赤坂氷川神社1 (東京十社巡り④) (討ち入り編-1/5) [東京都] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

その年の最後の管長さんの提唱では山岡鉄舟居士の逸話を、

 

またその法話では大石内蔵助の辞世の句についても、、


そして、

鎌倉を辞して向かった先は、、、


亡くなるまでの三十年弱 (~1899年) 勝海舟は、

 

赤坂氷川神社のそばに居を構え 「氷川翁」 とも呼ばれていた

「氷川清話」 の氷川とは赤坂氷川神社の 氷川 のことだったんだねぇ

今はその跡地を示す評が一本立っているだけだけど、、


お~ ここが南部坂かぁ...


赤坂氷川神社
東京十社巡り

 

この社評も興味深いんだけど、、それはまた、別の話として、、、





一打ち、ニ打ち、三流れ、これが山鹿流陣太鼓、、、

このお馴染みの討ち入りシーンがそうであるように、

 

雪の南部坂の別れも史実ではない



 

 

でも、


だけど、、


とても大好きなシーンで


だから、、、


ここ赤坂氷川神社には、やはりこの日にお参りしたいと思っていたんだなぁ


というか、

初めてのお参りはこの日に決めていたのだ


時は元禄十五年十二月十四日

この地はかつて瑤泉院 (阿久里) の実家があったところ


殿中松の廊下で夫君浅野内匠頭が刃傷におよんだその後、


その菩提を弔いながら暮らしたところ、、
 

 

十二月十四日、討ち入りの日に





「西国に職が見つかりました」

両国橋のたもとで偶然出会った大高源五にそう別れを告げられた宝井其角は、とっさに、、

 年の瀬や 水の流れと 人の身は

と発句する、大高源五はすかさず、、、

 明日待たるゝ その寳船

と 付句し、、、


このシーンも好きなんだよなぁ...


そう、

だからこの日は、


もうひとつのお社で、御朱印をいただかなければならなかったのだ、、、


つづく


赤坂氷川神社
東京十社巡り④
浅野土佐守邸跡
東京都港区

 

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