潜在意識について | tablaboyの道日記

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祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

人間社会が真の平和を達成できないのは、人間というものをよく知らないからだ、といつも想います。

人間ほど複雑で奥深い内容を持つ生命体はないでしょう。
それは潜在意識の成り立ちからいって、そうなのですから。

 

五井先生の「霊性の開発」から

 


『潜在意識という言葉は、近来随分普通に使われていますが、本当の意味を知って使っている場合は少く、何気ない言葉、そう深い意味をもたぬ言葉として使っているようです。
 精神科学の面では、この意識作用を非常に重大視しているのであり、私も宗教者として、この潜在意識の作用を重大に考えているものなのです。
精神科学者の場合は、この潜在意識を、この世に生れて以来のものプラス両親や周囲の人々の影響によるものとしか考えておりませんが、私ら宗教者は、この世に肉体として生きる以前のもの、つまり、前生、前々生、そのまた前の世というように、過去世の想念行為プラスこの世に誕生してからの想念行為の集積を、潜在意識と解釈しているのです。
人間の意識想念というものは、今意識している顕在意識と、過去における想念行為のひそんでいる潜在意識、それに加えて、霊魂意識(守護の神霊を含む)神意識、つまり本心の律動、という複雑な内容をもっているのであります。
精神問題に無関心の人々は、人間の心というものを、単純に考えていて、このように複雑な意識作用をもつものとは考えてもみないものなのです。そこに人生の様々な悲劇か生れてきているのであります。
また一方、精神問題に非常な関心をもちながら、人間の心〈想念意識)の作用というものへの知識が薄い為に、只いたずらに、理想的精神状態を目標として、自己の想念行為を抑圧し、他の人々の想念行為をも圧えつけて、自らが目標とする理想的精神状態に、自己をも据えつけ、他をも据えつけようとする人々もあるのです。
これは善人らしく見えて、実は、愚かしき人々である、ということになります。何故ならば、山の頂上だけは、知識として知りながら、その登り方の知識も、登る道順も知らず、只、やたらに頂上だけを目指して進んでゆくものですから、その登り方に非常な無理が出来、途中で疲れきって落伍したり、また麓に下りて、登り直さなければならなくなってしまう、というようなものだからです。
では、潜在意識とは一体どのような作用をもつものでありましようか。
 人間の想念というものは実に不思議なものでありまして、今浮んできた想いが、次の瞬間には、どこかへ隠れてしまって、また次の想いが浮んでくる。昨日の想念の大部分は、今日の想念の陰に隠れてしまっている。昨年、一昨年の意識想念は、時折り、そのある部分が何かの拍子に、ひよつこり浮び上がってくるだけで、そのほとんどの想念は、何処かにひそんでしまっているのであります。
顕在意識、つまり今意識し、想念するということは、どういう理由で、意識し、想念するのか、というと、その対象物、柿なら柿を、今迄に見たことも聞いたこともなくては、柿と意識することは出来ない。柿を見ながら、それが柿とわかるのは、過去において、一度以上柿を見たか、その色や形を誰かに聞いて知っているからに違いありません。
そう致しますと、過去に記憶されていた柿というものの、色や形が、今見た瞬間に、心の表面に浮び上がってきて、柿、とわかるわけです。
こう考えてきますと、今、意識し想念することは、過去の意識想念、潜在意識と普通呼ばれている、ひそんでいる意識想念が、ある対象物や、事柄にひき出されて、表面に浮び上がってきて、改めて、顕在意識想念となってその対象物を意識し、事柄を想念するということにたるのであって、顕在意識だけで、独立して、ものを意識し、想念することは出来ないということになります。
現在三十歳の人なら、この世に誕生して三十年間の間の想念行為による体験が、表面の意識や想念の奥にひそんでいて、自分の出番を待っているわけです。もつと深くいえば、三十年ブラス過去世の体験が、顕在意識の奥に積み重なってひそんでいるわけです。
  そして、表面に頭われているこころは、ほんの僅かであって、ひそんでいるこころは、その何億倍も、何兆倍も、いや、どれだけの積み重ねであるかわからぬ程に、積み重なって、ひそんでいるのです。
 ですから、人間にとって、この潜在意識、ひそんでいるこころは、実に重大な問題になってくるのです。どうして重大かというと、潜在意識にある想念が人間の運命を決定する。とまで、極言出来るからです。
現在、如何に自己の心を善くし運命をよくしようとして、思考し活動したとしても、潜在意識に、自己を不平に導いてゆくような、暗い想念、反逆の想念、もつとくわしくいえば、物に執する想い、不幸を肯定する想い、憤怒や、妬心や、傷心や、怠惰な想いがあつたとするならば、そうした想念の積み重なりだけの不幸や、欠陥が必ず『この世の生活に現われてきて、なかなか幸運をつかめなかつたり、自己の欠陥を直すことが出来なかつたりするのです。
潜在意識は、奥から表面へ、動力の車輪が廻わるように、自然的に回転していて、表面の心、顕在意識や行為に現われると、その想念行為が、また再び、奥へ入ってゆき新しく潜在意識となってゆくのであります。』

