「私なら出来る」
どんなホメ言葉よりもどんな慰めよりも自分を奮い立てる言葉。
仙台に引っ越してきて入ったこの部屋の壁に貼ってあった人生最強の言葉がかかれたこの色紙。
それを紙レーターの前に張ってみました。
イメトレの練習の合間にその言葉をチラ見。
「AIR SPEED」、「ADI」、「人生最強の言葉」といった感じでクロスチェック。
なかなか気分のいいイメトレですキラキラ

金曜の夜、仙台に住む中学校時代からの友達と会って久々にお酒を一緒に飲みました。
チャリで最寄の駅に行く道すがら、なぜかラルクの「flower」のサビを大熱唱しながらペダルを立ち漕ぎしてましたカラオケ
たぶん、それはうちらが中学校の時、カラオケでマイクを取り合いのようになりながら大熱唱してた歌だったから(?)だと思います。
社会人4年目の友人はホントくたくたでした。
昔話よりも現在お互いがどのくらい大変かを話すことの方が多かったです。
仕事=大変の方程式って不変不動だと思う。
だからどんな仕事に就いても遣り甲斐と同じくらい不満や大変なこともあるんだろうと常日頃から身構えてます。
大変だからって仲の良い友達がいつでも励ましてくれたり背中押してくれたりすることはこれからは昔ほどはないと思う。
だから自分でマインドコントロールしなきゃいけない。
「私なら出来る」って唱えてアップ

東北地方では秋口に家族・友人・学校・職場・地域での親睦を深める行事として、「芋煮会 」というものを行うようです。
先週の日曜日にフライト教官、そのご家族を含む学校職員の方々と仙台課程の全学生でその芋煮会が開かれました。
東北各地でそれぞれの味付けがあるようですが、教官アドバイスのもと作ったのが宮城風山形風
大まかな材料はほぼ同じで、違いは宮城風は味噌ベースで豚肉、山形風は醤油ベースで牛肉。
その中にもちろん主役のサトイモが入ります。
味は宮城風は豚汁のような感じで山形風はすき焼きに近い味でした。
芋煮(宮城風)






他にも今が旬の秋刀魚、旬の問われない焼き鳥などが振舞われました。
獲れたてで脂ののりがいい秋刀魚は網の上で塩焼きにうお座
焼き鳥は凍った状態から解凍という行程を経ず一気に網焼きに。
美味さを語れば野暮になる」。名俳優中尾 彬氏も言ってるし野暮扱いは避けたいので美味さを語りません。ただぼくのほっぺたが落ちたことは何かを物語りたかったという印でしょう。

人は美味しい物を前にし、そこにお酒が加われば自然と口許が緩み冗舌になるものです。
そんな中で教官から聞くことの出来る言葉は宝物のようで、訓練の取り組み方、パイロットとしての過ごし方、そして何よりもパイロットであることの素晴らしさや空の魅力を教えてくれますキラキラ
あと半年、最後のきつい半年を乗り越えたらぼくらはみなそれぞれ異なった新しい翼を手に入れバタバタと羽ばたかせる生活が始まります。
普段の生活において「プロ」、「卒業」、「就活」という言葉が仙台に来てから極端に増えたことも、航大生活も残り半年切ったことを再確認させてくれます。
ぽかぽか陽気で笑いの耐えない宴の中、早くキングエアを操縦したいと思いつつ東北ならではのスタイルで気持ちよく秋のスタートを切りました。
52-Ⅲの先輩 芋煮会


一年前宮崎でまだ飛行機に近付くことさえ出来なかった座学生だった時、同部屋の先輩に何気なく言った一言があった。
「先輩も卒業して航空会社に入社したらボールペンプレゼントしてくださいメモ」と。
その日、同部屋の先輩のそのまた先輩が遊びに来られた。
手にはきれいに包装された小さな箱を持ってベル
その時先輩がプレゼントされたものがいかにも高級そうなボールペン。
久しぶりの再会で懐かしそうに話されてる姿を見て、また先輩とフライトの話が出来ること、卒業されてもつながりがあるということ、話してる内容は難しくてよくわからなかったけどその光景がすごくうらやましく感じた。
そういうことがあって先輩が卒業してからぜひ遊びに航大に来てほしいという気持ちもこめて「ボールペンプレゼントしてください」と言ったのだった。

