「長渕剛の歴史は、良くも悪くも変遷というか、変節の歴史なんです。それについていけずに彼から離れていった人は多いと思います。僕の場合は、彼がライブで毎回、拳上げを強要するようになった頃からライブに行かなくなりました」(以下記事から抜粋)
誰もファンと元ファンの全数調査をしたわけではないので、上に書いた理由で長渕剛から離れていったファンの方が多いとか少ないとか、人数の多寡は分からない。ただ、こういう理由で離れていったファンは相応にいるだろうし、離れないまでもそう思っているファンもまた相応にいると思う。
中学1年の時から、もう40年以上も応援してきている実感として、長渕剛から離れはしないが、私も記事内容に基本的は同感である。
”ファンと俺との命をかけた勝負!”も理解しているうえで、そういう歌詞内容ではないのに、歌が始まってすぐにオーディエンスを煽り歌わせたり、エンディングを異常に延ばしいたずらに拳を上げさせ、大声を出させるライブスタイルはもう勘弁して欲しいと思っている。
こういう煽りを行う曲は完全にしかも長期にわたり定番化しているので、セットリストのマンネリ化もツアー(ライブ)を行うたびに一部ファンから声高に叫ばれているところである。「俺が歌いてぇからこの歌を歌うんだ!」という長渕剛の気持ちはそれとして、ライブを作り上げるパートナーとしてのオーディエンスの思いもある。
ファンひとりひとりが、それぞれの歌を初めて聴いた時やその後も支えとしてきた場面など、その歌と関連付けた自分のシーンを持っている。演じる者として、毎回同じように歌うのは好まない、という気持ちも分からないではない。
最近はその傾向が弱くなっているのでちょっと安心しているが、アレンジの多少の変化はあるとしても、歌(メロディ)を崩して歌う、歌によってはオリジナルとはまったく別の曲と言っていいほど崩し切るのはやめた方がいいと思っている。
これはあくまで私個人の推察だが―
魂をぶつけて歌を作って来た分―それがより際立ってきたのがアルバム『HOLD YOUR LAST CHANCE』あたりから、実質的にはアルバム『STAY DREAM』からと思っている―、その歌詞の世界は時に荒っぽい言葉でストレートな表現となり、具体性も伴っている。
長渕剛の気持ちと歌詞の世界が完全に一致していた。だからこそ、聴く者の体験や思いと重なった時、長渕剛の歌はとてつもなく大きなパワーとなって聴く者を勇気づけ背中を押してきた。私自身も救われたと思う歌が少なくない。
一方で、年齢を重ね人生経験を積んで来ると、若い頃作った歌詞の世界は、上記のような傾向を持っていることが反転して、まさに”若気の至り””今ならそうは歌わないよな”、と自分で思う部分もあるのかもしれない。
それゆえか、還暦を越えた現在の長渕剛が歌う時、歌い方を含めてどこかその歌詞の世界と距離を置いた客観性を感じてしまう。まぁ、ここはやむを得ないところだと思うが。ライブパフォーマンスで言えば、ツアー「JEEP」「JAPAN」の頃がベストだったと思う。―
2019年のCINEMA&LIVEツアーは最初に2時間、長渕剛主演の映画「太陽の家」を上映したので、その後のライブは90分ほどの時間しかなかった。それが逆に奏功して、歌を素直に歌い、長さもオリジナルに近いし、無駄な煽りもエンディングの引き延ばしもない、本来持っている長渕剛の歌唱力の高さが前面に出たいいライブたった。
その流れで今回のAcousticTourである。数曲、カラオケでの歌唱もあるようだが、基本はギター一本、弾き語り。長渕剛の歌唱力の高さとギターの世界を感じることが出来るだろう。
楽しみにしている。
長渕剛、アコギ1本で原点回帰。OLDファン感涙のライブレポート
NewsCrunch編集部NewsCrunch編集部 12月10日
12.3『REBORN』よこすか芸術劇場
2年ぶりの有観客ライブとなるアコースティックツアー『REBORN』(リボーン)をスタートさせた長渕剛。神奈川・よこすか芸術劇場で行われたライブレポートをお届けします。
猛威を振るったコロナが少し落ち着きを見せるなか、ライブの自粛を余儀なくされていたアーティストたちが、徐々にライブ活動を再開させている。
しかし、どのライブでも拳を上げたり、声を出したりすることは、依然ご法度とあって、観客は基本、マスク着用で手拍子のみ。ロック系のライブなどでは、いささか盛り上がりに欠ける感が否めないが、そんななかで「むしろ、こっちのがいいよ!」と評価を上げているアーティストがいる。
12月3日に神奈川・よこすか芸術劇場で、2年ぶりの有観客ライブとなるアコースティックツアー『REBORN』(リボーン)をスタートさせた長渕剛(65)だ。
古参ファンが離れた一番の理由とは?
