北海道で暮らし始める前まで2度ほど北海道に旅行に来たことがある。
一度目は11歳の時、小学生だけが参加できる船での日本一周の旅で
二度目は高校の修学旅行
いずれも北海道の豊かな自然や美味しい食べ物に触れ大満足で帰った。
そして今半年という期間限定で北海道暮らし。
思いっきり天気がいい日のフライトは襟裳岬が見えたり、その領空に入ることも許されぬ北方領土まで見渡すことが出来る
毎日飛行機に乗って北海道上を飛び回り絶景を見ていると、北海道を知り尽くした気分になる。。。


でもそれは単なる思い過ごし
数冊のガイドブックを読んでそんな気分になってるだけでした
この大きな北海道はぼくみたいにまだまだ半人前の空人(そらんちゅ)に簡単に知り尽くされるほど薄っぺらい県(道)じゃありませんでした、はい

北を目指して旅に出ました
それは大学時代によくした”ノリ旅行”。
目的地も泊まる宿も決めずただただ車で走る
そして目に留まったもの、心惹かれた場所に立ち寄る。
いくつかのポイントを見向きもせずスルーし、最初に立ち寄った所は摩周湖
摩周湖と言えば、1966年、悲壮な絶叫調で歌いヒットした布施明の名曲「霧の摩周湖」を思い出させ、また謎の未確認生物クッシーが生息するということで兼ねてからぜひ訪れたいと思っていたけど、この日は一切の霧もなく晴れ、クッシーはお隣の屈斜路湖にいるということも後に知り、滞在時間は写真撮影のみの5分という最短記録を弾き出しました
でもたとえ時間は短くても、その美しさを目に焼き付けるには十分でした。
摩周湖摩周湖2






進路をどんどん北へ向け、次に向かったところは世界自然遺産に登録され世界から大注目されている知床半島にある町、ウトロ
途中野生のエゾシカ(哺乳類・偶蹄目・シカ科)を、空高く舞う天然記念物オオワシ(鳥類・タカ目・タカ科)を目撃し、海岸線では北極から流れ着いた流氷を目にするもやっぱりスルーし、ぼく達(哺乳類・霊長目・人科)は遅い昼食にあり付くべく知床料理一休屋に駆け込みました。
店内は芸能人、有名人のサインでいっぱい
これら多くの著名人を絶句させた自慢の鮭親子丼を当然のごとくぼくらも絶句しながら堪能したのでした鮭親子丼鮭親子丼、絶句







旅の後半編はまた
フライトキャンセルの日は各自部屋で自習です
月曜日から3日連続で雪のせいで飛べてません
でもたとえ飛べなくてもみんな大空への憧れが冷めることはありません
その自習風景を隠しカメラで撮影したので投稿します。
7号室7号室では今日のフライトをキャンセルにさせた低気圧についてえいじパンチが解析中。明日は飛べるって祈りながら猛勉強。2人で協力し合って勉強するのはあるべき姿


8号室一方8号室ではこの低気圧がもたらした大雪でどこのスキー場のコンディションがいいかを、スノボしてる気持ちになりきって考えるちくわまりも。滑舌の悪いまりもがジャガイモを噛み顎を鍛えるのは然るべき姿

6号室6号室ではキャンの日もイメトレに余念のないマルちゃん
その広くたくましい筋骨隆々な背中を憎らしい顔で見つめるたっちゃん



10号室10号室は日ごろの頑張りが祟って疲れて眠るタダシに必死に遊ぼうとねだるRYO。禁断の光景に思わずフラッシュをたいてしまい気付かれた



2号室一階に下り、年齢層の高い2号室では計器パネルを机の前に置き、パイロット訓練生であることを一秒たりとも忘れない姿勢のぢゅんぢうめ
常に背中にPILOT TRAINEEと掲げ自覚を持つ姿に尊敬すべき。