この土曜日、部屋でのんびりしてる時、ノック音がしてドアに目をやると先輩が立っていた。
アポなしで心構え出来てなかったから正直驚きが先行した!!
「約束を果たしに来たよ。」と言う先輩の手には一年前ぼくが見た光景とほぼ同じ、きれいに包装されてた小さな箱があった。
その一言で中身が何かすぐにわかった。
T.Hirotaと名前が彫られたWATERMANのボールペン。
忙しい中わざわざボールペンを渡しにいらしてくれたのだった。
聞きたいことは沢山あったのに舞い上がってたから話に脈絡がなくどんどん飛んでしまったけど、当時出来なかったフライトの話、会社での仕事の話、訓練のアドバイスなど色々伺った。
厳しい訓練の最中は卒業後の自分のイメージが沸きにくい。
卒業生の話を聞くことで初めて自分達の行ってる意味がよくわかる。
帰りの便の都合もあって30分弱しか話せなかったけど、何気ない一言から生まれた約束を果たしに来てくれた先輩がとても格好良く思えたアップ
そして沸いたイメージに少しでも近づけるよう、訓練に臨もうと思った。

waterman


セキュリティ、解除されました
これ見よがしにBlog更新していきます

仙台に来てもうすぐ2週間。
風に揺られる木々、落日の空の色などすっかり秋色が深まってきました。
過ごしやすく好きな季節です。
仙台での暮らしもまだまだ忙しい中、徐々に生活にリズムが生まれてきました
ここで乗る飛行機はC90Aキングエア空の王様です
同期皆操縦手順の習得に日夜励んでます
その成果を試すべくFTD訓練(シミュレータ訓練)が始まりました。
簡単に言うと今まで乗ってたA36よりもサイズも大きく、スピードも速く、到達できる高度も上がり、システムも格段に難しくなりました。
同時に手順も増え、エンジンかけるだけでも一苦労。
それを19日の初フライトに向けて1から勉強し直しでかなりハード
でも、この一回り大きくなった飛行機で早く東北の空を駆けたいという気持ち、教官の力強い言葉が背中を押してくれます。
今は正念場ですが、手抜きせず、息抜きはしっかりして頑張ります。
左 ボナンザ  右 キングエア
A36 C90A





   かなり増えた操縦計器類。頭上にも座席の間にもある。
C90A操縦計器

人生でもっともしんどかった宮崎での半年を終え、事業用操縦士の自覚と資格を引っさげて仙台にやってきたものの、ここでもセキュリティという見えない壁に動きを完全にふさがれてます
blogのログインページがここ仙台でもアクセス禁じられているんです
書きたいことたくさんあって、例えばビリーさんのブートキャンプに入隊したことや、同期の正と同じ部屋になって来たる就活にむけて日々リハビリ生活を送ってることや、仙台課程を背水の陣で挑む意気込みとか色々あって
学校側に解除を依頼してみます。
乞うご期待
911米国同時多発テロから今日で丸6年。
将来操縦するであろう旅客機が約3000人もの命を奪う恐ろしい凶器となりました。
当日、テレビを見ながら地元の友達と電話で話している時に2機目がWTCに激突した映像を目にしました
2人とも信じがたい現実を目にして何を話したらいいか戸惑いつつもとんでもないことがNYで起こっているということは理解できました。
その一年後、アメリカでの短期留学中に訪れたグラウンドゼロ。
悲劇の舞台となった場所では映像で見た事件の凄まじさを表すものはほとんど撤去され、新たな工事が始まろうとしている状態で、それを目の当たりにして何も感じ取れない自分がいました。
ただあの場所は恐怖や怒り、虚しさ悲しさといった感情が渦巻く場所に違いありません。
テロの映像、みなさんの記憶にも色濃く残っていると思います。

航空機は事故となれば、たとえそれがテロじゃないとしても必ず大惨事に繋がります。
携わる多くの人たちによって支えられている『飛行機の安全』の最後の砦がパイロットになります
そう考えると明日からもフライトバッグを引く手にも一層力が入ります
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現在宮崎での総フライトタイム68時間30分
そのうちソロフライト9時間を含む34時間30分のNavigation訓練を終え、口述試験もパスしようやく事業用操縦士をかけたフライトチェックの一つを受ける条件を満たした。
週明けのチェックを前にし、今までフライトをしてきて学んだこと、教官に注意されたこと、自分の弱点などを書きなぐったノートに目をやった。

