は雪。
なごり雪であってほしい。
福島の今と未来を言葉で綴る
福興ライター
お仕事のご依頼、ありがとうございます。
ブログを開設して、早くも9年がたちました。
その間、いろいろなお仕事のご依頼をいただいてます。
ある食品関係のネッショップのメールマガジンの執筆は
その後、女性向けのポータルサイトのメールマガジンの執筆にも及び
今も続けて書かせて頂いてます。
その他、企業紹介のホームページ
結婚相談所のホームページ
行政のPRビデオのシナリオ など。
震災後はさらに、
福島県の現状と復興に関する支援サイトの執筆
新聞社系の雑誌の仕事 など
お声がけ頂くことが増えました。
これも、このブログにきてくださる
みなさんのおかげです。
最近は、福興ライターに関する記事が多くなりましたが
今までの仕事、現在にわたる仕事のご案内は コチラへ
おうけする際の 料金のご案内は コチラに
載っております。
引き続き、みなさんのお役に立つような記事の執筆
「あなたにお願いしてよかった!」と思われるような仕事を目指して
精進して参ります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
その間、いろいろなお仕事のご依頼をいただいてます。
ある食品関係のネッショップのメールマガジンの執筆は
その後、女性向けのポータルサイトのメールマガジンの執筆にも及び
今も続けて書かせて頂いてます。
その他、企業紹介のホームページ
結婚相談所のホームページ
行政のPRビデオのシナリオ など。
震災後はさらに、
福島県の現状と復興に関する支援サイトの執筆
新聞社系の雑誌の仕事 など
お声がけ頂くことが増えました。
これも、このブログにきてくださる
みなさんのおかげです。
最近は、福興ライターに関する記事が多くなりましたが
今までの仕事、現在にわたる仕事のご案内は コチラへ
おうけする際の 料金のご案内は コチラに
載っております。
引き続き、みなさんのお役に立つような記事の執筆
「あなたにお願いしてよかった!」と思われるような仕事を目指して
精進して参ります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
3年前を振り返る(FBの書き込みから)
ある仕事の流れから、3.11当時の自分の心境を
FBのウォールを通して振り返っています。
ふだんは逆に心境を伺う立場なので
時には自分の気持ちの振り返りも大切だなぁと。
今読むと、違和感ある方もいらっしゃると思いますが
私自身は震災があっても「変わらない」自分自身に納得しています。
==================
2011年3月13日
3/12時点で、福島県中通り(郡山市、福島市など)では、
ガソリン、灯油の供給規制に入っています。
営業していないスタンドもあります。我々住民も確保に苦労しています。
被災地外の方、
被災地に入るのは、今時点ではやめてください。
2011年3月13日
原発の事故をご心配されるツイートに感謝しています。
ですが今、一番心痛めているのは、地元住民です。
発信される情報、ご発言内容は、吟味願います。
(いち福島県民より)
2011年3月14日
つらいときに声をかけて欲しいタイプの人と、
そっとしておいて欲しいタイプの人がいる。
今回のことで、それがわかった気がする。
2011年3月15日
原発の今回の事故で、
早々に県外に非難している人のニュースを見てショックだった。
先の大戦で地方に疎開する人たちも、こんな気持だったのだろうか。
避難しようと思えば、避難できる家が私たちにはある。
でも、ここでがんばりたい気持ちもある。
ようやく、この土地の人達と
心を分かち合えるようになったというのに。
辛い時を分かち合えてこそ、仲間だと思うのに。
いいこともあった。
「自然の豊富なところだから、福島県は何があっても大丈夫」
と言ってくださった方がいた。でも、心の疲れを感じているのも事実。
いろいろなことを考えるのを、少しだけやめようと思う。
2011年3月17日
購読している新聞販売店からチラシが入りました。
「ご承知り通りガソリンが枯渇し、当店でも入手困難に陥り、
明日以降の配達業務に支障が生じる恐れが出てきました。
配達車両の燃料が尽きるまでは、ご愛読者の皆様へ
配達努力をさせていただきます。しかし・・・(中略)
なお、余震が続いております。
ご愛読のみなさまもくれぐれもお気をつけください。」
読み終えて、自然に頭がさがりました。
日常を担う一つ一つのご職業の方に感謝。
2011年3月19日
あの時間 で とまっている我が家の時計。
夫曰く「律儀なヤツだなぁ~・笑」
2011年3月20日
アエラの件はひどいね。
昨日読んだ「考える技術・書く技術」に、書いてあったこと。
そもそも日本のマスコミ(新聞)が、政治を批判するのは、
明治維新のときの反政府側、主として旧徳川幕府側の武士だったそうな。
ちなみに福島民友新聞の祖は、自由民権運動の志、河野広中。
・・・だとしても、今回の件は「売らんかな」すぎる
2011年3月21日
心のなかで言いたいことをいっぱい言いたいから
ライターになったわけだけど、
今、心の中をすべていうと、きっと傷つく人がいると。
わかってるから言えないもどかしさ。
みんな善意で動いているのがわかっているだけに。
2011年3月23日
放射能汚染が心配なので、
喜多方に嫁いだ娘さんの避難をのぞんでいるお母さんの話を聞いた。
福島原発からゆうに100キロ離れていても心配な母心。
2011年3月23日
会社命令ですでに避難した家族とか、
近所の市営団地の家族が、避難所生活をおくっていたとか。
ネットには出てこない話が、人に会うと聞ける。
これもまだ我が家にガソリンがあるからなのだが。
求む!スタンド待ち渋滞の解消!
