人生初のバースデーフライトは大分空港~宮崎空港を5500ftで飛行するフライトでした
26歳。
小さい頃感じた26歳って、すごく大人だと思ってました。
今日その年齢を迎えました
去年は思わなかったけど、今年は誕生日を迎えるのが楽しみでした。
客観的に今の自分を見てみると、大好きな空に携われているということがうらやましく見え、輝いても見えるからです
ただ現実は訓練はきつい。
だけどそれだけ今掴もうとしてるものは簡単に手に入るものじゃないし、だから一歩前進するたびに達成感を覚えるんだと思います。

時計の針が0時をまわってから、同期が誕生日プレゼントを持って部屋に来て暴れだしました。
それが航大での典型的な誕生日の迎え方
部屋のデキる後輩にも流行りの宮崎マンゴーをもらい、同期のプレゼントが霞んでしまったけど。
去年とは比べ物にならないくらい落ち着いて誕生日を迎えたけど、航大生活で迎える2回目の誕生日は同期に楽しく賑やかに祝ってもらえる最後の誕生日を意味し、うれしくもあり淋しくもありました。
ここ数年誕生日のたびに思うことだけど、社会に出るこれからは、人に評価されるということが大いにあると思います。
自分に向けられる目が強ければ強いほど目をそらしたくない。
その声が大きければ自分も大きな声で返事し、そして受け止める。
しっかりと相槌を打つ。
そうやって、大人へ、社会人へ、そしてちょいワルおやじへと成長していきたいと思います。
今日のフライトは肩の力がすっと消え頭もクリアで、宮崎に来てから1番いいフライトだったんじゃないかと思います。
今日の反省を踏まえて明日をベストフライトにする。
常にそういう姿勢で臨み、26歳は自分の夢を実現する年にします。
Best Wishes to all of you
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本日の夜の予定が急遽流れてしまい、明日宮崎へ帰るための長距離運転に備え、地元の温泉に行って来ました
「家にお風呂あるのに」ってわかるようでわからない親の説得に軽く思考回路を乱されつつ、観光客しか行かないであろう観光ホテルの温泉に。
26歳を前にして完全に温泉バカになりつつあります。
そこらへんの温泉評論家と同じくらいの頻度で温泉に行ってる気がするし、こんなに温泉行ってたら体に免疫が出来て逆に全く効能がないんじゃないかと疑いつつあります

錦帯橋温泉
岩国市で一番景色の良いところにある温泉です
本日のリフレッシュにかかった費用は1500円。Priceless。
うちの地元は観光地だから今まで訪れた温泉で一番高いです
免疫が出来つつあるせいで効能はないかもしれないけど、でも出会いってあるんですね
露天風呂で高校の時の担任の先生にばったり出会いました
パイロットになりたいと思い始めた時担任だった先生で、空への進路について色々調べてくださいました
10年の月日が経ってるのに、先生はホントに当時話したことをよく覚えてて、「お前はずっとパイロットになりたいって言っとったのぅ」と懐かしげにおっしゃってました。
そうだった、当時はなりふり構わずパイロットになるとみんなに言ってた
その強気な言葉がぼくの原動力だった
白黒はっきりつけ、褒める時も叱る時もホンキで生徒と向き合ってた先生。
大学進学後、帰省中に2度ほど教壇で高校生を前に受験などの話をしたことがあり、航空大卒業したらまた生徒たちの前で話をしてほしいと頼まれました。
すごく充実した高校生活を与えてくれた先生の頼みだから、それに後輩たちにちくっとする程度の刺激でも与えられればと思い、航大卒業後また高校に遊びに行くことを約束しました
節目節目や何か喜ばしいことがあった時、生徒を励ます時、先生は必ず力強く握手をしてくれました
今日交わした握手もこれからぼくが分岐点に立った時、壁を越えた時に思い出すワンシーンとなることでしょう
当時の事を覚えすぎてた仇として、「お前は昔よう太っとったのぅ」という言葉は再会の感動を完全に打ち消すよう余計な一言だったメタボ関連の言葉は一番耳にしたくない言葉なのに。。。
世界各国が自国の発展に奔走したこの100年間をひいおばあちゃんは見てきました
ひいおばあちゃんはこの9月で100歳になります。
地元に帰省したら必ず行ってるけど、今回は特別な思いでおばあちゃん、ひいおばあちゃんの暮らす介護老人施設へ行ってきました。
9月に迎える100歳の誕生日を地元で祝えないから、前祝で
ひいばあ      「century
例えば、歴史上初の『大西洋単独無着陸飛行』を成し遂げたチャールズ・リンドバーグと5歳しか変わらず、マザーテレサにおいてはひいおばあちゃんより2歳年下国語の教科書に必ず掲載されている宮沢賢治与謝野晶子などの作品はタイムリーに目にする機会があったろうし、今じゃ当たり前の洗濯機やテレビが世に出たときは度肝を抜かれたことだろうと思います
若くして結婚し7人の子を産んで、途中悲しい戦争も経験したけど、まだまだピチピチの100歳って感じで元気です

