<2024.07.30>音源・映像挿入
<2018.02.20>起稿

 

土日に仕事が多いため、今日はその振替休日。自分は休んでいても職場や世間は動いているので気になる。不規則な休日は、休みのようで休めないのが現実。

さて、ここ数回たまたま自分の中学時代の松山千春との思い出を書いたが、そうなるとどうしても書き残しておかないと、と思ったことがあった。

 

今も私の中に残る「旅立ち」に関すること。



①1982年の8月


後楽園球場(当時)で松山千春の野球チームの試合を見に行った。抽選で当たった記憶があるが、おそらく応募した方は全員当たったんじゃないかな。

試合後、松山千春が挨拶に立って「この前の真駒内には東京からもたくさんの皆さんが来てくれて、本当にありがとうございました。9月5日には新しい曲『夢の旅人』が発売されます」と、その1か月前に開催された真駒内5万人ライブ来場への感謝と新曲へのPRを爽やかに述べていたことを映像と音でよく覚えている。

観戦者には事前に「FM放送を受信できるラジオを持ってきてください」とのアナウンスがあった。試合前、オーロラビジョンで「松山千春スペシャルプログラム」と題したライブ映像が流れ、その音声を持参したFMラジオで受信した。

 

「旅立ち」(弾き語り/以下映像)、「父さん」(弾き語り)、「おいで僕のそばに」は記憶にある。

その時のライブ映像は、翌年?にファンクラブ会員限定発売の【起承転結】に収められていた。以前のテレビ放映からだと後になって気づいた。

 

「旅立ち」(1979年/弾き語り)

 


1982年の11月、中学3年の学園祭。企画のひとつに歌いたい人やバンド、ユニットがエントリーして、体育館で好きなように次々歌うという企画があった。

まぁ、よく言えばコラボレーションライブ、ジョイントセッション。昔の全日本プロレスで言うと新春バトルロイヤル状態。

当時楽器を弾ける人はそんなにいない中、松山千春に影響を受けていた私はギターが弾けた。その企画の中心者から「エントリーが少ないから、お前やってくれ」と言われた。
 

上に書いた後楽園球場での「旅立ち」映像の感動が鮮明に残っていた私は、当時従兄からもらったヤマハのギター、弾き語りで「旅立ち」を歌ってしまった。

両親まで応援に来て、その時に父が撮影した写真が今でもある。

体育館にたくさんの椅子が並べられていたが、オーディエンスは50人ぐらい。空席が目立った(笑)。さすがに歌っている途中、客電が切れて真っ暗になって、私の歌にみんなが聞き惚れるということはなかったけど。

 

ただ、途中からギターの音を拾うマイクがきかなくなって、私の歌だけになってしまった。あれはほんとに恥ずかしかった。

まぁ、汗顔の至り、今、思い出してもただただ恥ずかしい。

 

「旅立ち」(1999年/弾き語り)

 

 

②1985年6月 ツアー「虹のかなた」、山梨県民文化ホール(当時)。
 

その年、松山千春らが設立したNEWSレコードが倒産し、その影響からかツアー告知もままならない状況だった。それが理由だと思うが、山梨県民文化ホールは空席が目立ち、松山千春は終わった!と一人客席で悲しんでいた。

 

公演が終わり、終演アナウンスが流れても一部のお客さんは帰らず、ステージ前に押し寄せた。私もトップ集団ぐらいにいた。

完全に終演している中、千春コール!の嵐。緞帳が上がり松山千春が再登場。「旅立ち」を歌った。押し寄せたファンのみなさんと一緒に涙、涙の大合唱となった。

NEWSレコードが倒産、その傷心の様子が客席からも分かった。“千春、頑張れよ!!”と叫びながら歌った。あの「旅立ち」は絶対に忘れないだろう。

 

「旅立ち」(1986年/「旅路」CW Ver.)

 


③2006年6月 幕張メッセイベントホール。松山千春デビュー30周年ツアー初日。

かつてない前方席。すぐそこで松山千春が弾き語りをしている幸せな空間、時間。1部と2部の間の映像で、恩師・竹田健二氏と松山千春との出会いを振り返った。


「千春、今でもちゃんと飯、食えてるのか?千春、声の調子はどうだ?千春、電車に乗る金、あるのか?千春」…竹田健二さんの言葉(ナレーション)とともにに流れてきた「旅立ち」の前奏、そしてあのギターの入り。この時の「旅立ち」も感動だった。

 

「旅立ち」(1986年/アルバム『TABIDACHI』Ver.)

 

 


 

 

④2013年5月14日  ツアー「夢破れて尚」 @東京国際フォーラム
 

アンコールで、友人の柚原良生(ゆはら よしたか)さんとの思い出を語り始めた。

 

「良生。うちは、金がなくてな。母ちゃんは土方だし、父さんは好きな新聞作っていたし…。小学校…何年の時だけっけな。お前んちにいって、ギターというのを初めて触って弾いて…。これがAm(エーマイナー)、Dm(デーマイナー)だ。あれから始まったんだよ。あれから始まって、こんなにたくさんの人が俺の歌を聴いてくれるんだよ。お前たちは最高だよ。イーマイナー(Em)」 

 

と歌い出した18曲目「旅立ち」(「旅立ち」始まりのコードがEm)

 

二部のトークで恩師である高橋勝先生ご夫妻のエピソードを語り「途上」を歌った。恩師を大切にする松山千春の心がにじみ出ていて、泣けた。

そして、おそらくイレギュラーだろう、柚原さんとの思い出話からの「旅立ち」、感動した。

 

「旅立ち」(2006年/「再生」Ver.)

 


40年以上応援してきた中で忘れらない4回の「旅立ち」。当然のことだが、松山千春のファンである以上、絶対に外せない「旅立ち」。私の日々の中にも深く刻まれている。