うの一字長きのれんや鰻焼く  小玉えつ女


鰻といえば決まって引用されるのは

萬葉集に取り上げられている

大伴家持の鰻の歌です。


『痩せたる人を嗤笑ふ歌二首


石麻呂にわれ物申す夏痩せに

良しといふぞ鰻(武奈岐・ムナギ)取り食せ (巻第16 3853)


痩す痩すも生ければあらむはたやはた

鰻取ると川に流るな (巻第16 3854)』


大伴家持が夏バテ気味の吉田連老(ムラジイユ)を

からかって詠んだ歌二首です。

この頃すでにスタミナ源として認識されていたのでしょうか。


夏バテの季節、土用の丑の日が近づきますと、

平賀源内の『本日土用丑日』もよく話題になります。


今に語り継がれる名キャッチコピーですが、本来は、

『本日土用丑日 鰻は腎水をまし 生気を強くし 

食すれば夏負けする事なし』


夏バテで売り上げが落ち、その上に鰻の痛みも早く

困り果てた鰻屋に頼まれて書いたといわれいます。


一説には太田南畝説。


春木屋善兵衛説もあります。

鰻の蒲焼の大量の注文を受けて、

一日に焼くことが出来ないので、

子・丑・寅の三日間焼き上げたうちで、

丑の日に焼いたものが痛みが少なく

味も良かったというものです。


土用といえばうだるような真夏を思い浮かべますが、

土用は春夏秋冬あり、

夏の土用は立秋前の十八日間だそうです。


俳句の季語は夏の土用をさします。


蒲焼の文字が見えるのは、鈴鹿日記(1399年)の

六月十日の条が最初のようです。


蒲焼の語源はいくつかあります。


焼いた皮が樺の木の皮に似ていることから。


香疾焼説は、焼くと香りが早く(疾風)

四方に伝わることから。


三番目は焼いた形が蒲の穂に似ているとする説。


神代余波(斉藤彦麻 弘化4年 1847年)に、

『蒲焼は昔は、鰻の口より尾の方へ串を遠して、

丸焼きにしたる事…』


近世事物考(久松祐之 弘化・文久の頃 1844年~63年)にも、

『その形、河辺などに生える蒲の穂の形に良く似たる故に、

かまやきと云いしなり』

と江戸の頃は蒲の穂説が多く見られます・


樺の木の皮説は、

骨董集上之中 (山東京伝 文化11年 1814年)に、

『鰻の樺焼は、その焼きたる色黒にして、

樺の皮に似たるゆえの名なりと、諸書にいへるは不稽の節なり。

(新猿楽記)に香疾大根といふ名見えたり。


こうばしき香りの疾く他の鼻に入るの請なるべければ、

鰻の香疾はよく相当したる名なり』

と否定しています。