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tablaboyの道日記

祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

“神様、どうぞ私の心に愛を充実せしめ給え、どうぞ、私を愛深い私にならしめ給え゛と。

その祈りを毎日かかさずつづけていることは、細かい種種な願いごとをする神詣、仏参りより、はるかに、はるかに、その人を高い境地に導いてくれるものである。立っていても、坐っていても、歩いていても、寝ていても、そんな形のことはどうでもよい。ただひたすら、愛深い自分になることを祈りつづければよいのである。”


 上は五井先生の『神と人間』の一節ですが、私はこの文章が大好きです。
 『どうぞ私の心に愛を充実せしめ給え、どうぞ、私を愛深い私にならしめ給え』と心の中に思い続けることは、いかなることよりも大事である、と思っています。
 私は永遠に、ただひたすら、愛深い自分になることを祈りつづけてゆくことでしょう。

どうしてこの世の中が苦悩に満ちているのでしょう。
それは『忘れること』
・・に起因しています。
真実の充足、幸せ、喜び・・それは何に起因しているのでしょう。
それは『思い出すこと』
・・に起因しています。
では、何を忘れることが苦悩であり、何を思い出すことが充足なのでしょうか?
永安先生は、様々な角度から明らかにしてくださっています。
お楽しみください

永安先生講話シリーズ #2

五井先生が提唱された祈りに
『私達の天命が完うされますように』
というものがある
もう25年もこの祈りに親しんでいるはずだが
奥が深くてなかなかその真意に到達しない
最近にやっと、分かりかけてきている
「天命が完うされますように」とは、相手の命、相手の働きに同化すること
相手そのものになって、光の中、法則の中、絶対者の中に飛び込んでゆくこと
この祈りは愛そのものの祈りなのだ


信とは、想いに方向を与えること
方向が定まらなければ、想いのエネルギーは散逸する
信、信じるということは、なにか迷信的な、無知なような感じがする
実は、信を持っている人だけが、夢を、目的を現実に変えてゆける
信じるから努力できるし、信じるから前進出来るできる
迷いながらでも・・

人間とは何か、この世の中にどうして不平等があるのか、どう生きれば幸せになるのか、どうすればこの世界が住みやすく、豊かで、美しくなるのか・・・そういう問題を根本から考える機会を皆さんに提供したいと思い、永安先生の許可を得まして、『人間と真実の生き方』の勉強会を10回くらいのシリーズで紹介したいと思います。これは白光真宏会の教義になっていて、以下がその文章です。
現在も勉強会をやっておられるのですが、平日の昼間、白光の会員さんだけですので、一般の人が聞く機会は全くないと思います。しかし、それではもったいないし、また、勉強会に出たい、という希望の方も沢山いらっしゃるようなので、こういう形で紹介し、一般の方にも、本当の意味で、『人間というものがどういう存在なのか』を知っていただければ、あるいは、そのヒントになれば幸いと思います。


 “人間と真実の生き方
人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、常に守護霊、守護神によって守られているものである。この世の中のすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念がその運命と現れて消えてゆく時に起こる姿である。いかなる苦悩といえど、現れれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起こし、どんな困難の中にあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心を常に想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得出来るものである。”


