![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200212/17/take-1097-da/84/6d/j/o0640048014711957607.jpg?caw=800)
Leslie McKeown・・・タータンハリケーンはもう吹かない・・・
4月23日、早朝、目が覚めてスマホを見ると・・・
Bay City Rollers Legend Les McKeown Dies Suddenly Aged 65・・・
えっ、先日、SNSに画像アップしていたのでは
・・・
自分がフォローしている Twitterでチェックすると・・・
奥様のKeikoさんからの訃報が・・・
現実を受け止めなければいけないでしょう。・・・
昨年、2月、渋谷、duo Music Exchangeでのライヴ
その時は本当に元気で、楽しそう
自分の好きな You Made Me Believe In Magicも久々に歌ってくれて・・・
まださほどまん延していなかった時期ですが・・・
「アブナイ、コロナ・・・」
そのように日本語で歌ったりして・・・
それだけに、この突然の訃報は先ずは驚くばかりです。・・・
Bay City Rollersが、日本に紹介されたのは、1975年夏
Bye Bye Baby (Baby Goodbye)が、英国
で記録的大ヒット
「第2のBeatles・・・凄い1グループが現れた
」
そんな紹介のされ方で、さらに当時ヒットを続けたPilotのDavid Payton
も在籍していたことがある
・・・それも凄いと思わせるところ
当時は、The Rubettesとか、The First Class
とか、Beach Boys
に影響されたコーラス・ハーモニーの美しいバンドが人気を博していたので・・・
そのような中で、登場した大物だろう
そう思っていました。
そして日本では、続いて、My Teenage Heartがシングル発売
ちょうどそんな頃に、高校受験のために洋楽を断つ・・・そのようになりました。
洋楽を断っていた時期でも、その間に、Saturday Nightという曲が大ヒットしたことは聞こえてはきましたが・・・
解禁となった、1976年春・・・
洋楽ファンというか、世間一般のBay City Rollersを見る目は、変わっていたのでした。・・・
1975年に登場した頃は、日本でも Queenの最大のライバルになる
そのような感じだったのですが・・・
その自分の洋楽断ちの期間に、Queenは、Bohemian Rhapsody
の英国
での記録的大ヒットと、アルバム A Night At The Opera
で、名実ともに世界のトップ・バンドの1つに
・・・
一方、Bay City Rollersは・・・
全く違う方向に行ってしまったようです。・・・
そして1976年年末、初来日公演
ここで日本での人気は、さらに爆発したと言えるでしょう。・・・
ファンの皆様からはお叱りを受けることは承知の上で、記しまして・・・
Bay City Rollersに対しては、日本のティーン・エイジ・アイドルと同じような目で見てしまい、正当に評価していなかったと思います。
I Only Want To Be With Youなど、カバーとはいえ、上質のポップ・ミュージックなのですが・・・素直に聴き入れなかったでしょう。・・・
そんな1977年、Bay City Rollersに変化が
先ず登場したのが、It's A Game
「これ、Bay City Rollers・・・なかなかやるじゃん
」
そのようなことを言うロック・ファンが周囲に増え・・・
そして、次に登場したのが、前述の You Made Me Believe In Magic
そう、後で思えば、AORの先駆けと言えるような上質ポップ・ミュージックク
全米でTOP10入りを果たし、アルバム It's A Gameも今までにない完成度の高いアルバム
でしたが・・・
当時のファンの多くは、Bay City Rollersに高度な音楽性を望んだのでしょうか
・・・
そしてRollersとしては、さらなる上を目指すには、どのように・・・
そんなことを悩んでいたのかもしれません。
1977年の日本公演で、アルバム It's A Gameにも収録された Don't Let The Music Die
を満場のファンと大合唱したことは語り草になっていますが・・・
これは、ある意味、訣別だったのかもしれません。・・・
さてBay City Rollersにはその後、かつてのリーダー格 Alan Longmuir
が復活しますが・・・ Leslie
は、アルバム1枚
、そして1978年の日本公演
を最後にBay City Rollers
を脱退してしまいます。・・・
Leslieは、何といっても Bay City Rollers
時代からの人気は絶大
ソロになってからも、日本武道館で来日公演を行なったり・・・
東京音楽祭に出演
なんとザ・タイガースの「銀河のロマンス」
を英語版でカバー
また「サヨナラ」という曲をリリースしたり、日本では、その後もかなりの人気がありました。
一方、本家の方は、The Rollersと改名・・・
何とあのTrevor RabinのいたバンドRabbitt
のヴォーカル、ギターだった Duncan Faure
を加えて、さらに音楽的には進化して活動を再開していましたが・・・ヒット等には恵まれず、'80年代前半に活動を終えています。・・・
・・・とはいえ、Leslieが入った Bay City Rollers
これは何といっても、'70年代に一世を風靡したわけで・・・
そんなこともあって、’80年代後半から、日本を含めて、再結成コンサートは、行われました。
さて時は流れて・・・
2013年、Leslieは、仲間のミュージシャンたちと・・・
Bay City Rollers Featuring Leslie McKeownとして活動
この年から、このフォーマットでほぼ毎年来日公演
しかも会場は至近距離のライヴ・ハウス
なんと 自分はその時は行けませんでしたが、Alan Longmuirが一緒に来たこともありました。
あの全盛期から40年近く過ぎましたが、Leslieたちメンバーも、還暦を過ぎているだろうにも関わらず、どこかにタータン・チェックの入った衣装を着て・・・
オープニングとエンディングは、スコットランドの音楽
勿論、全てBay City Rollersナンバー
年を経て、色々吹っ切れたところもあるのでしょう。
かつてアルコール依存症にもなった彼が酒の話をしたり、今だから言える’70年代の来日時のウラ話をしたり・・・本当に楽しい時間
そして改めて、楽しめる良質のポップ・ミュージックが満載・・・
それほど、熱狂的なファンでもなかった自分も、また行きたくなる
そんなライヴを繰り広げてくれました。
そして、やはり、Eric、Woody
とも組んでほしいし・・・
兎に角、コロナ禍が落ち着いたら、また来てくれるだろう・・・
そう思っていたのでした。
このように近年の来日ライヴを思い出すと楽しいことばかり
・・・
65歳で逝ってしまったことは、無念であったと思いますが・・・
最後まで、良質のポップ・ミュージックで楽しませてくれたことに心から感謝したいと思っています。
でも・・・・スコットランドの音楽に合わせて登場するタータンチェックのLeslieはもういない・・・
ただ悲しく寂しい限りです。・・・
Rest In Peace