煮大根を煮かへす孤独地獄なれ 久保田万太郎
守貞謾稿(喜田川守貞 天保8年~ 1837年)後集巻之一に、
『醤油 昔はこれなし。足利氏の包丁大草家の
書等に醤油と云うことかれなし。垂味噌を用ひたり。
垂味噌は、今世、田舎にて用ふたまりのことなり。溜なり。
味噌溜の上略なり。味噌の上を凹にして、笊を納れ置き、
溜る所を汲み取る故に名なす。
醤油の名「庭訓往来]および「下学集」にいまだこれを記さず。
「説用集」に初めてこれあり』と記されています。
衣食住語源辞典(吉田金彦 東京堂出版)によれば、
初見は「易林本説用集 1597年」より前で、
『言継卿記の一五五九年の条に、
長橋局に、「シャウユウ」の小桶を送ったことが記され、
さらに、「多門院日記」の一五六八年の条にも、
「長印房へ羅漢供ニ徳利醤油持出了』と記載しています。
精選版 日本国語辞典 小学館には、
文明本説用集(室町中期)に
しょうゆうの記載があると紹介しています。
図説江戸時代 食生活辞典
(編集代表 篠田統 川上行臧 雄山閣)では、
『鹿苑日記の「日用三昧」の天文五年(1536年)七月二十八日、
「漿油をネサス」という記録…
説用集文明本は「漿醤」…
言継卿記は「シヤウユー」…
「醤油」の成語が初めて見出せるのは
慶長二年(1597年)の「易林本説用集」』と記されています。
味噌と並んで醤油は日本を代表する調味料ですが、
語源は今ひとつはっきりしません。
その中で衣食住語源辞典に詳しく紹介されています。
『中国でも醤油という文字は見られるのは、
清代初期「閑情偶奇・白煮俟熱、略加醤油」なので、
音読みであるが、借用語ではないらしい。
「醤をしぼってできた液」という意。
しぼり口からトロトロと流れ出るさまが」
油を採取するさまに類似していたので油の字を当てたものか』
溜り醤油が誕生したのが鎌倉時代。
醤油が文献に登場するのが室町時代。
庶民に受け入られ愛されたのが
江戸時代になってからのようです。
江戸の初期は下り物が主体で
関東で醤油の製造を始めたのは、
銚子で元和二年(1645年)から
正保二年(1645年)にかけて二店。
野田でも寛文元年(1661年)から二年にかけて二店が
営業しているだけです。
やがて関東でも醤油の生産は盛んになりますが、
享保十一年(1716年)の記録では、
江戸には十三万三千樽の入荷があり、
そのうち十万一千樽が関西もので、
大阪から海路運ばれてきたものです。
職人の街、労働に明け暮れる人々にとって
何よりも必要とするのは塩分です。
関西の商人たちが江戸の地場物を粗悪品と馬鹿にしても、
濃度の濃い関東の醤油が人々の好みに合っていきます。
その流れをいち早くキャッチしたのが関東の業者です。
関西の商人たちは初期の頃の莫大な利益を夢見て、
情報社会から取り残されていきます。