 

 

永安先生 ぴーすから
『 人間の行動を理解するためには、潜在意識の働きを知らねばなりません。顕在意識とは、私たちが認識し、思考していることですが、潜在意識とは、私たちの脳裡に浮び出ていない意識のことです。顕在意識を五%とすると、潜在意識は九五%に相当するといわれています。そしてその奥に神意識があります。神意識とは実相の世界のことで、そういう世界に真実の自分があるのです。潜在意識の働きを知らないで、これが私だ、と思っている自分が、いかに表面的な小さな現われにすぎないかを、考えてみてください。
 生命の現われの様式が複雑になればなるほど、有機体は進化の必要上、潜在意識をつくる必要があったのです。潜在意識は様々な経験を記録し、その反射的行為によって、体を外界の刺戟に適応できるようにしていったのです。
人間がもし、肉体の仕組みと機能をすべて、自分の力でしなければならないとしたらどうでしよう。心臓を動かさないと血液の流れが止まってしまう。次は肺だ、胃腸だ、肝臓だ、腎臓だ、と、一つでも忘れたら全体の機能が停止してしまう。これでは眠ることも、肉体を維持していくこともできないのです。潜在意識は決して眠ることも、忘れることもないのです。それは接触してくることを記録し、現われてくるあらゆるものを、ありのままに受け入れるのです。
その働きは機械的なのです。思考しない、ただ受け入れ反応するだけ、事実も想像も同じ比重で受け入れるのです。
これによって人体の保護は完全に果されるから、私たちは自分の身体について考えることもなく、生きてゆけるのです。これはとてもありがたいことなのですが、人間は潜在意識にいつの間にか支配されてしまって、潜在意識の命ずるままに、習慣的な反射運動的な生活に馴れ、安んじてしまい、いつしか潜在意識の深層部にある神意識の存在を忘れてしまったのです。肉体人間を唯一の存在と思うようになり、自己探求を忘れ、肉体の健康状態によって左右されたり、潜在意識の気まぐれや衝動に振り回されて、この三次元の肉体的生活のほうが、霊の生活、どんな高次元の生活よりも真実と、信じるようになってしまったのです。
人間の想念意識は表面で想ったことが、そのまま潜在意識にも記録されていきますし、逆に潜在意識の中から、表面の意識や行動となって、自然に現われてくるのです。ですから、現在の意識では予想もしないような行為となって出てきたりします。それを善くなるための因縁生の消えてゆく姿と見られないから、不幸な出来事として捉えて、嘆き悲しむのです。
こうした潜在意識の仕組みをよく理解して、何か物事を成就させたい時には、顕在意識と潜在意識の、想いを一つにしないといけません。五%の顕在意識でいくらああしたい、こうしたいと想っても、九五%に相当する潜在意識の中でしたくない、という想いがあったら、出来ない方向へともっていってしまうでしよう。
また、以前に失敗の体験などがあったりすると、今回もまた駄目かもしれないと、失敗に対する予測を感じていたら、物事が成就するはずがないのです。
潜在意識は事実も想像も同じ比重で受け入れてしまうのです。事実を一としても、不安や恐怖心から、その事実の一に対して、もし出来なかったらどうしようなどと、悪い結果を想像したら、一が三にも五にも大きくふくらんで、自分で背負い切れなくし、潜在意識に因縁生として入れ込んでしまうという、悪循環を繰り返すことになるのです。
人間の想念は二律背反に働くものですから、幸せを願えば不幸を、成功を望めば失敗を心の中で想定しがちなのです。想う通りになるという心の法則によって、想いの比重の強いほうが現実化するのです。
以上のような、潜在意識の仕組みをよく知って、生きることができたら、人間は無駄なエネルギーを使わずに、もっと想いが成就し、素晴らしい生きかたができるようになるでしょう。』

 

 潜在意識の働きを知って、すべての想念を感謝と愛に代えれれば、すごいスピードでこの世界は進化する、と想います。キーポイントは観の転換、祈りです。

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth