野球経験の全くない同期の一人が監督として発足させた航大52回生Ⅳ期野球チーム「ハードパンチャーズ」の初戦がこの度あり、嫌がるぼくは7番ファーストとして試合に引っ張り出されました
嫌がったのは決してぼくだけじゃない。
母の日の朝、逃げるように寮を出ようとしてた数人を引きとめ、とりあえずいるメンバーで試合に臨みました。
そうです、このチームの成り立ちは完全にノリ勢い
そして名前の由来は監督の髪型。
日本一ハードな天然のパンチパーマネント
「野球は地球を救う」という未経験監督の野球イズムの下、彼の采配は、
①打順は先着順
②ピッチャー、キャッチャー、ショートは経験者
③際どい配球は先輩の威厳で圧力をかけボールと判定する
とシンプルなもの。
水面下で組まれていた対戦カードは航空大52回生Ⅳ期vs53回生Ⅲ期
轟音をとどろかせTakeOffする飛行機を見上げれるランウェイすぐ脇のグランドで11時プレイボール。
序盤は投手戦で締まっていたものの、徐々に点の取り合いに
スポーツをする度に思うことは、航大生はやったことないスポーツでも割と無難にこなす者が多い無難な集団です。
無難に進行していった試合結果は4-5と後輩チームの勝利
0行進だったぼくらに終盤点を取らせてくれた、空気の読める後輩達です。
指揮官の采配と今後の責任が問われます。
とことん問い詰めます
ぼくは母の日の初戦を最後にバットとグローブを置き、操縦桿とスロットルに握り替え草野球界から引退します
生涯打率.333。本塁打0。打点0。
航大野球1航大野球2
ぼくらの航大生活をイケメン同期が一つの映像として仕上げてくれた
訓練風景と言うよりオフショットをまとめたもの。
厳しい訓練に耐えれるのも、寝食を共にする仲間が同じ目標に向かって支えあってるからこそ
普段一緒にいるのが当たり前だから、あんなに集合写真を撮ってるなんて今まで気付かなかった。
卒業まであと11ヶ月
頑張れ、2-Ⅳ

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金曜日、同期の誰よりも時間がかかったけど、無事宮崎の空でソロフライトを実施することが出来ました
ホントに苦しかったこの一ヶ月間。
これまでとても帯広と同じ飛行機を操縦してるとは思えなかったし、自分の視野がどんどん狭まって無駄な力が入ってるのも自分でもわかりました
迎えた金曜日は測り知れない程のプレッシャーを背負ってのフライトでした。
この難関をぎりぎり這い上がることが出来たことを糧に、これからは自信を持ってまっすぐと訓練に臨んでいこうと思います


連休の土曜日、東京表参道で大学時代のバイト仲間が盛大に結婚式を挙げました
ぼくの大学生活の大部分を占めたJCBでのバイト。
バイト以外でも飲みに行ったり野球をしたりと付き合いがあり、新郎はぼくが心底尊敬し憧れ慕ってた先輩。
何をしてもかっこいい先輩の姿にとても惹かれてました
新婦とは尚よく飲みに行きました
学生当時は競うほどシフトに入り、月の半分は顔を合わせた仲
クレジットカードを紛失し困り果てて電話してくる会員を安心させるボイスで対応し、お互いバイトの中心選手として活躍してました。
バイトの合間に新郎との恋の進展を聞いたりしてて、ある時言った「結婚もありかな」という彼女の発言に手放しの喜びを感じたのを覚えてます。
2人の結婚式は年明けからずっと楽しみにしてたイベント。
ぼくは形には表せないけど気持ちをこめた祝福を2人に与えました
2人は二次会のゲームでぼくに景品ゲット出来るように仕向けてはくれなかったけど、感動心の籠ったメッセージと今まで以上の結婚願望を与えてくれました。