ばあちゃんおばあちゃんは85歳。
料理と裁縫が得意だったおばあちゃん。
若い頃は米軍基地に住むアメリカ兵の奥さん達に編み物を教えてたみたい。
足腰が強く買い物も一人で歩いて行って済ませてたけど、もう何年も前から痴呆がかなり進んで、最近では名前を呼んでくれることもないし笑顔も少なくなってきた。
けど、これまで大きな病気にかかったこともなく体は元気
長生き出来るってことだけで尊敬に値するし、素晴らしいことだと思います。

久しぶりに会いに行くと、ひいばあは手を叩いて喜んでました
ひ孫を見て喜んでるのに名前に関しては「ケンジ」ってずっと間違えて呼んでたけど(←伯父さんの名前)
ひいばあにデジカメで撮った写真を見せると、100歳になる自分の顔を見て「わしゃ、こんなに歳とったんか」とまだまだかなりハイレベルなギャグが言えました
ばあちゃんはおっとりとただ椅子に腰掛けてました
前回会いに行った時は笑顔を見せたり鼻歌を歌ったりしてたけど、痴呆ってそういうものも奪ってしまうんでしょうか?
でも時々気まぐれのように名前を思い出したりすることもあるし、何よりも会うとこっちが元気をもらえる
また会いに行くと多少の元気をあげれるし、喜んでもらえる
だから名前を何度間違えられても、笑顔が見れなくても、会いに来たことをすぐに忘れられても、帰省したらまずばあちゃんとひいばあの元気な姿を見に行きたいんだと思います。
今は空を見上げる余裕がないと思う。
毎日空飛んでるのに
少しでも余裕を作らないと気持ちが潰れそうになるから昔書いたblogを読んだ。
それは帯広でファーストフライトを迎えた日に書いた日記
今まで抱いたことのなかったような感動とともにもう一つ今後の事に関して抱いたことがあった。
「今後訓練は間違いなく厳しいだろう」と。
まさにその通り
宮崎での訓練はホントに苦しく、これまで自分がぶち当たった壁や難関をそう感じたことさえ全否定しなきゃいけないかのように思えるほどである。
求められるものが高まったから、気象条件が厳しくなったから。そういうことだけじゃなく。
思い出として美化されてるからじゃなく、確かに帯広では空を見上げる余裕があったんだと思う
尊敬する友達がこういう言葉をくれた。
「他人にはできない何かを持っていることが仕事における自分の価値になるし、それがプロだよ。」と
どんなにビジネスで成功してても、どんなにスポーツで名をあげた人もそう簡単に飛行機を操縦できないだろうし、空の世界のプロではない。
ぼくは今操縦士としてプロを目指してるから、だから苦しいんだと思う

