親鸞上人の記した浄土真宗の根本聖典「顯淨土眞實敎行證文類 (教行信証) 」の翻訳もされていた晩年の大拙博士に、その当時お側に仕えていた岡村美穂子さんはこう訴えた
「阿弥陀様の本願がどうしても分からない」
その時は手が離せなくて即答出来なかった大拙博士は、しばらくして朝の支度をしている美穂子さんを呼び寄せる、そして、、、
お盆の帰省を今年も諦め、それではと阿弥陀様の御縁日にお伊勢さんへ
お盆の最中にお参りするという機会もそう幾度もあるまいと
外宮
月参り
御朱印
阿弥陀様の御縁日に
外宮
三重県伊勢市
そして、
気付いてなかったなぁ この様なお食事処が外宮のすぐ手前にあったなんて✨
御饌の朝かゆ@あそらの茶屋
午前七時三〇分〜十時
伊勢外宮表参道
実に外宮に似つかわしい✨
とても美味しゅうございました✨✨
冒頭より
そして、窓の外を指して一言、
「本願があがってきた」
本願とは本来の誓願、衆生を誓って救っていこうという不断の願い、それは例えば、窓の外に見える上りゆく 朝日
本願の象徴としての、あまねく一切を照らす 日の光 は、いつも、私たち衆生を大自然の生命の中で照らし、生かして下さっている
というのだ
お伊勢さんに、この御縁日にお参りするというのも、意外と整合性はよいのかもしれないなぁ
もっとも、外宮よりも天照らす内宮のほうがより整合性は強いのかもしれないけれど、、
そしてまた
この日は、、
敗戦の日
忍び難きを忍び、耐え難きを耐え、
この一文、ひとりの禅僧が時の首相鈴木貫太郎氏に宛てた手紙の中にある言葉がもとになっているという話もある、そもそもは達磨様の言葉の中にあるらしい
お釈迦様が涅槃に入られた日に始まった大東亜戦争 (*1) は、阿弥陀様の御縁日に敗戦を受け入れて終わるという不思議な因縁
*1:太平洋戦争という呼び名は米国の押し付けなので使わないことにしている
靖国神社のA級戦犯合祀については、昭和天皇も不快感をあらわされ、実際に、以降、皇室による靖国参拝はない
まぁ A級戦犯という罪状自体は戦勝国側が事後に作ったものだから、その点についは法的にはいかがなものかと思うが、それはそれとしても、昭和天皇以降の皇室の対応については、その真意は深く考え受け止める必要があるのだろう、、
更には
靖国問題は、日本人の死生観とも"微妙に" 関わってくる (*2) 、知識は知識として知った上で個個人が考えるべき問題なのだろう、、、
*2:そもそもの創建は、国 (実質は戊辰戦争における新政府軍側の御霊 (いわゆる藤田東湖による "英霊" )) を靖らえることを主眼としていた、つまりは、反新政府軍側は対象外ということ
ここら辺りに違和感を覚えるんだよなぁ 人為的に (矮小的に) 合祀の是非を判断していると感じられて、、
さかのぼること鎌倉時代の元寇の役後にみる敵味方分け隔てなく弔うという精神はすでにここにはなく、自軍の死者のみを “英霊“ としてお祀りするという、
この有り様は神道の理念と相入れるものなのか? よくは知らないけれど、、
【三重県】
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