式の終わりの新郎の挨拶は、新婦への愛情、家庭を築くという責任感、未来への強い意志、家族への感謝など色んな思いが込められておりとても立派でした
どちらかと言えば寡黙で口下手に思われた先輩が、あんなに人を感動させる挨拶をしたこと。
2人が手繰り寄せ手にした運命は、お互いを大きく成長させる確かなものだとぼくは確信しました。幸せな背中
宮崎に戻って来て、日々どっちに転ぶかわからない崖っぷちな精神状態。
「正しい操縦をしろ」といつも指導されています。
帯広で正しい操縦法を習ってきたのに、いつの間に自己流になってしまったんだろう。。。
自分がいかに慣れて来た事による間違った感覚(勘)だけで操縦していたかを痛感したこの半月。
今まで10年間、一度も考えたことなかったことがふと頭の中に浮かんで、その現実逃避から脱する為に頬を引っ叩きました
自分の欠点は気付いてる。
だからこそ目をそらさず自分の欠点を見つめて、それを解消していく正しい操縦を身に付けていかなければならない。
その為に出来ることはなんでもやる
一人で越えれなさそうな壁は同期と一緒に越える
同期の存在はホント力強い。
自分が信じて飛び込んだこの道これからも歩いて道としなきゃな

先週、劇場公開された『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を観に行きました。
原作を読んでベタ惚れし、ぜひ観に行きたいと思っていた作品
なんら特別なものじゃなくそこら中に溢れてる、どの家庭にもあるような親子愛が描かれています。
映画に登場するオトンとオカンとうちの両親は通ずるものがないと思えるくらい異なる性格。それなのにいつの間にか両親と照らし合わせながらスクリーンを見上げてました。
原作を読んだ時もそうだったけど、映画もまた「親孝行したい」って素直に感じさせてくれました。
まだ100%親に支えられ生活してる今の僕にできる「親孝行」っていうのは、たぶん、僕自身が自分に誇りを持って生き抜いていくことだと思います。
この暖かい気持ちはいくつになっても抱いていたいです
この2週間色んなことがあったからハイライトでお知らせ
16日のFinal c'kに合格し、帯広での訓練はすべて終わった。
帯広での最後のフライトの日、パイロットとしての一歩を歩み始めたこの空はとても穏やかで、試験を受けているとは思えないほど落ち着いて操縦することが出来た
そして23日、宮崎行きのコンテナに荷物も思い出も全部載せて僕たちは帯広を発った。帯広修了







24、25日は東京で思い出深い人たちに会った。
24日は大学時代のサークルの追いコンで、後輩と大学院に進学してた同期を盛大に送り出した。入学当初は僕たちに甘えていた後輩達がさらに下の後輩に慕われてて凛々しく見えた。
25日はカナダ留学中に出会った友達と帰国後初めて会った
時間を気にせず飲んで遊んだ友人も留学を終え、日本で仕事に就きそれぞれの道をスタートしていた。
自分磨き、自分の視野を広げるために突っ走った学生・留学時代を振り返ったこの2日間。
思い浮かべたその当時の自分は、、、痩せていた。痩せんといけん

28日から二泊三日で京都に旅行
ずっと訪れたかった京都。現代と過去が見事に調和された都市。
一歩小道に入ると風情漂う町並みも多く、はんなり(=ホッと?)とした気分になった。
憧れの京都弁も結局「はんなり」の使い方をマスターせず、とりあえず連呼して過ごした金閣寺







30日、父親の定年退職。勤続34年。とても誇れることだと思う。
ぼくも父のような立派な社会人生活を送りたい。贈り物












31日は大切な友人の結婚式。
誰からも好かれる新郎新婦の前途を祝すべく多くの友人が集まり、笑いと涙、そして祝福の声が耐えないすばらしい結婚式だった。
新婦を見つめる新郎の目はとても優しく、新郎を見つめる新婦の目は力強く、たとえどんな苦難に遭遇しても二人なら必ず切り抜けると感じた
二人から溢れ出る幸せを分けてもらい、ビンゴの景品ではゲルマニウムの効果があるマッサージ用品をもらい、心も体も癒されました結婚式












4月からの戦いを受け、この休暇はのんびりと過ごそうと思ってたけど性に合わず忙しいスケジュールを組んでしまった
でも京都に行って気持ちはリフレッシュ、持ち帰った”疲れ”は景品のゲルマニウムで一週間かけてはんなり(=リフレッシュ?)していこうと思う
航大生活も残り一年、折り返し地点。
原点の宮崎でフライト生活がまた始まる。
これからたくさんの苦難があるかも知れないけど、すべて乗り越えなければならない。
それでも口許には満面の笑みで駆け抜けろ~
午前の座学を終え、フライトの準備に取り掛かろうとしてた時に衝撃的なニュースが飛び込んできた。
全日空機がギアのトラブルで胴体着陸を試みると
テレビのある部屋に駆け込むと後輩達がすでにテレビに噛り付いていた。
そこには胴体着陸を試みるため空港周辺を旋回している機体が映し出されていた。
飛行機事故は必ずと言っていいほど重大なケースになる場合が多い。
飛び上がれば必ず安全に着陸させねばならない宿命のパイロットにとって、胴体着陸は着陸における最終手段。
様々なトラブルシューティングをしたけど、どれもダメだったようだ。

