幕末の江戸城無血開城といえば勝海舟と西郷隆盛の会談がすぐに浮かぶが、勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称された山岡鉄舟が果たした役割も大きい。勝と西郷の会談の四日前、江戸に迫り来る新政府軍との交渉役を徳川慶喜から託された鉄舟は、新政府軍参謀の西郷隆盛と駿府(現:静岡市)で会談し、徳川家の処遇や戦闘回避の条件などを協議している。この時西郷は鉄舟を高く評価したという。鉄舟は勝と西郷の会談にも同席した。▼鉄舟は徳川の幕臣でありながら、明治政府では官僚を務めている。そうしたことに世間は批判を浴びせる時もあっただろう。その鉄舟が詠んだ有名な句「晴れてよし/曇りてもよし/富士の山/もとの姿は/変わらざりけり」。一往の意味は、晴れも曇っても富士山はいいものだし、天候はどうあれ富士山は変わらない、といったところか。▼一歩深く別の視点では「もとの姿は/変わらざりけり」で、自分は自分。抱いた目的のためにただ自分の為すべきことを為すという決意。それは「晴れてよし/曇りてもよし」で、自分に対して世間がどんな褒め言を寄せようが、一方でどんな批判を浴びせようが、つまり世のどんな毀誉褒貶が自分に纏わりつこうが歯牙にもかけないし、決意は変わらないという姿勢。▼先日、富士宮に行った際、間近に秀峰・富士を仰いだ。美しさはもとより、言葉を超えた堂々たる雄姿を見ると生きる力が湧いてくる。その時筆者の中に浮かんだのが上の鉄舟の句。晴れや曇りはあくまで見る人の目に映る様子でしかない。どんな日でも富士は変わらぬ姿で凛然とそこにいる。堂々たる不動の富士のように、人生の途上に起こる出来事を悠々と見下ろしながら、悠然と生き抜いていきたいものである。(虹)2023.12.16₋-

 

(富士宮市から/2023年12月13日筆者撮影)

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