今月から同期1名増え19人になった。
比べることじゃないけど、絶対に誰一人と同期が欠けることなく卒業したいという気持ちは、同期の誰よりも強いと思っている。
今まで多くのパイロットの方々が通った道をぼくたちも必ず乗り越えなきゃいけないみんなで。
そう思ってる
「このウェブ サイトへのアクセスは、SonicWALL の検閲機能により今は遮断されています。」
blogを更新しようと書き込みページをクリックするとこの一文が表示されます
7月を迎えたと同時になぜかlivedoor blogが学校側の検閲システムにより禁じられてしまいました
いかがわしいサイトへのアクセスを禁じるために設けられた検閲機能が、健全なlivedoorをシャットアウトしてしまったのはいかがわしいことが起こる前触れか、それとも前途ある未来が切り開かれる予兆か
もうすぐ26歳の誕生日
夏生まれにふさわしく、毎年夏は絶好調だから今年も絶好調にもっていきます
胃の方は絶不調だけど、こればかりはしょうがない
とにかく間違いなく人生で1番熱い夏になります
携帯からの書き込みはとても骨の折れる作業でそれに伴い手抜きなblogになるのは避けたいので、遮断が解除されるまで、もしくはお腹がよじれるくらい笑えることがない限りblogをお休みしようかと迷っています。
ダイビングが好きで沖縄、グアム、サイパン、バリと世界有数のダイビングスポットで潜り、「ニモ見た~」とか「ウミガメ見たよ~」なんてはしゃぎながら優雅に過ごしたカレッジライフに泣く泣くピリオドを打って早2年。
機材つけて同じく有名な青く透き通った宮崎の海に潜りたかったんだけど、お金ないし、今では熱帯魚で癒されるどころかヤスを持って素潜りで大衆魚を追いかけリフレッシュする始末。
でも普段生活する地上の世界、空の世界を離れ、海の世界に一歩足を踏み入れれば、世界有数のスポットも宮崎の隠れた漁港も一緒だとわかった
海は無垢なぼくたちを受け入れてくれる

そんなぼくらを受け入れてくれた魚達を紹介しよう。
その容姿で癒してくれる、ハリセンボンチョウチョウウオソラスズメダイといった見て楽しませる観賞魚。
ヒレナガソラスズメダイ






クサフグボラフグと言った、日本中どこでも見られる至って普通な大衆魚。




海のギャングそして海のギャングと言われ、ヤスを持ったぼくらにもまったく動じないうつぼ
ぼくたちは宮崎の海で運命的に出会い、そして威嚇しあった。何分も何分も
人類と魚類の異種格闘技。
痺れを切らした同期が先制攻撃
激しく絡み合い、そしてゲット
勝者の彼の雄たけびはウツボが威嚇している姿と瓜二つ。写真はグロい。
うつぼ






もうすぐ梅雨が明け暑い夏が来る宮崎。
次こそはダイビングをしたい。
その時はまた彼らに海で会いたい
初めて父の日にプレゼントした。
小さい頃、
肩たたき券もお手伝い券もプレゼントしたことがなくて、
ホントは人を喜ばせたりびっくりさせるのが大好きなのに、
父親が喜ぶ姿を見るのは、たぶんなんとなく恥ずかしかったんだと思う。

25歳になっても、やっぱり少し恥ずかしいけど、
お酒が好きなお父さんに、
美味しくお酒を飲んでもらおうと思って、グラスをプレゼントした。
普段何気なく飲んでるお酒もいいグラスに注がれれば、いい香りと味を醸し出し、いい音を奏でる。

ホントは傘をプレゼントしようかと思った。
雨の多いこの時季、家に籠りがちになってしまうけど、
とびきりの傘があれば雨の日でも外に足を運びたくなる。
そう思って。
でも雨の日も、夏の暑い日も毎日仕事に出かけてたから、
34年間の勤めを終えたことだし、雨の日くらい家でゆっくりしてもらおうと思って、傘はやめた。

姉がプレゼントした日本酒をもっと美味しくさせるこのグラスで、
母と楽しい話でもしながら、
晩酌を楽しんでほしい
バカラと銘酒正博
贅沢に寿司を食べに行きました
日本人の約9割が高級料理の代名詞としてあげ、贅沢なものと認知している寿司
TEMPURA、TERIYAKIと並び欧米で日本食の顔としてあげられているSUSHI
都会では一貫2000円もとるようなネタもあるとか。
マグロの漁獲量も減り、トロは今よりもっと高級になってく
ぼくが行ったその店も色鮮やかな丸い皿に載った寿司が右から左へどんどんと流れてきました。
握りたて、握って数分経つものも関係なしに。
ポテトとかから揚げとかケーキとかクレープとか適当に流れてくる。
値段も一皿でワンコインと勘定しやすい
・・・
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・・・・・・・・・
贅沢なのは寿司を食べたって事実と満足感。
本質さえ捉えていれば回ったって回ってなくたって寿司は寿司