皆祈るように前輪の出ていない飛行機のLandingを見守った。
そして完璧な胴体着陸だった。


今日のタッチ&ゴーの訓練を終えてすぐにパソコンをつけると乗客の声、機内の様子などが明らかになっていた。
・乗員乗客にけが人はいなかった。
・機内でパニックはなかった。
・着陸時の衝撃や響きは意外に少なく、いつ胴体が接地したのかは分から
 ないくらいだった。
などとホッとさせる内容だった
「不安はあったが機長に任せるしかなかった。」
乗客は慌てることもなく機長を信じたという。
機長による「訓練を積んでいるから大丈夫」というアナウンス
機長はこの危機的状況の局面にも関わらず乗客からの信頼を勝ち取った。

まだ初フライトを迎える前の10月初旬。担当教官との初顔合わせ。
「将来どんな機長になりたいか?」と訊ねられた。
ぼくは「乗客に安心、信頼される機長になりたい。」と答えた。
ぼく達の訓練は自己満の技術向上でなく、安全に飛行機を飛ばせるエアラインパイロットに通ずるものでなければならない。この機長のような。
ぼくはそんなパイロットになる
現在のFligt Timeは73時間
帯広での訓練を終えるまで後3時間半。
帯広のゴールが見えてきた。
頑張れ
数年前、その人気に一気に火がついた「カリスマ美容師ブーム
ハサミ一本で鏡台の前に座る人を瞬く間に魅力的な姿に変えるその魔法にぼくは魅了され、そのブームに乗っかって、泥まみれの金を握り締めてスキバサミ買いに東急ハンズに盗んだバイクで走った15の夜

少年時代は迷いのないスポーツ刈り
恥ずかしさから坊主にしなきゃいけない公立中学校進学を拒んでお受験し、進学先の私立中学校でしてたぼくの髪型は刈り上げ
結局刈り加減が違うだけということに気がついた高校時代は、厳しい頭髪検査に怯えながらも少し髪を長めに。
同時にカリスマ的な美容番組「シザーズリーグ」が始まった。
そんな時、頭髪検査に引っかかった友達の髪を切ってあげた。
それがぼくのなんちゃって美容師気取り人生の一歩
ぼくは髪を切ること、人の髪を切ってあげることが好きだ

東京に上京して、洒落気づいたぼくが選んだ美容院はSTUDIO V
ここでぼくは太くたくましく量の多い髪を軽やかにしてもらい、若かりし頃は金髪に近い色にしたりツイストスパイラルをかけたりとそれがカッコいいと思い込んで髪型を楽しんだ
美容師さんと楽しく会話を弾ませながらも、魔法をかけるその手法を目に焼き付けた。
大学を卒業した後のカナダ留学中はバリカンで魔法をかけるカナダの美容師さんがどうも信用ならず半年間自分で髪を切った。
同意見の留学生の髪も切ってあげた
航大に入ってぼくの腕はピークに
同期の多くは髪を切りに行きたがらない。
多い時は週末に4人の同期からオーダーされ、みんなぼくと同じ髪型にした。
2週間に一回「髪切ってくれへん?」と言ってくるおしゃれさんもいる。
天パ率の高いうちの回期、裏を返せば腕を上げる為のよいカットモデルだ
ストレートに憧れる同期のストパーを挑戦したが、それは失敗に終わった
ぼくの手にかかればいいものの、適当な美容院で意味不明に「半分にして下さい」とオーダーしたらしく、襟足を一直線に、そして魅力を半分にされ、帯広課程の半分を棒に振った同期の彼も、失った魅力をぼくの手で半分取り戻し、自信も半分取り戻り、それは彼の人生の半分に貢献したと言っても過言ではないbefore after












