少し前にブルーレイレコーダーを買ったのですが、
何とまあ世の中便利になったものだと思いました。

と、訳の分からないおっさん口調で始まりましたが、
そうです、ブルーレイレコーダーを買ったのです。

よく考えたら、我が家(と言っても単身のワンルームですが)
には録画機が無かったのです。
まあ、特に録りたい番組も無い訳で、10年近く録画機無しで
生活してきたのですが、最近意味も無くお金があったので
衝動買いに近い感じで買ってみたのですが、まあこれがすごい!

ある程度録画予約をしていくと勝手に本体が学習し始めて、
私が好きそうなテレビ番組を録画しておいてくれたりするのです。

もちろんすべったりもするのですが、『よくこんな番組見付けて来たな!?』
っていうレアな番組も録ってくれてたりもするのです。

まあ、恐ろしい。


しかしまともに全部観てたら他に何にも出来ない位、録ってくれるので
適度に距離を保ちつつ、エンジョイしてます。
今回は本の話です。

少し前に村上春樹さんが翻訳している小説を読んでました。
アメリカ人の作家マーク・ストランドの『犬の人生』という小説です。

これは短編集なのですが、実に素晴らしい。

著者マーク・ストランドは詩人であり、
アメリカの詩を語る上で欠かせない程、著名な方である。

実際幾度と無く彼の名前は聞いていたし、NY滞在中に
たまたま入った本屋で彼の詩集を買って読んでみたが、
当時の私には到底理解できないものだった。
使われている単語自体は簡単なものなのに、簡単が故、
その世界を頭に思い描く事が出来無かったのだ。

そうこうしている内に何となく彼への興味を失っていった。
今でも実家の押入れの奥にひっそりと眠っていると思う。

そして最近、ふらっと入った本屋で本書を見付けたのだ。

何より驚いたのは、村上春樹さんが翻訳をされていた事だ。
ここで何回も書いたけど、私は彼のファンである。
そんな彼が翻訳をしているマーク・ストランドの小説とは
一体どんな物なんだろう?と興味を惹かれて手にしたのだった。

重複するが、素晴らしいの一言である。
文章がきれまくっている。
小説家が書く文章ではないし、物語でもない。
もしかしたら奇抜さを狙ったシュールな作品と
思われるかもしれないが、そんなちんけな作品ではない。

確かに物語としては幾分頭を抱えてしまう所があるが、
それを気にさせない言葉の世界が作品を蔽いつくしている。

今ここにいたと思ったら、次の瞬間何万光年先の空間に
飛ばされてしまう。

言葉の力を教えてくれた一冊である。

是非みなさんにも読んで頂きたい。
これは夢の話。

僕は、顔も知らない人達と山の中を歩いていた。
それはとても長い山道で僕の前にも後ろにも
沢山の人が歩いている。

しばらくすると大きい広場のような空間が現れる。
広場の奥には間に合わせで作られたような
プレハブ小屋があり、その前には幾つかの長い机と
折りたたみの椅子があって簡単な受付のようになっていた。

広場には既に先に着いた人達が沢山いるのだけれど、
誰一人話をする者もいない。
黙々と誰かが来るのを、あるいは何かが始まるのを待っていた。

後ろの人達も次々と広場に辿り着いて、ある程度の
人が集まったところで、プレハブ小屋から黄色い
同じジャンパーを着た4,5人の係員のような人達が
それぞれ何かの書類や筆記用具などを持って出てきた。

その中の一人、30歳後半位の腕に腕章を付けた男が、
拡声器を手にすると、『皆さんお揃いでしょうか?
これから簡単に今回のサバイバルゲームの説明をします。』
と、説明を始めた。

ルールはいたって簡単だった。
6人1グループで山の中のアトラクションをクリアする事。
リタイアする人が一人でも出た場合、そのグループ自体が
リタイアしたとみなされる事。

しかしその説明で一つだけ気になる事があった。
それは『これは単なるゲームではありません。
みなさんの命をかけた大切なものです。』の一言。
誰一人質問する者も、困惑した表情をみせる者もいなかった。
それは既に分かっているといった感じだった。

男は終始笑顔で、とてもリズミカルにルール説明を終えると、
『皆さんご質問が無ければ、これから受付を始めます。
先程にも少し言いましたが6人1グループでこのゲームに挑んで
もらいますので、受付の際にグループ分けをします。』
と言うと、後の3,4人が簡易的な机に書類と四角い箱の
ような物を並べた。

受付が始まると、みんな緊張した面持ちで、列に並んだ。
その緊張感と、さっき男が言った『命をかけた』の一言が
訳も分からず参加した僕の不安をあおる。

僕の順番が来ると、やはり笑顔の係員の言われる通りに、
書類に名前などを書き、四角い箱からボールを取った。
僕は紫色のボールを引いた。
そうすると黄色いジャンパーを着た30代前半位の女の係員から、
紫色の布の真ん中に『3』と書かれたゼッケンを渡された。

再び男が拡声器で声をあげる。
『皆さん受付は終わりましたでしょうか?今お持ちのゼッケンが
皆さんのグループになります。さあグループ毎に分かれて下さい』

僕のグループには40代後半の男から、10代後半の女まで、
バラバラのメンバーが集まった。

また拡声器から男の声が聞こえる。
『これから実際にサバイバルゲームをしてもらいます。
くれぐれも事故やメンバー同士の喧嘩などしないようにして下さいね。
それではいってらっしゃい!』

