1980年のアルバム(その40 Zenyatta Mondatta / The Police)
1980年のアルバム・シリーズ
40枚目に登場するのは・・・
The Police
1980年として2枚目の登場となりますが、その間にあまりにもビッグな存在に
そして初来日公演には行けませんでしたが、自分にとっても、前に登場した The Carsとともに、絶対的なバンドになっていました。
その1980年も後半になった辺り、待望の新曲が登場、タイトルは・・・
Don't Stand So Close To Me
スカ・ビートも導入された、リズミカルでポップな面もあるナンバー
そして、内容は、若い教師と女子学生の禁断の恋・・・
ちょうど教員の経験もあるStingだけに、実話とも言われていました。(笑)
そして、全英チャート No.1
既に日本での人気も爆発のPoliceだけに、早くも話題に
そして日本での邦題は、なんと「高校教師」
これも笑えますが、最初は、「それはヤバいぜ」という邦題だったそうです。
そして待望のアルバム登場、タイトルが・・・
Zenyatta Mondatta
これまた意味不明・・・「ゼニヤッタモンダッタ」、日本語からヒントを得た・・・
そうも言われていましたが、全2作同様、彼らが作り出したことばのよう・・・
そして、このタイミングで、1981年1~2月に2度めの来日公演が決定
今度は、日本縦断で、日本武道館公演も含まれているとのこと
この「ゼニヤッタ~」は、来日記念盤にもなりました。
そして、ここからの第2弾シングルも発表、タイトルは・・・
De Do Do Do, De Da Da Da
これも意味不明の言葉(笑)
そして、米国では、こちらが第1弾シングルでリリースされました。
さてこのアルバム、自分は最初、輸入盤で購入しました。
そちらが先に出た、というだけでなく、安かったからです。(苦笑)
レコーディングは、1980年7月7日~8月7日
オランダ、ヒルフェルスム Wisseloord Studiosにて・・・
The Police、メンバーは・・・
Stingベース、リード・ヴォーカル、バッキング・ヴォーカル、シンセサイザー他
Andy Summersギター、バッキング・ヴォーカル、ピアノ🎹、シンセサイザーベースス他
Stewart Copelandドラムス、バッキング・ヴォーカル
マスタリングは、Marv Bornstein、Frank DeLuna
エンジニアリングは、Nigel Gray
プロデュースは、The Police、Nigel Grayです。
アルバム・ジャケット、デザインは、Simon Ryan
写真撮影、表ジャケットは、Janette Beckman
裏ジャケットは、Danny Quatrochi、Miles Copeland、Watal Asanuma
インナー・スリーブは、Adrian Boot、Akihito Takayama、Anton Corbijn、Danny Quatrochi、Gabor Scott、Janette Beckman、Kim Turner、Michael Ross、Miles Copeland、Watal Asanuma
一部を除いてほぼ全曲、Stingの作品です。
A面1曲目、ギターの音から、ハイハットが刻まれ、Stingの歌
Don't Stand So Close To Meでスタート、前述の通り、邦題「高校教師」
"Young Teacher, The Subject~”物語を語るように歌い・・・
"Don't Stand, Don't Stand So~"とスカ・ビートに合わせて盛り上がってきます。
途中、Andyのギター・シンセサイザー、最後は、Stingの多重録音の歌
そのリフレインでフェイドアウトしていきます。
前述の通り、先行シングルで、全英 No.1、ゴールド・ディスク獲得
第2弾シングルとなった全米 No.10、1981年の全米年間チャート No.71
その他、オーストラリア No.3、ベルギー No.8、カナダ No.2、デンマーク No.1、フランス No.7、西ドイツ No.23、アイルランド No.1、イタリア No.40、オランダ No.3、ニュージーランド No.2、スペイン No.5、南アフリカ No.3・・・The Policeの人気を立証すべく世界中で大ヒット
日本では、チャートの上位には登場しなかったものの、CMに使われたり・・・
それなりの洋楽ヒットとなっていました。・・・
1981年の来日公演はこの曲でスタート、黒いケープを羽織って、アップ・ライト・ベースを手に歌い始めたSting、本当にカッコよかったです。
2曲目、力強くドラムスが打ち鳴らされ・・・
Driven To Tears、Sting が、アフリカの難民の子供たちにショックを受け・・・
貧困問題を取り上げたナンバー、邦題は「世界は悲しすぎる」
その通り、Stingの歌も何気に悲し気な曲調に・・・
途中、"Oh, Oh~"から前衛的なギター・ソロが入り、再び Sting
終始、ドラムスのビートが効果的にバックアップしています。
3曲目、ドラムスにパワフルなベース、そしてギター
When The World Is Running Down, You Make The Best Of What's Stil Around
歌わないと言えない(笑)長いタイトル、邦題は「君がなすべきこと」
力強い演奏をバックに、Sting、ハイ・トーンで熱唱
後半、ベースもフィーチャー、Stingは、シンセサイザーもプレイ
力強く歌のリフレインでフェイドアウトしていきます。・・・
4曲目、ギターのカッティングも軽いタッチで、スピーディーに・・・
Canary In A Coaline、邦題は「カナリアの悲劇」
早口で高音で歌う Sting、「炭鉱の中のカナリア」ということですが・・・
コミカルな感じにも・・・日本では、某雑誌のCMに使われました。
5曲目、一転して、ギターとドラムスでやや重厚なムード、ベースが入って・・・
Voices Inside My Head、邦題は「果てなき妄想」
ファンキーともいえる音をバックに、Sting、"Voices Inside My Head~"
このリフレインで不思議な世界へ・・・後半はかけ声のリフレイン