同期6人で寿司を食しセレブ(風)な気分になった後ボーリングに行きました。
日本人の9割が馴染みの深いスポーツとしてあげ、子供から大人まで楽しめるボーリング
でも都会では1ゲーム600円近くとるところもあるとか。
ここで10フレーム目まで勝者が誰になるかわからないという白熱した試合をし、ぼくがイベント時に決めたストライクを我が事のようにみんな喜んでくれ、充実したサタデーナイトフィーバーでした
以上。
ボーリング






本来ならここでペンを置くつもりだったけど、一文追記。
宮崎の某巨大第3セクターの施設付近でジョギング中の東国原知事を見かけました。
ホントそのまんまでした
オフの日も頑張ってる知事の姿に触発され、ぼくもさっきジョギングしてきました
フライトも気合と努力で頑張る
プロのパイロットを志す18名が新たに航空大に入学してきました。
たった1年前に自分も彼らと同じように不安と期待を同じくらい抱えスタートラインにたったばっかなのに、なぜか彼らがとてもキラキラして見え、なんか頼りなくも見えます。
そして彼らよりたった3ヶ月先に入学したもうすぐ座学課程を終え、帯広へ向かおうとしている後輩達が少し大きくたくましくなったように見えます
3ヶ月ごとに新入生が入学してくる航空大。
先輩が目の当たりにした壁をぼくたちは3ヶ月後に迎え、ぼくたちがその壁をどうにか乗り越えた3ヵ月後に後輩達がその壁を目の当たりにする。
ぼくらはその3ヶ月で確実なステップアップが求められる。

いよいよ宮崎フライト課程の山場、Navigation訓練が始まりました
帯広で行ってたNavigation訓練をベースに、そこに安全性正確性経済性快適性定時性という欠かすことの出来ない5つの要素が加わります。
そして福岡、沖縄を除く九州各県の主要空港へフライトします。
今週は大分空港長崎空港種子島空港に行ってきました
まだまだ操縦が上手くいかずホント悔しいけど、操縦してて初めての空港をインサイトした瞬間、着陸する瞬間、離陸する瞬間は感動します
特に種子島は島のほとんどがジャングルで島の上空にだけに背の低い雲がぽつぽつ浮いてて、日本とは思えない雰囲気をかもし出してました。
これから2ヶ月半、この訓練を中心に行われていくけど、梅雨のこの時期各空港の天気と途中航路の天気の判断がかなり難しい
これからは技術だけじゃなく知識量もアップさせていかなきゃいけません。
引き出しに理解した知識をしっかり詰め込んで必要な時に必要な分を取り出す。
要するに気合努力ってこと。
大分空港大分空港






長崎空港長崎空港






種子島空港種子島空港
航大の訓練においてSPIN訓練というものがあります。
飛行機を失速近くまで機首を上げて、失速直前に操縦桿をグ~ッとひ引いてラダーをガッと蹴ると飛行機は真下に向いてくるくる回りながら木の葉のように落ち始めます。
胃はちょっとウッとなって、
目の前に広がる映像が回転しながらどんどん近付いてきます。
SPIN←ムービー☆
SIPN訓練の目的は、
・SPINに陥ったときどのように回復操作を行うか
・今後SPINさせない為、またSIPNの状態に近づけない為にどういった操縦を心がけるべきか
これらを理解し身に付けること。
この度最初で最後であろうこのSIPNを行ってきました。
事前にこの訓練を受けた同期から聞いてた通り、この訓練は楽しい
初めてボナンザ以外の飛行機を操縦するということも新鮮な気持ちをあおります
セスナぼくは幸い酔いも恐怖心も感じず、教官が「おし、やめようか」とおっしゃられた後にもリクエストし、さらに2度もスピンをさせてくださいました。
もちろん訓練の趣旨はしっかり掴み、自信を持ってSPINから回復させられるようになったと自負しています
正しい知識と技術も持ってすれば、恐れることではない。
それぞれの飛行機が持つ特性をしっかり理解することで、万が一危険な状態に近付いても自分の思いのままに正しくリカバリー出来るということを学びました