するとある日のFTD訓練(シミュレータ訓練)を終えた後教官からいただいたアドバイスを書き留めたメモを見つけた。
その日の訓練の事を思い返してみた。
確かFTDを終え、デブリーフィングを終えた後に教官が「最近楽しいことあったか?」と聞いてきたのだった。
ぼくは楽しいことを思い出す間もなく思わず「訓練が辛いです。」ともらしてしまった
だけど教官は少し笑みを浮かべ「お前らはまだパイロットの赤ちゃんだ。叱られるうちが華。意固地にならず、素直な気持ちで取り組め。」ととても前向きな気持ちにさせてくれる言葉を掛けてくれたのだった
失敗したらなぜ失敗したら対策をしっかり立てる。
フライトは感情だけで上手くいくものじゃなく、確かな知識と判断力が必要だ。
だけどこの赤子同然の訓練生に操縦桿を握らせてくれてる教官に対して素直な気持ちで接することは最低限必要だと思う。
明日をベストフライトにする

1年間乗ってきたボナンザとのフライトも残り少なくなってきた。
秋の空気を少しずつ感じつつ、暑く苦しかった宮崎の訓練がもう少しで終わろうとしている。MDとボナンザ
宮崎でのNavigation訓練も大詰め。
どの班も9月の試験を想定し、難しいコースを選び九州各地の空港に向かってます
パイロット人生における一番の山場といえるVFR-Navigation
特に紹介する熊本空港、鹿児島空港なんかは空港周辺にエアラインや自衛隊の飛行機も多く飛んでるし、気流も悪かったり、制限があったりと苦手。
その苦手な熊本空港にソロフライトで行ってきました。
難関に逃げずにぶつかった
かつてラモスだってCMで言ってたし。
「ブツカッテイコウヨ。コッチニハバンテリンアルヨ。ユウリデス。」って。
バンテリンあれば有利ってかなり衝撃的なキャッチコピーだったけど、でも彼の言いたいことはわかる
「迷っても悩んでも、自分の夢諦めたりしないでぶつかっていこう」と。
虚ろな未来のユートピアじゃなく、確かな今を掴かもう・・・
いよいよパイロット人生最後のソロ、ソロフライトの集大成とも言える2生地ソロが始まりました。
3空港に着陸し、給油をして宮崎空港に帰ってくるタフなフライト。
ミスを叱ってくれる教官は隣にはいない。
全部自分で判断して飛行機を自分の思うように操縦しなければならない。
それではフライトのことを書いたら必ず締めくくるこの言葉で。
気合と努力でぶつかってこうバンテリン買って。
RJFT熊本空港






RJFK鹿児島空港






RJFS佐賀空港
フライトが終わって今日は花金☆
地鶏をあてにビール、焼酎飲むいつもの週末に今日だけ別れを告げ、同期のただしと劇団四季のミュージカルを見に来てます。
チケットもなく会場に来てみたけど楽勝で当日券ゲット出来ました。
夢から醒めた夢♪
ぼくはまだ夢見てる途中。すでに26歳。611d63b8.jpg
串打ち三年、割きが五年、焼き一生
うなぎを上手に焼くためには相当な修練が必要なようで、上のような言われ方がされてるらしいです
ただ、うちの父親の手にかかればそんな評語当てはまらん
うちの裏の川でうなぎを獲り、本来なら五年かかると言われてるさばきを当然のようにこなし、焼く時ひっくり返しやすいからという理由で刺す串に三年の修練を要するわけもなく、一生かかると言われてる焼きに関しては、最近テレビで見たうなぎの美味しい焼き方を早速取り入れたみたいで、上のもっともらしい標語を完全に覆す見事な男料理を作るのです。

小さい頃からうなぎが大好きでよく祖父や父親が釣ってきたうなぎを食べてました。
実家を離れてからは帰省した時にうなぎを食べるのが恒例となってます。
週末思い立って実家に帰ってきたけど、いつもと変わりなくうなぎを焼いてくれました。
美味しかったぁ
昨晩は高校の時の友達と飲んで、ここ最近で一番笑ったかなってくらい笑って、短い帰省だっだけど英気を養えたし、残りの宮崎でのフライトも全力で乗り切ります
うなぎ土手