2011年3月26日
ゆうべ5時から夕飯の支度をしていたところ、
長男が「おかーさん、夕飯の支度やけに早いね」と。
続いて・・・「そうか、プレートのせいか」
こんな冗談が出るくらい、子供たちは元気になった。
修了式も、なんにもなくなったけど、
それでも家族そろっていることは幸せなこと。
2011年3月27日
今月の請求書も発行し終えたし、今日はもうネットから遠ざかる。
気持ちの安定のために。あまりにも煩雑な情報が入りすぎてよろしくない。
2011年3月28日
「がんばろう福島 がんばろう東北 がんばろう日本」
ラジオ福島の放送を聞いていると、最近泣けてくる。
2011年3月29日
あ か る い 話 題 さ が し 中。
2011年3月30日
どこにいってもみな、原子力の話をしている。
いつも私は初めて聞いたような顔をして聞き入る。
福島県民がみんな原子力博士になれそうなくらいに熱心に。
これは、ある意味すごいことだと思う。
FBのウォールを通して振り返っています。
ふだんは逆に心境を伺う立場なので
時には自分の気持ちの振り返りも大切だなぁと。
今読むと、違和感ある方もいらっしゃると思いますが
私自身は震災があっても「変わらない」自分自身に納得しています。
==================
2011年3月13日
3/12時点で、福島県中通り(郡山市、福島市など)では、
ガソリン、灯油の供給規制に入っています。
営業していないスタンドもあります。我々住民も確保に苦労しています。
被災地外の方、
被災地に入るのは、今時点ではやめてください。
2011年3月13日
原発の事故をご心配されるツイートに感謝しています。
ですが今、一番心痛めているのは、地元住民です。
発信される情報、ご発言内容は、吟味願います。
(いち福島県民より)
2011年3月14日
つらいときに声をかけて欲しいタイプの人と、
そっとしておいて欲しいタイプの人がいる。
今回のことで、それがわかった気がする。
2011年3月15日
原発の今回の事故で、
早々に県外に非難している人のニュースを見てショックだった。
先の大戦で地方に疎開する人たちも、こんな気持だったのだろうか。
避難しようと思えば、避難できる家が私たちにはある。
でも、ここでがんばりたい気持ちもある。
ようやく、この土地の人達と
心を分かち合えるようになったというのに。
辛い時を分かち合えてこそ、仲間だと思うのに。
いいこともあった。
「自然の豊富なところだから、福島県は何があっても大丈夫」
と言ってくださった方がいた。でも、心の疲れを感じているのも事実。
いろいろなことを考えるのを、少しだけやめようと思う。
2011年3月17日
購読している新聞販売店からチラシが入りました。
「ご承知り通りガソリンが枯渇し、当店でも入手困難に陥り、
明日以降の配達業務に支障が生じる恐れが出てきました。
配達車両の燃料が尽きるまでは、ご愛読者の皆様へ
配達努力をさせていただきます。しかし・・・(中略)
なお、余震が続いております。
ご愛読のみなさまもくれぐれもお気をつけください。」
読み終えて、自然に頭がさがりました。
日常を担う一つ一つのご職業の方に感謝。
2011年3月19日
あの時間 で とまっている我が家の時計。
夫曰く「律儀なヤツだなぁ~・笑」
2011年3月20日
アエラの件はひどいね。
昨日読んだ「考える技術・書く技術」に、書いてあったこと。
そもそも日本のマスコミ(新聞)が、政治を批判するのは、
明治維新のときの反政府側、主として旧徳川幕府側の武士だったそうな。
ちなみに福島民友新聞の祖は、自由民権運動の志、河野広中。
・・・だとしても、今回の件は「売らんかな」すぎる
2011年3月21日
心のなかで言いたいことをいっぱい言いたいから
ライターになったわけだけど、
今、心の中をすべていうと、きっと傷つく人がいると。
わかってるから言えないもどかしさ。
みんな善意で動いているのがわかっているだけに。
2011年3月23日
放射能汚染が心配なので、
喜多方に嫁いだ娘さんの避難をのぞんでいるお母さんの話を聞いた。
福島原発からゆうに100キロ離れていても心配な母心。
2011年3月23日
会社命令ですでに避難した家族とか、
近所の市営団地の家族が、避難所生活をおくっていたとか。
ネットには出てこない話が、人に会うと聞ける。
これもまだ我が家にガソリンがあるからなのだが。
求む!スタンド待ち渋滞の解消!
2011年3月26日
ゆうべ5時から夕飯の支度をしていたところ、
長男が「おかーさん、夕飯の支度やけに早いね」と。
続いて・・・「そうか、プレートのせいか」
こんな冗談が出るくらい、子供たちは元気になった。
修了式も、なんにもなくなったけど、
それでも家族そろっていることは幸せなこと。
2011年3月27日
今月の請求書も発行し終えたし、今日はもうネットから遠ざかる。
気持ちの安定のために。あまりにも煩雑な情報が入りすぎてよろしくない。
2011年3月28日
「がんばろう福島 がんばろう東北 がんばろう日本」
ラジオ福島の放送を聞いていると、最近泣けてくる。
2011年3月29日
あ か る い 話 題 さ が し 中。
2011年3月30日
どこにいってもみな、原子力の話をしている。
いつも私は初めて聞いたような顔をして聞き入る。
福島県民がみんな原子力博士になれそうなくらいに熱心に。
これは、ある意味すごいことだと思う。