尚、当時はコンサートのオープニングBGMとして使われ・・・
1981年の日本公演でもライトダウンと同時に流れました。・・・
6曲目、ドラムスから、シンセサイザー音、ギターも入って・・・
Bombs Away、これは、Stewart Copelandの作品
・・・ですが、リード・ヴォーカルは、Sting
当時のソ連のアフガニスタン侵攻のことを歌ったナンバー
それだけに力強く、そしてAndyのギターもフィーチャーされます。
尚、Stewartの作品ということで、彼がAdrian Belewたちと組んだ・・・
Gizmodromeの2018年4月の来日公演のアンコールにプレイされ・・・
思いがけず感動したのでした。・・・
B面1曲目、ドラムスから、ギターのカッティング、ノリよく始まる・・・
De Do Do Do, De Da Da Da、日本表記は「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」
Andyのギターのピッキングに合わせて歌う Sting
"De Do Do Do~"、勿論、Stingが作った言葉で、大盛り上がり
ポップともいえますが、このAndyのギター、Stewartのドラムス
その後の音楽シーンに与えた影響は測り知れないでしょう。
前述の通り、米国では第1弾シングルで、全米 No.10、初のTOP10入り
そして、1981年の全米年間チャート No.57、全英 No.5、オーストラリア No.6、ベルギー No.13、カナダ No.5、フランス No.9、西ドイツ No.15、アイルランド No.2、イタリア No.49、オランダ No.10、ニュージーランド No.8、スペイン No.2、南アフリカ No.4・・・世界中で大ヒット
そして日本、こちらもCMに使われたりしていましたが・・・
何と来日直前、日本語版シングル(作詞は、湯川れい子先生)が発売
1981年の日本公演でこの曲がプレイされた際、Stingが最後に・・・
「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダハ、オレノコトバサ~」
日本語で歌い最高潮でした。
2曲目、エフェクターを効かせたギターの音で・・・
Behind My Camel、Andy Summersの作品、インストゥルメンタル・ナンバー
ベースもAndy、アラビア風の曲調、(当時として)アヴァンギャルドなサウンド
日本では、某洋酒のCMに使われていました。・・・
尚、少し後になりますが、1982年の第24回グラミー賞で、Best Rock Instrumental Performanceを受賞しています。・・・
3曲目、ドラムスから、軽快にスカ・ビート
Man In A Suitcase、邦題は「スーツケースの流れ者」
明るくノリよく歌う Sting、途中、空港の環境音も入ります。
4曲目、静かにドラムスが刻まれ・・・ベースも響き・・・
Shadows In The Rain、Stingの歌は、ややミステリアス・・・
歌の進行とともに、バックには、色々エフェクターを効かせた音が・・・
力強いドラムスとともに挿入されます。
尚、Stingの1985年のアルバム The Dream Of The Blue Turtlesでは、アップ・テンポのジャズ風にアレンジされ、セルフ・カバー
同年のお台場でのSuper Rock '85での来日公演では、オープニングにプレイされました。
5曲目、ベースとドラムスに、ギターが加わり・・・
The Other Way Of Stopping、邦題は「もう一つの終止符」
Stewart Copelandの作品で、インストゥルメンタル・ナンバー
Stewartのドラムスを中心に、シンプルながら躍動感のあるサウンド
まさにクロスオーバーといえるこのナンバーで幕を閉じます。
尚、CDの時代になり、2005年に日本でリリースされたエンハンスドCDには、映像部分に、Don't Stand So Close To Meのビデオも収録されていました。
The CarsのPanorama同様、ここに登場した通り・・・
全米アルバム・チャート最高位 No.5、ダブル・プラチナ・ディスク獲得
1981年の全米年間アルバム・チャート No.9
全英アルバム・チャート 、こちらでは前作に続いて定位置といった感じで No.1
プラチナ・ディスク獲得、1980年の全英年間アルバム・チャートNo.2
その他、オーストラリア No.1、オーストリア No.14、カナダ No.2、フランス No.1、西ドイツ No.5、イタリア No.2、オランダ No.2、ニュージーランド No.3、ノルウェー No.16、スウェーデン No.8、世界中でビッグ・セールス
そして日本・・・オリコン・アルバム・チャート No.16
1981年1~2月の2度目の来日の記念盤での盛り上がりもありますが・・・
日本において、Led Zeppelin、Queenに匹敵する人気になりつつある・・・
そんな The Policeなのでした。
本アルバムによって、アメリカでもビッグ・ネームとなった The Police
ニュー・ウェイヴのジャンルを大きく越えて、Rush同様、高度なテクニックで、・・・
トリオ編成での最大限の可能性を追求する最高のロック・バンド
そこまでの評価もあったように思います。
その一方で、The Policeデビュー当時からのファンは戸惑いを感じる人もいて・・・
この頃、知り合いだったフランスからの留学生、彼も、So Lonelyとかが好きな人で、このアルバムは、よくわからない・・・そんなことを言っていました。(苦笑)
さて、The Police来日公演のチケットですが・・・
当時はまだどうやって買うのがよいか、わからなかったので、発売日にプレイガイドに並びましたが・・・
残念ながら、アリーナ席は買えず1階南西スタンドでした。・・・
少し悔しくも思いましたが・・・
因みにこの来日公演も、The Carsを一緒に行った友人と
行くことにしていたのでした。・・・
Zenyatta Mondattaに熱中して・・・
年明けの日本武道館公演を楽しみに
1981年を迎えることになるのでした。・・・