ちなみに無免許のぼくは無償でカットしてるし、無免許のぼくがバイクを運転できるはずもなく盗むもこともないのであしからず
きっと小さい頃行ったことがあると思う。
でもいつか覚えてない。
そのくらい久しぶりに行ったプラネタリウム
帯広に来て夜、空を見上げる機会が増えた。
日本中どこでも見られるオリオン座
その中に塵のような無数の星屑があるのに気付いたのは帯広でのこと。
空気が澄んでてどの星も一等星に負けないくらい輝きを放っている
話は飛んで、宇宙飛行士は宇宙に行く体験をすると人生を根底から変えてしまうほどの大きなインパクトを受けるらしい
宇宙から見る地球は偶然の産物とはとても思えない程美しく、神の存在を認識した者。
毛利衛さんが残した「宇宙から見ると、国境も境界線も見えません」という言葉からわかるように、平和への意識を高める者。
また環境に対する意識の高まりもあるようだ。

ぼくの宇宙への興味は小さい頃テレビで見た藤子・F・不二雄の『21エモン』で始まり無性に宇宙に行ってみたいと思った、、、それ以上は強まってない
ただ星を見るのは・・・・なんとなく好きだし・・・。
流星群がくれば流れ星見るために・・・・・そら見あげるし・・・、
ながれぼしを見れば・・・・・願い・・事だってしたくなる・・

人工的に散りばめられた星空のドームの中でそんなことを考えながら気持ちよく眠りについた
プラネタリウム
東京都台東区竜泉にひっそりとたたずむお寺、飛不動尊
航空安全を祈願する人が多く訪れる歴史由緒あるお寺です。
安全に無事卒業しラインパイロットとして羽ばたけることを同期17人の分も一緒に祈りにお参りしてきました
境内にはお不動様の絵馬が納められており、パイロットやスチュワーデス、そのご家族の方が書かれた絵馬も見かけ、航空業界に携わる多くの人に親しまれていることがわかります

ぼく達は「安全」ということを日々口酸っぱく言われ訓練に臨んでいます
危険は目に映っても安全というものはそこにあって当たり前であるべきで、目に映りにくいけど乗務員は常に心に据えておかなければならない。
いかなる職業もそうだと思うけど、パイロットは特にどんなに事情があろうとも仕事において合格点を取り続けなければなりません。
不合格点は危険(事故)を意味する。
今はまだ教官が隣にいるということで、どこか甘えのようなものが心の隅にあるのかもしれません。
でも将来500人の乗客乗員を乗せて飛ぶパイロットとして独り立ちする為に今から「安全」いう意識を深く刻まなければなりません。

18人分の願いを込めて祈るには時間がかかりました
お賽銭に見合わない量の願いだったかもしれないけど、お不動様はきっとぼく達よりもずっと高い場所から見守ってくれているはずです。
飛行護
旅日記の続き
ウトロの次に向かったのは網走
かつては日本で一番脱獄が困難な刑務所だと言われ、明治の脱獄王「西川寅吉」や昭和の脱獄王「白鳥由栄」らが収監された網走刑務所
のすぐ近くのローソンでトイレ休憩をし、ホタテで有名なサロマ湖へホタテ丼を食べにすぐに車に乗り込んだのです
湖畔で美しいサンセットに遭遇し、さすがにスルー出来ず写真撮影
湖畔から目と鼻の先にあるレストハウス華湖ではみんなはホタテ丼、ぼくは一杯1500円もする超豪華な海鮮ラーメン。
ともにとっても美味しかったんですよホントに
ただ鮭親子丼を食べてまだ3時間。胃のコンディションがよければもっと美味しく感じたのは間違いありません
ホタテ丼超豪華ラーメン






お腹もいっぱいで眠気も帯び、宿を取るかそれとも寮に帰るかと答えの出ない二択に対する発言を皆控えながらも人として体だけはきれいにしておく必要があり、旅の最後に向かったところは層雲峡温泉
光のページェント層雲峡ではたまたま開かれてた光のページェントに心癒され、最高の温泉に浸かりながら銀世界の中に大きく花開く花火を見てセンチメンタルな気持ちになりました。
綺麗なものを見ると人は優しい気分になれます

温泉の温もりによってわだかまりも溶けみんなの気持ちも一つに。
ぼく達に1番ふさわしい寝床、航空大学校学生寮へ帰ろうと
途中猛吹雪でも関係ない
この旅で強めた絆、深めた信頼は大きく、こんな視程ゼロの吹雪の中でもドライバーに完全に命を預け車内で安眠することができたのです

サンセット観光地として今や日本人だけでなく外国人からも注目を浴びている北海道
皆大金を積んで、綿密なプランを組んで旅する中、ぼくら5人は最低限のお金と完全なる思いつきでプライスレスな日帰り旅行を成し遂げたのでした