3号室航大史上最高に散らかった3号室では勉強を一段落し、ぷよぷよで判断力と計画性を養ってるスティングと漫画を読むことで表現力と集中力を養っているシャック



9号室そして9号室ではもちろん勉強を終え、気分転換にトマトジュースを飲みながらブログを書きつつ読書するぼくトマトジュースはデルモンテに限り、カレンダーはエビちゃんに限るそして明日こそは飛びたいと控えめに思う。
今ぼくらが学ぶことは単にフライトに関する技術だけじゃない
Weatherに関する知識、そしてWeatherを考慮して計画する訓練内容。
フライトに対するマネージメント。特にタイムマネージメント
そしてモチベーション
ただ闇雲に頑張ったつもりになって操縦桿を握るのと、色んな動機や目的を持って取り組むのではプログレスが違う
苦手分野を克服する強い気持ちや操縦中起こる高度、スピード、針路のズレに対する許容を厳しくするストイックさは不可欠である。
・・・ということは重々頭では理解しているつもり。

この一週間はナイトフライトだった
同乗していただいた教官の訓練時代の話を聞いて身が引き締まる思いがした。
訓練時代は相当な集中力と意欲を持って1フライトごと臨んでいた、そしてその意気込みは誰よりも勝っていたと胸を張っておっしゃった。
そしてそれはぼくに足りないものだとわかった。
憧れだけでパイロットになりたいわけじゃないし、のほほんと操縦桿を握ってるわけじゃない。
だからもっと気持ちをぶつけてフライトしなきゃいけないし、そういう気持ちを抱けるくらい努力しなきゃいけない
今度こういうシチュエーションになったら、「ぼくの方こそ教官の訓練時代に負けないくらい意気込みを持ってフライトに臨んでます!」と胸を張って言いたい。そういう気持ちで空を飛びたい

大自然に囲まれる十勝の中で煌煌と光る街の明かりはとても映える
そして満天の星が目の前に広がり、夜空に吸い込まれそうな感じがした。
この綺麗な夜景を見ながら静かに飛ぶボナンザの中で、この教官から得たこと、感じたことを絶対に忘れないように何度も自分に言い聞かせた
R/W35 Approach帯広NIGHT
年明けからNavigationという訓練が始まりました。
簡単に言えば空港を出発して目的地に行くまでの航路を決め、風向風速を考慮して飛び到着予定時刻を算出し飛行する訓練
これは将来エアラインが行っている運航と同じ。
今まで行っていた訓練はこの運航に通ずる為に行っていたのです。
乗客を乗せると思って滑らかな操縦と時間に正確な飛行が求められます。
基本的な水平直線飛行、離陸・着陸、上昇・降下、旋回が出来なければこの正確さは保持できない
この訓練の醍醐味は他の空港に行けること
航路も自由だから十勝の色んな街を見たり、湖や山も見れる
訓練がうまくいってる時は小旅行気分
自分は今のところそれをほとんど味わえないでいるけど
初めて行った釧路空港も横風は帯広と比べ強く、ライン機も多かった為大変だったけど、それよりも初めて他の空港に着陸したということ、ターミナルでJALのパイロットの方と目があって航大生と気付いてもらい会釈をしたことという興奮の方が大きかった
たったそれだけの事でも失いかけていた輝きやパイロットになりたいと思う強い気持ちを思い出させるきっかけになりました
頑張れ、2-Ⅳ
海岸線広尾
あたりは一面は先週末の大雪で半永久氷結
寮の前には大きなかまくらが作られました

年明けから新しい教官、新しい訓練で色んな意味で不慣れな生活をスタートさせた2007年。
早く宮崎に戻りたいという気持ちが募る。
平日の晴れない気分を晴らす為に雪山登山に行って来ました。
同部屋の少年ぼく引率者ウルグアイ嬢の4人で。
岩内仙峡目指した山は大きな赤いつり橋が銀世界に映える岩内仙峡。立入禁止のロープを軽やかに乗り越え、登山開始。