 永安先生講話シリーズ #1

 永安先生の「ぴーす」より


“真の自己を知るための瞑想

 霊性を高めていくための瞑想しましょう・・・・・
 呼吸を調えて、リラックスしていってください・・・・・
真の偉大なる自己を知るためには、この肉体人間の頭脳で、あれこれ考えても知ることはできないのです・・・・・
 何故なら、この肉体人間そのものが、まだ不完全なものですし、ましてや肉体人間観にとらわれている個としての私という存在は、過去からの経験と記憶の中で造り上げられた、誤った自己像なのです・・・・
 そうした時間的な束縛の中にある自分で、時間なき永遠のものである真理、つまり自己の本質はわかろうはずがないからです・・・・・
ではどうしたら真理、真の自己を知ることができるでしょうか・・・
 まず、真理についてあれこれ考えることをやめることです
 真理は小知才覚で知ることはできません・・・・・・
 むしろ、真理について考えることをやめたことにおいてのみ、真理を体得することができるのです・・・
そこで、次のように考えてみてはどうでしょう・・・
 私たちは頭があるから、ついあれこれと考えてしまう・・・
 何か事を起すにしても、何かを感じたにしても、すぐそれを頭で考えないと納得しない、行動に移せない、というところがあります・・・・・
 つまり、頭が間題なのです・・・・・
そこで今日は、思いきって、あなたのその頭を切り離し、捨ててしまいましょう・・
 勿論、それは思いの中でです
さあーそれでは、あなたの頭を切り捨ててしまい、もう無いものと思ってごらんなさい・・
 頭が無ければ、あなたは考えることはできません・・・
 しかし、考えることはできなくとも、あなたは感じることはできるはずです・・・
 感じるということは、すべての波動を体全体で受け取っているからです・・・本来、人間の本質は感じることにあるからです・・
さあーそうしましたら、こんどは、あなたの意識で、あなたの中に深く入っていってください、・そうすると、あなたの中に大きな空間があるのに気づきますね
・・・・
 その無限の空間をあなたの宇宙と思ってください・・・・・
 あなたはその無限の空間の中に、形なき意識だけの存在となって遍満している自分を感じてください・・
 今、あなたの肉体という感覚は、あなたの広大な空間の果てのほうに希薄な輪郭だけの、あるかないかの存在として感じていることでしよう・・・
今、あなたは、宇宙に遍満しているのです・・・・・
ここには時間がありません・・・・・
 時間が無いということは、始めも終りもありません・・・・
 因も果もありません・・・
 あるのは永遠の今なのです・・
 ですからただ在ること、すべてで在ること、それがあなたの本質なのです、実在です・・・・・・
今、あなたの遍満している宇宙空間は、何も無い空間ではありません・・・・
 あなたがもし、何かを意識し、想うと、エネルギーが発動し、あなたのイメージを原型として、そこにエネルギーが凝縮して、想つた通りの形が現われます。さらにエネルギーが凝縮してくると、そのものが現実化するのです。これが創造の仕組みです・・・
 実はあなたはこの世界における創造主なのですi・あなたの意識があなたを創り、様々なものを創り出したのです・・
この世界は、あなたの意識の顕われなのです・・・・
 自ら創ったものの中に、自らを埋没し、自己限定し、小さな肉体の中に自己を閉じ込めてしまい、ありもしない苦悩をつくり、救いを求めて右往左往しているのです。こうして哀れな肉体人間としてしまったのです この世界の二元対立も欲望も、過去も未来も、悟りも迷いも、高いも低いも、すべて心に属するもの、その心は肉体を基盤にして創られたものなのです、・・
 その心によって対立、分離が生じ、今日の世界を創ってきたのです・・・・・・
あなたは神と一つのもの・・私も、私のものもないのです・・・・
 あなたを生み成した大元の意識に溶け込むこと・・・
 この瞬々刻々の今を生きること・・・・
 美を感じ、愛に抱擁し・・・生命生々と、感謝をもって生きることです。”


 永安先生は感じる名人です。考えることから感じることにシフトすると、深い次元、生命の本質、物事の本質に触れてきます。ようするに、頭の解釈なしに、ダイレクトに対象を知ることが出来るわけです。

それを「直知」とか「直観」とかいいます。常にそういう意識を持ってワンネスに近づきたいと思います。


私自身が翻訳に携わらせていただきました和尚の講話録「究極の錬金術」がやっと出版までこぎつけました。こんなに翻訳して出版にいたるまで時間と労力がいるとは知りませんでした。いろいろ勉強させていただきました。
和尚の講話録を読むことは、和尚の中を泳ぐようなもので、いろいろ神秘現象が起こったり、あたらしいチャレンジがあったり、自分の概念を壊されたり、時間の経つのを忘れていつも読んでおりました。その中でもこの本は「日本の人に読んでもらいたいなー」と、読んだときからそう想っていた講話録で、深い深い内容が、ぎっしり詰まっています。特に教育に感心のある方には是非一読していただきたい御著書です。
「人間とは何か、意識とは何か、意識の明かりとは」、あらゆる角度から和尚はアプローチしてくださっています。
日々の生活の中で「気づき」を増やしていただく一助になりましたら、光栄に思います。

“常に奥を見つめ、無限なるものを感じる。
決して形ある物を形あるままに見てはいけない。
常に奥を見つめ、形ある物の中に形なきものを見る。
決して、物を物として見てはいけない。
その体の奥深くに入って行き、それを感じる。
すると、「それ」が明かされるだろう。”

