<2023.10.29>起稿(+2)

 

 

中島みゆき「月はそこにいる」

 

オリジナルアルバム『常夜灯』(2012年10月24日)収録

 

 

ライブ映像作品  『中島みゆき 縁会 2012~3』(2014年10月29日)収録

 

 

この曲に限らず、中島みゆきが編み出す歌詞は、その哲学的な深みと詩的な表現ゆえ、どう捉えるかは聴く人により千差万別であり、別の言い方をすれば聴く側の人間力が問われる歌詞なのかもしれない。

 

その意味で、歌詞について軽々には書けないといつも思う反面、心に深く入り込んで来る歌詞とそこから湧き出る無言の大きな感動を、何とか言葉にして表出したくなる。そういう歌がたくさんある。

 

「月はそこにいる」

 

突き詰めて書けば―

 

心に幾重もの鎧を纏い、心を固く閉ざして人を寄せつけず、自分らしさはどこかに置き忘れ、ただ孤独に立ちすくむ私と、いつなん時であろうと、どこにいようと、周囲がどうあろうと、自分らしく堂々と悠然と、凛然と生きる月を対比させている世界。

 

自分を見失った私と自分らしく生きる月の対比。

 

対比させるだけでなく、その月に照らされ見守られ、私が自分の心の鎧に気づき始め、それを脱ぎ捨てようとしている心境までをも歌っているように感じる。

 

 

ほんとうはどこかに逃げ出したいのにそれもできない。たとえば、敵わないもは敵わないと自分の心に素直になればいいのに、なれない。

 

「孤高」と言えば聞こえはいいが、自分自身の気持ちの始末に戸惑い、人を寄せつけず孤独になるばかり。

 

夕方、蜩の鳴き声を聞き、自分が一日に為すべきことだけに汲汲として、枝折戸(歌詞では「紫折戸」表記)を閉じるようにまた一日が窮屈に終わる。

 

月を見上げた。

 

(十三夜の2023年10月27日撮影)

 

悠然と、凛然と月はそこにいて、輝く。何ものにも惑わされず、自分は自分と、自分らしく堂々とそこにいる。月は人々のために輝き、人々を優しく包む。

 

心の鎧を脱ぎ捨てて、自分の心に素直に、自分らしく生きることに目を向けなければ、いつになってもどこにいても、幸せを感じることは決してできない―月がそう私に教えている。

 

悠然と月は輝く

悠然と月はそこにいる

凛然と月は輝く

凛然と月はそこにいる

 

 

中島みゆき「縁会」2012~3

ダイジェスト・トレーラー(公式)

※「月はそこにいる」―10分33秒~11分07秒

 

1.逃げ場所を探していたのかもしれない
  怖いもの見たさでいたのかもしれない
  あてもなく砂漠に佇んでいた
  思いがけぬ寒さに震えていた
  悠然と月は輝き まぶしさに打たれていた
  あの砂漠にはもう行けないだろう
  あの灼熱はもう耐えないだろう
  蜩(ひぐらし)の声 紫折戸(しおりど)ひとつ

  今日も終(しま)いと閉じかけて
  ふと 立ちすくむ
  悠然と月は輝く そこにいて月は輝く
  私ごときで月は変わらない
  どこにいようと 月はそこにいる
  悠然と月はそこにいる

2.敵わない相手に 敵わないと

  告げてしまいたかっただけかもしれない
  鳥よりも高い岩山の上 降り道を失くしてすくんでいた
  凛然(りんぜん)と月は輝き 天空の向きを示した
  あの山道は消えてしまった
  人を寄せなくなってしまった
  日々の始末に汲汲(きゅうきゅう)として

  また1日を閉じかけて
  ふと 立ちすくむ
  凛然(りんぜん)と月は輝く そこにいて月は輝く
  私ごときで月は変わらない
  どこにいようと 月はそこにいる
  凛然(りんぜん)と月はそこにいる