ぼくは最大限の防寒着を身につけ、初めてのかんじきを履く。
お洒落な少年はジーパンにスニーカー、ブルゾンとファッション誌から飛び出てきたような格好
途中凍傷になりかけて引率者に防寒着を支給されてましたが。
引率者が途中遅れがちになって振り向くと雪を黙々と食べてました
そこでウルグアイ流のツッコミ、「Don't eat snoooow
無駄のない100点満点の的確なツッコミです
腰まで雪に埋まる道なき道を行くこと2時間半、登頂達成
冷え切ったおにぎりで軽い腹ごしらえをした後、下山開始。
引率者は何を思ったか、木々生い茂る林の中に飛び込み、体一つで雪の上を寝滑り下山開始。
雪がふかふかだから少々体をぶつけても痛くないんだという理論のもと。
2人目、3人目が引率者が寝滑った跡を行く
そして4人目のぼくもその跡を行く。
その時には完全にコースが仕上がってて、完全に一人ボブスレー状態。
雪が押しのけられ、途中山肌が見えててもお構いなし、枝々がその道を阻んでも完全無視の猪突猛進
途中木々に体が挟まれ、2分身動き取れませんでした
少年と引率者がキャッキャ、キャッキャとはしゃぐ中、ぼくは自分の意志で止まれない程スピードを増し、半泣き状態で滑降。
ウルグアイ嬢は木に激突したらしく激高
てんやわんやの滑降でわずか15分で下山
多分ギネスに載る記録
そんな新記録を樹立したぼくたち4人は、冷え切った体を温めるべく帰り道にあったそば屋さんで「生きてる」っていう至福を味わいながら一人一杯のかけそばをすするのでした。
雪山登山からの滑降下山、安全性を考慮するとぜひオススメしません。
引率者ぼく、ウルグアイ嬢、少年
年末年始はわが生まれ故郷山口へルンルンにスキップして帰省
高校の同窓会あるし、おせち料理、郷土料理が食べれるからね。
年越しを地元で迎えるのは6年ぶり
それほど故郷を離れ都会で名を馳せるのに必死だった20代前半。
20代後半は時間ある日はのんびりと過ごしたい・・・

久々の地元はいつも通り大きな変化はありませんでした。
昔と変らないゆっくりとした時はそこには流れてました。
だらかいつ帰ってもホッとするんだろう。
同窓会以外特に予定を入れることもなく、普段の怒涛のフライト生活とはかけ離れたのんびりした生活を送りました
大好きなラーメン屋には3回行ったし、おせちも食べたし岩国寿司も食べたし、ぼくを満足させたのは食だけみたいな感じがするのは否めんけど。
父親と漁りにも行きました
今回はカレイを3匹突いて、正月の豪華なおかずの一品となりました
どうやらぼくの目は海底の砂に完全に同化したカレイを見抜くのに長けているようです

今回の帰省で1番ぼくを満たせたのは『山賊
山賊1中国地方に住む若者が車の免許をゲットしたら必ず目指すところであり、知らぬ者がいないカリスマ的な店。何もない山道を走ってると突如切り開かれた集落が現れる。その一軒一軒がすべて一つの純日本料理屋。
敷地内には城があり祠(ほこら)があり日本庭園があり囲炉裏があり仏像が何体もあり、鎧があったり提灯がつるされてたり日本画が飾られてたり、季節によっては鯉のぼりがつるされ放題だったり、、、もう面倒くさっ
とりあえず日本を表すものが風情わびさび関係なく置かれています。
ここの料理は和食の繊細さとはかけ離れ、山賊が食べてたんじゃないかって思わせるほど豪快な品々
見ての通りこの鶏とおにぎりのデカさ
ただ味は見た目の豪快さとかけ離れ、昔ながらの素朴な美味しさ
子供から大人まで陶酔させるその空間と料理。
の北海道で過ごすぼくの肥えた舌を見事に酔わしてくれました。
Myパピーもマミーもcousinたちも笑みの絶えることのない食事でした。
壁に掛けられている絵は、来れなかった姉を描いたもの
山賊焼&山賊むすび山賊2






さて、年は2007年。
そして本日は姉の誕生日
皆々様に幸せが降り注ぎますように
こねてこねて、ぶってぶって。
日は登り暮れるまでこね回し続ける
そして気付いたらこの作品が出来てた。
温かいミルクティーでも飲もう。
世界に一つしかないこのコップで
グラス






クリスマスソングが耳について仕方ない季節。
雑音は雪の大地に消し去られて、聞こえるのは心の中で踊るBGMだけ
純恋歌
まだ流行ってるんでしょ??
うちの部屋っ子はいつも口ずさんでる。
俗世間からかけ離れた空人養成機関では「流行」と言うものにめっぽう疎いでもクリスマスの日だけは、、、「明石家サンタ」が見たい