市民出版・・「究極の錬金術1」


いやー、やっと見てきました。大変なことが起きてたんですね。
これは民族の争いの映画ですが、なんでこんなことになったのか、どこに原因があるのか、考えさせられますね。これはルワンダにかぎらず、多くの国で同じことが起こってきたと想います。また、宗教の争いも同じで、イスラムとヒンドゥー、キリスト教とイスラム教、また宗派争いもあります。なぜこういうことがなくならないのか。これは自我意識の問題だ。どちらかの国、民族が差別意識、優越感、劣等感を持っていると、その劣等感が疼き、自分が相手に劣っていないことを示そうとする。それが争いになる。また、スターリン、ヒトラーなどの独裁者は自分が劣っていないことを示すために、何百万という人を殺す。また、歴史的な憎しみ、対立が潜在意識の中にある。もっとも深いのは宗教の対立なのだ。自分の教えが、自分の神が劣っていないことを、示そうとする。この映画を見て「まず潜在意識のの大浄化が必要だな。これは民族にとって、試練であり、教訓であり、学びであり、浄化であり、必要だったな」と想っていたのでした。肉体人間はおろかで弱いですから、群集心理で、自分ひとりなら殺せないんですが、大勢がやれば恐くないと、人も殺してしまう。
 一番大事なのは教育です。子供たちの親がテロリストなら、子供はほとんどテロリストになるでしょう。その反対の教育がなされなければならないと想います。
 「もし戦争になれば、自分が殺されても決して相手を傷つけてはならない。人を殺すくらいなら自分が死んだほうがいい」と。そういう教育を全世界共通の教育基準を設けて、国連が指導してやることが必要ですね。民族愛も国家愛も、人類愛にまで高めなければ、戦争はなくなりません。
 こどもは素直ですから、そういう人類愛を植えつけられた子供は、すばらしい大人に育ってくれるでしょう。
 それに加え潜在意識の浄化運動が必要です。潜在意識に充満している、自分さえ良ければいい、人をやっつけてもいい、正義のためには、神のためには、真理のためには人を殺してもいい、という想いを「世界人類が平和でありますように、すべての人が幸せでありますように、愛深い私になりますように」、そういういい言葉、いい想いに変えて、この波動宇宙に放射する練習が大人も必要でしょう。
 私は「祈りによる世界平和運動」に10代から参加しました。
 どうしても世界に対して何かしなければならない、という意識があるんですね。
 この運動はお金も、なにも要りません。組織に入る必要もないし、自由な生活のままでこの波動世界に貢献できる方法なのです。ただ祈り続けるだけの、心の中の運動です。なんの対立もありません。こういう犠牲を出来るだけ減らすために、祈り続けてゆきましょう。
 世界人類が平和でありますように


ogrish.com

戦争、テロ、残虐行為の現実を知っていただくためにリンクさせていただきます。そして祈ってあげていただければと想います。

人間社会が真の平和を達成できないのは、人間というものをよく知らないからだ、といつも想います。

人間ほど複雑で奥深い内容を持つ生命体はないでしょう。
それは潜在意識の成り立ちからいって、そうなのですから。

 

五井先生の「霊性の開発」から

 


『潜在意識という言葉は、近来随分普通に使われていますが、本当の意味を知って使っている場合は少く、何気ない言葉、そう深い意味をもたぬ言葉として使っているようです。
 精神科学の面では、この意識作用を非常に重大視しているのであり、私も宗教者として、この潜在意識の作用を重大に考えているものなのです。
精神科学者の場合は、この潜在意識を、この世に生れて以来のものプラス両親や周囲の人々の影響によるものとしか考えておりませんが、私ら宗教者は、この世に肉体として生きる以前のもの、つまり、前生、前々生、そのまた前の世というように、過去世の想念行為プラスこの世に誕生してからの想念行為の集積を、潜在意識と解釈しているのです。
人間の意識想念というものは、今意識している顕在意識と、過去における想念行為のひそんでいる潜在意識、それに加えて、霊魂意識(守護の神霊を含む)神意識、つまり本心の律動、という複雑な内容をもっているのであります。
精神問題に無関心の人々は、人間の心というものを、単純に考えていて、このように複雑な意識作用をもつものとは考えてもみないものなのです。そこに人生の様々な悲劇か生れてきているのであります。
また一方、精神問題に非常な関心をもちながら、人間の心〈想念意識)の作用というものへの知識が薄い為に、只いたずらに、理想的精神状態を目標として、自己の想念行為を抑圧し、他の人々の想念行為をも圧えつけて、自らが目標とする理想的精神状態に、自己をも据えつけ、他をも据えつけようとする人々もあるのです。
これは善人らしく見えて、実は、愚かしき人々である、ということになります。何故ならば、山の頂上だけは、知識として知りながら、その登り方の知識も、登る道順も知らず、只、やたらに頂上だけを目指して進んでゆくものですから、その登り方に非常な無理が出来、途中で疲れきって落伍したり、また麓に下りて、登り直さなければならなくなってしまう、というようなものだからです。
では、潜在意識とは一体どのような作用をもつものでありましようか。
 人間の想念というものは実に不思議なものでありまして、今浮んできた想いが、次の瞬間には、どこかへ隠れてしまって、また次の想いが浮んでくる。昨日の想念の大部分は、今日の想念の陰に隠れてしまっている。昨年、一昨年の意識想念は、時折り、そのある部分が何かの拍子に、ひよつこり浮び上がってくるだけで、そのほとんどの想念は、何処かにひそんでしまっているのであります。
顕在意識、つまり今意識し、想念するということは、どういう理由で、意識し、想念するのか、というと、その対象物、柿なら柿を、今迄に見たことも聞いたこともなくては、柿と意識することは出来ない。柿を見ながら、それが柿とわかるのは、過去において、一度以上柿を見たか、その色や形を誰かに聞いて知っているからに違いありません。
そう致しますと、過去に記憶されていた柿というものの、色や形が、今見た瞬間に、心の表面に浮び上がってきて、柿、とわかるわけです。
こう考えてきますと、今、意識し想念することは、過去の意識想念、潜在意識と普通呼ばれている、ひそんでいる意識想念が、ある対象物や、事柄にひき出されて、表面に浮び上がってきて、改めて、顕在意識想念となってその対象物を意識し、事柄を想念するということにたるのであって、顕在意識だけで、独立して、ものを意識し、想念することは出来ないということになります。
現在三十歳の人なら、この世に誕生して三十年間の間の想念行為による体験が、表面の意識や想念の奥にひそんでいて、自分の出番を待っているわけです。もつと深くいえば、三十年ブラス過去世の体験が、顕在意識の奥に積み重なってひそんでいるわけです。
  そして、表面に頭われているこころは、ほんの僅かであって、ひそんでいるこころは、その何億倍も、何兆倍も、いや、どれだけの積み重ねであるかわからぬ程に、積み重なって、ひそんでいるのです。
 ですから、人間にとって、この潜在意識、ひそんでいるこころは、実に重大な問題になってくるのです。どうして重大かというと、潜在意識にある想念が人間の運命を決定する。とまで、極言出来るからです。
現在、如何に自己の心を善くし運命をよくしようとして、思考し活動したとしても、潜在意識に、自己を不平に導いてゆくような、暗い想念、反逆の想念、もつとくわしくいえば、物に執する想い、不幸を肯定する想い、憤怒や、妬心や、傷心や、怠惰な想いがあつたとするならば、そうした想念の積み重なりだけの不幸や、欠陥が必ず『この世の生活に現われてきて、なかなか幸運をつかめなかつたり、自己の欠陥を直すことが出来なかつたりするのです。
潜在意識は、奥から表面へ、動力の車輪が廻わるように、自然的に回転していて、表面の心、顕在意識や行為に現われると、その想念行為が、また再び、奥へ入ってゆき新しく潜在意識となってゆくのであります。』

 

 