「正直、これまで行ったどのライブよりも良かった! これを機に、ギター1本で勝負する彼本来のスタイルに戻ってほしい!」
そう語るのは、横須賀でのライブに足を運んだ長渕ファン歴31年という小川さん(48)。
以前は、よくライブにも足を運んでいたそうだが、ここ15年ぐらいは長渕剛から離れていたのだという小川さんは続ける。
「長渕剛の歴史は、良くも悪くも変遷というか、変節の歴史なんです。それについていけずに彼から離れていった人は多いと思います。僕の場合は、彼がライブで毎回、拳上げを強要するようになった頃からライブに行かなくなりました」
彼のような長渕ファンは、実は多い。というか、私自身がそうだ。
私が長渕に出会ったのは高校時代。アコースティックギター1本で世の中に闘いを挑むかのごとく、ときに激しく、ときに優しく歌っていた長渕が好きだった私は、2004年8月に長渕がおこなった伝説の桜島オールナイトライブを最後に、一度、長渕から離れた。
このとき一緒にライブを見に行った友人2人も、桜島で長渕を卒業していった。そのうちの1人である矢島くん(44)の卒業の理由はこうだ。
「00年代から特に顕著になったと思うんですが、本来アコギで弾き語るような歌もバンドを従えて、ことごとくロックアレンジで歌うようになっていったじゃないですか。こっちはギター1本の長渕剛が見たいし聴きたいのに、拳の突き上げや、コール&レスポンス(客との掛け合い)ばかりが増えていって……。『勇次』や『ひまわり』といった曲で、オイ、オイ拳を突き上げるのにはさすがに違和感を覚えて、ライブに行くのをやめました」
こうした昔からのコアなファンたちの声を知ってか知らずか、長渕剛のスタイルは変わり続けていったのだ。
そこかしこから涙をすする音
進化といえば聞こえはいいが、“ある時期までファンだった”という声が多いのは、それゆえだろう。長渕を敬愛し完コピで再現するアーティストTakuya Nagabuchiの表現を借りれば、長渕剛の変遷は大きく分けて、
フォークアイドル期(1978~84年)
ロックバンド期(1985~90年)
カリスマボイス期(1991~2000年)生涯現役期(2001~現在)
ということになるのだが、ここ20年くらいは古参のファンが、かなり彼から離れていったと聞く。私自身もしかりで、桜島ライブから16年の歳月が経っていた。
そんななか、先述の矢島くんから「久々に長渕行ってみない?」と、04年以来となる長渕のライブ(ツアー初日の横須賀)に誘われた。矢島くんは「アコースティックツアーと銘打ってるし、今回は期待できるかもよ」と言っていたが、私は、あまり過度な期待はせずに会場へ向かった。
ところが、である。いざライブが始まってみると、いい意味で完全に期待を裏切られていた。矢島くんや私といった往年のファンが望み続けてきたであろう、バックバンドなし、全編通してアコギ1本で歌い切る、長渕剛本来のライブがそこにあったのだ。
拳の突き上げも、掛け合いもなし。それだけに会場に鳴り響く長渕のギターと歌に、誰もがじっくりと聴き入ることができ、間奏の合間には、そこかしこから涙をすする音が聞こえてきたほど。気がつけば、矢島くんも私も泣いていた。
「こういうライブをやってくれるなら、俺は毎年来るよ!」
帰り際、矢島くんは興奮気味にそう言った。私もまったく同じ感想だった。
もちろん、私たちの意見は単に好みの問題であって、ロックアレンジの長渕のライブのほうが好きだという人もいるかもしれない。しかし、この原稿を書いている現段階で、長渕のライブ(横須賀、高崎)に行った人の声を見聞きする限り、圧倒的に「ギター1本の長渕に感動した」という声が多いようだ。
本来がそういうスタイルだからこそ、聴衆が声を出せないコロナ禍のライブが、いい形に転じた長渕。やはりギター1本で勝負する姿こそ、この男の真骨頂! と思うのは私だけではあるまい。