轆轤
決して文字化けじゃない。
ろくろって読むらしいです。
陶芸完成しました
この作品の製作にかかり始めたのは、帯広に来て間もない頃。
轆轤を回し一生懸命形をこしらえて、自分の息吹を吹き込んで、そして最後は先生の手にかかり色塗りされ焼かれ、自分の手元に返ってきました
陶芸すること3度目。
なかなか上手になりません。
でも何を飲んでも味が落ちることはありません。
よしっ、お湯も沸いたしミルクティーを飲もう
陶芸
パイロットって華やかに思われがちで、意外に仕事内容は知られてない。
実は大変こんな感じ↓↓
クリック
↑↑エンジンのかけ方、パイロットの出入り口、ボイスレコーダーなど詳しく説明されてます



それにしても浜ちゃん、詳しすぎじゃあ
まっちゃんおもろすぎじゃし
機内食なんて縁遠い。。。
Soloフライトが始まって操縦が俄然楽しくなってきた今日この頃
みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
ぼくはソロをいう大事な時間を使って、機長としての判断力を養うために日々必死で操縦桿を握り締めてます
今日、午前の授業を終えて部屋でフライトの準備をしてたら突如飛び込んできたニュース。
YS-11の見学。
YS-11は戦後日本で初めて製造された唯一の国産旅客機。詳しくは←のURLをクリック
1965年以来41年間この広い空を飛び続けた英雄が2006年の9月30日を持って旅客の任務を終え、今日見学した国土交通省所有のこの機も22日に引退するとのことでした。
この飛行機が帯広空港にやってきた
機体に近付くと、ちょっとしたことではビクともしないような重厚感。
年季を感じさせる機体のカラー
実際コックピットに入ってみると、
ハイテクさはまったくなく手作り感さえ感じさせる古き良き造り。
このアンティークな感じが乗客のこころを惹き付け多くの人に愛された所以なんでしょうか。
以前この機を操縦していた教官も懐かしげに、そして旧友に話しかけるかのようにじっくりと見て回っていました。
今後僕たちもパイロットになったら色んな飛行機に乗っていきます
操縦の基本は一緒でもその機体が持つ癖は様々。
そして日々違う表情を見せる空。
これからたくさんの思い出が出来るんでしょう
YS-11YSをバックに教官と






以前見学したSAAB2000
YS-11と違ってデジタルで埋め尽くされたハイテク機。
航大生は普段乗れない飛行機に乗れるチャンスに恵まれててLucky
みなさんはコックピットに入ったことありますか?
SAAB2000
11年前、初めて飛行機に乗った日。
行き先は偶然にも航空大の在る宮崎空港。
次の年の夏、初めてジャンボに乗った。
南の島に着くまでの9時間、ぼくは胸の高鳴りは治まることはなかった。
パイロットになりたいと思った瞬間だった。
誰が想像しただろう。初めて飛行機に乗った10数年後にぼくが一人で飛行機を操縦する光景を。

12月1日金曜日、初めてのソロフライトに出た
一人だけで飛ぶフライトは日が沈む日没前
雲間から射しこむ西日が雪化粧した十勝平野を照らしとても綺麗だった
初めてのソロフライトは管制官との交信において「First Solo」と付け加え、自分が初めてのソロであることを知らせなければならない。
First Soloと言えるのは一生でこの時だけ。
この貴重な時をかみ締めながらもフライトに集中した。
いつも耳にする教官の声、班員の息遣いなどはない。
プロペラ音と自分の声だけが一人だけの機内に静かに響く。
何度も飛んだ飛行コース。
そして何度も経験したランディング。
飛行機を操縦し始めて93回目の着陸だった。
いつもと何ら変らないフライト。
ただいつもと違うのは管制官に掛けられた「First Soloおめでとうございます」のコール。教官から握手され、「パイロットの仲間入りだな」と言われた言葉。手渡されたウイングマーク。エプロンでフライトを見届けてくれた同期の姿。
パイロットを目指してよかったと心から思えた瞬間だった。
教官、先輩、同期、応援してくれたすべての人に感謝したい。
ぼくはこの日を忘れない
ウイングマークソロフライト終了後