永安先生 ぴーすから
『 人間の行動を理解するためには、潜在意識の働きを知らねばなりません。顕在意識とは、私たちが認識し、思考していることですが、潜在意識とは、私たちの脳裡に浮び出ていない意識のことです。顕在意識を五%とすると、潜在意識は九五%に相当するといわれています。そしてその奥に神意識があります。神意識とは実相の世界のことで、そういう世界に真実の自分があるのです。潜在意識の働きを知らないで、これが私だ、と思っている自分が、いかに表面的な小さな現われにすぎないかを、考えてみてください。
 生命の現われの様式が複雑になればなるほど、有機体は進化の必要上、潜在意識をつくる必要があったのです。潜在意識は様々な経験を記録し、その反射的行為によって、体を外界の刺戟に適応できるようにしていったのです。
人間がもし、肉体の仕組みと機能をすべて、自分の力でしなければならないとしたらどうでしよう。心臓を動かさないと血液の流れが止まってしまう。次は肺だ、胃腸だ、肝臓だ、腎臓だ、と、一つでも忘れたら全体の機能が停止してしまう。これでは眠ることも、肉体を維持していくこともできないのです。潜在意識は決して眠ることも、忘れることもないのです。それは接触してくることを記録し、現われてくるあらゆるものを、ありのままに受け入れるのです。
その働きは機械的なのです。思考しない、ただ受け入れ反応するだけ、事実も想像も同じ比重で受け入れるのです。
これによって人体の保護は完全に果されるから、私たちは自分の身体について考えることもなく、生きてゆけるのです。これはとてもありがたいことなのですが、人間は潜在意識にいつの間にか支配されてしまって、潜在意識の命ずるままに、習慣的な反射運動的な生活に馴れ、安んじてしまい、いつしか潜在意識の深層部にある神意識の存在を忘れてしまったのです。肉体人間を唯一の存在と思うようになり、自己探求を忘れ、肉体の健康状態によって左右されたり、潜在意識の気まぐれや衝動に振り回されて、この三次元の肉体的生活のほうが、霊の生活、どんな高次元の生活よりも真実と、信じるようになってしまったのです。
人間の想念意識は表面で想ったことが、そのまま潜在意識にも記録されていきますし、逆に潜在意識の中から、表面の意識や行動となって、自然に現われてくるのです。ですから、現在の意識では予想もしないような行為となって出てきたりします。それを善くなるための因縁生の消えてゆく姿と見られないから、不幸な出来事として捉えて、嘆き悲しむのです。
こうした潜在意識の仕組みをよく理解して、何か物事を成就させたい時には、顕在意識と潜在意識の、想いを一つにしないといけません。五%の顕在意識でいくらああしたい、こうしたいと想っても、九五%に相当する潜在意識の中でしたくない、という想いがあったら、出来ない方向へともっていってしまうでしよう。
また、以前に失敗の体験などがあったりすると、今回もまた駄目かもしれないと、失敗に対する予測を感じていたら、物事が成就するはずがないのです。
潜在意識は事実も想像も同じ比重で受け入れてしまうのです。事実を一としても、不安や恐怖心から、その事実の一に対して、もし出来なかったらどうしようなどと、悪い結果を想像したら、一が三にも五にも大きくふくらんで、自分で背負い切れなくし、潜在意識に因縁生として入れ込んでしまうという、悪循環を繰り返すことになるのです。
人間の想念は二律背反に働くものですから、幸せを願えば不幸を、成功を望めば失敗を心の中で想定しがちなのです。想う通りになるという心の法則によって、想いの比重の強いほうが現実化するのです。
以上のような、潜在意識の仕組みをよく知って、生きることができたら、人間は無駄なエネルギーを使わずに、もっと想いが成就し、素晴らしい生きかたができるようになるでしょう。』

 

 潜在意識の働きを知って、すべての想念を感謝と愛に代えれれば、すごいスピードでこの世界は進化する、と想います。キーポイントは観の転換、祈りです。

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth
 

この映画の中に、ある言葉を唱えるとミイラが蘇るシーンがあります。
ヒマラヤで修行されたスワミ・スリ師は、ある洞窟で巻物を発見し、そこにある言葉を読むと「空気中から魔人が現われた」、と回顧録に記しています。
言葉はカギ、スイッチのようなもので、言葉の使い方によっては、個人も世界をも滅ぼすことができ、また癒すことも調和させることもできます。
『世界人類が平和でありますように』という祈り言葉を唱えるときには、あらゆる聖者、賢者の愛と力が降り注がれるという約束があります。また、私も体験がたくさんあります。心の暇なとき、嫌な想い、雰囲気に支配されそうなとき、感情が波立っているとき、心の把われがなくならないとき・・など是非この祈りを試してみてはいかがでしょうか。そんなことを思っておりました。


言葉はすなわち神なりき

言葉はすなわち力なり