酒を煮る家の女房にちょと惚れた  蕪村


萬葉集 (天平宝字3年 757年)巻第三に、

大宰師大伴卿、酒を讃める歌十三首に


『験(シルシ)なき物を思はず一杯(ヒトツキ)の

濁れる酒を飲むべくあるらし』(338)


甲斐もない物思いなどに耽らないで、

一杯の濁酒でも飲むべきであろの意です。

(萬葉集 日本古典文学大系  岩波版)


昔の酒は白く濁っていたことはご承知の通りでが、

濁酒とわざわざことわるところを見ると清酒が

存在していたのでしょうか。


奈良時代の文献にすでに清酒の名は見えるそうです。

『「清、濁」「清、滓]などの

「清」は上澄みした酒とか、あるいは篩絹で濾した清み酒の意である。

さらに伝飛鳥板蓋宮跡出土の木簡の「須彌(スミ酒)」…』


『一二四二年(仁治三)年一〇月付伊勢神宮の

「大神宮宮仮殿遷宮取物人差文」…

「清酒作内人」「酒作内人」の名がみえる。

「清酒」は明らかに清み酒、」「酒」は濁り酒のことである』

(日本の酒5000年 加藤百一 技報堂出版)



清酒の原型といわれるの諸白が製法として定着し始めたのは、

多門院日記巻二十一(天正4年5月14日条 1576年)に、

『ヒヤタヤヨリ 諸白スス一対 ツケ物』

と記されているこの頃といわれたいます。


仕込み方は、熟成酵母の中へ、

米麹蒸米水等を三回に分けて行う三段掛方のことで、

発酵の終わった醪を酒囊に入れて

酒と粕を分離する槽掛けに大きな特色があるそうです。


とくに夏は火入れを行い腐敗を防ぎ、

その工程のひとつに木灰を入れて濾しました。


これにより酒がきれいに仕上がり、

木灰を直し灰、澄まし灰といいました。


この画期的な方法もやがて新しい技法に替り、

一時期の流行に終わったといますが、

噂とは恐ろしいもので江戸時代を通じて延々と続きます。


甲子夜話続篇(松浦静山 江戸時代後期 発行年代不詳)巻三十四に、

『往昔は今の如くすみたる酒にてあらず…

あるとき召使いの男、根性あしきものにて、

主人と口論し最早この家に奉公せんと…

灰を酒桶ね投げ込み心よげに独り笑いして帰らんと…


主人初めかかる事とは露知らざりしがが…

ひしゃくに汲み上げてみるに…

きのふまでのにごり酒すみ渡る不思議…』


拾遺雑話二(木崎惕窓 宝暦7年 1757年)には、

『その仕方火葬の灰を用ゆ…

人のねたみあるものの云いだしたるものなり』


とまことしやかに語り継がれます。

デマを流したりとすさましい販売合戦です。