豆腐得て田楽となすにためらうな  石田波郷


『世渡りの道はどうかと豆腐に聞けば、

豆で四角でやわらかく』(都都逸)


豆腐は豆が原料で四角、

今はパックで丸もありますが、

柔らかな舌触りの身上は今も変わりありません。


今では考えられませんが最初は堅いのが主流。

縄で縛ってぶら下げている絵も残っています。


豆腐の起源は、中国漢時代、漢の高祖の外孫准南王劉安に、

始まると伝えられていますから、

紀元前二世紀末ということになります。


十世紀の頃、農民が考え出したともいわれています。


日本への渡来は遅く下学集(文安元年 1444年)に、

豆腐の文献があると江戸時代の擁書慢筆にあります。


神官説もあります。

奈良春日若宮の神主の日記の千百八十三年一月二日に、

『春近唐府一種』とあるのが豆腐だとする説です。


精選版日本国語辞典(小学館)は、

『日本に伝わったのは奈良時代といわれる(本草色葉抄 1284)』

と紹介しています。


江戸時代にはかなりの人気があり、

豆腐百珍(天明2年 1782年)の名著が現れます。

これを機会にいろいろな料理の百珍ブームがおきます。


この頃の歌に、

『ほととぎす 自由自在に聞く里は

酒屋へ三里 豆腐屋へ二里』

どれほどの店があったのか分かりませんが

かなり好まれていたようです。


飛鳥川(柴山盛方 文化7年 1810年)に、

『朝七ツ時(午前4時頃)より仕込みして朝飯の間に合う様にしたるが、

近年は宵越しの豆腐を朝売りに出る』


『もう豆腐屋かと鉋っ屑つかみ』(柳筥1)


『豆腐売り続く夜伽を嘗めて行き』(年ごもり6)


一日三度売り歩いたようです。


江戸時代は豆腐の田楽も好まれますが、

江戸と京阪ではスタイルが違っていました。


守貞慢稿(喜田川守貞 天保8年~ 1837年)

『京阪の田楽串は股のあるものを二本用い、

江戸では股のあるものを一本通す。

京阪では白味噌、江戸では赤味噌、

共に砂糖を加えて摺る。


また木の芽田楽では、関西は山椒の若芽を摺り込むが、

江戸は上にのせる。また江戸では夏以外はカラシをそえる』


田楽は平安中期から室町時代におこなわれた芸能で、

田植えの時、豊作を願い高足という棒に乗り田楽法師が舞う姿と、

豆腐に棒を刺した様が似ているからといわれます。


『豆腐屋の悋気のたねは初茄子』(万句合宝暦7年)

茄子に味噌を塗って焼くのが鴫焼き。


魚に味噌を塗って焼き上げると魚田と名を変えます。


豆腐の語源は、漢語(音 doufu)の借用語。

世界中どこでもトーフで通じるという。

(衣食住語源事典 吉田金彦編 東京堂出版)


おかべは女性語で豆腐のこと。白壁に似ているとの意。


湯葉は老婆のしわに似ているから姥、

転じて湯葉の意といいますがどうでしょうか。


豆腐殻(オカラ)をきらずというのは、

包丁を用いなくてもよいからの意です。