男の喜びにも似た声色がやけに苛つく。


かくして、サバイバルゲームは始まった。

続く。
今回は『洋楽入門』と題しながら、しばらく触れていなかった
オススメの音楽を紹介したいと思います。

本当に久し振りなので、少し緊張気味ですが、まあお付き合い下さい。

今回はJazz編です。

前回のJazz編 vol,1では孤高のピアニストBill Evansを紹介しましたが
今回はJazz界のドラマーの頂に君臨する、
Art Blakeyを紹介したいと思います。

彼は多くの一流ジャズマンが熱望したMiles Davis等の共演後、
そのキャリアを活かしてArt Blakey&Jazz Messengersなる
バンドを組み多くの傑作を作り上げた。

Art Blakeyの特筆すべき点は、彼個人としての優れた演奏も
さることながら、Jazz Messengersに積極的に
若手のミュージシャンを取り入れ、常に新しい音楽、
そして多くの才能あるジャズマンを育て上げた点にある。
Wayne ShorterやKeith Jarrett等も彼とのキャリアから育ったのである。

そのようにJazz界に多大なる貢献をもたらしたが、
それはあくまで結果としてそうなっただけであって、
幾つになっても新しい音楽を追求した探究心こそ
Art Blakeyを唯一無二のジャズマンたらしめたものである。

さて前振りはここらへんにしておいて
早速オススメの作品を紹介しましょう!

『New Year's Eve At Sweet Basil』です。
誰でも分かる洋楽入門-New Year's Eve At Sweet Basil
1985年にNew Yorkのジャズクラブ『Sweet Basil』で演奏された
ライブ音源を作品にしたものである。

オススメの曲は
『Hide And Seek』

オープニング曲として最高の一曲!


『Little Man』

ベースライン、ホーン、ドラムが美しく響き合う。
スリリングな圧巻の展開!
しかし残念ながらyoutubeの10分の限界により途中で終わります…。


Art Blakeyと言うと、『Moanin'』という作品が一番有名ですが、
個人的にはこの作品が一番好きです。
また晩年の演奏ではしばしば衰えたといった声もありますが、
私はあんまり気にしません。
それよりもこの人の音楽に対する情熱、音の先にある力や想いに
惹かれます。
なので今回は敢えてこの作品を取り上げてみました。


本当に久しく音楽の紹介をしていなかったので、
少なからずためらいや、やりにくさを感じながら
書いてまいりましたが、如何でしたでしょうか?

これからも素敵な音楽を紹介していきたいと思います!

ではでは。
あとがきです。

帰国後、周囲のリアクションがあまりにも大きくて
事故が残した爪跡の大きさを改めて感じた。

事故が起きたのは夜の10時30分頃。
その日、両親はテレビで映画を見ていたので、
珍しく夜更かしをしていたのだ。

そこにニュース速報の字幕が流れる。
『中国の雲南省でバスの落下事故が発生。
日本人の旅行客も乗っていたもよう。』

私はhotmailで大きな移動や出来事があった場合などは
両親を含め友達等にはメールを送っていた。
私が雲南省からバスで移動した事もメールで
知らせていた。

そのニュース速報を眺めながら父親が冗談で
『○○(私の名前)がまさか乗っていないよな?』
と言うと、母親は『まさかねえ…』なんて話していたら、
突然電話のベルが鳴って、母親が出ると電話口の向こうから
『外務省の○○です。突然ですが、おたくの息子さんが
中国のバスの落下事故に巻き込まれた様子です』
と言われたらしい。

母親はその言葉を聞くと、映画みたいに膝からガクンと
崩れ落ちた。
その様子を見ていた父親が受話器を取って、事故の詳細を聞くも、
『ただ乗客の名簿に名前があっただけで容体までは分かりかねる』
との事。

二人とも眠れない夜を過ごして明け方にまた外務省から連絡があって
『軽傷です。』の一言で取り敢えずの安心を手にした。
それでも『軽傷』の範囲はあまりに広い。
私が一般病棟に移ってから話した電話でようやく安心したらしい。

しかし、私の友達や知人達は事故翌日の新聞の記事以降の情報が無い。
メールを送るも、私からの返事は無い。
それが300通を超えるメールの理由だ。

帰国後、歓迎パーティーをしてくれたが、中国の友人同様、
私のあまりの元気さに皆一様に驚いていた。


かくて私は有名人になっていた。
色んな所に帰国の挨拶に向かった。
相手の反応はもう見慣れていた。
そして同じ言葉を繰り返した。
『ご心配お掛けしましたが、おかげさまで元気に過ごしております』と。

ただ母親だけ、大きなダメージを受けていた。
事故から一週間位経って、頭部に500円玉位の
大きさのハゲができたのである。
医者からは精神的なダメージによるものだと言われたらしい。
原因は言うまでも無く私である。
半年位してようやく毛が生えてきたものだから私も安心した。

あと一つ、私の知らない人が、私の帰国を待ちわびていた。
それは同じバスでたまたま乗り合わせた日本人の乗客の遺族の方である。
帰国から一週間もせずに電話のベルが鳴った。
受話器を取ると、亡くなられた方の母親が間髪入れずに
『私の息子の事で相談したい事があります。ご協力頂けないでしょうか?』
と言ってきた。

勿論、出来る限りの協力はしたいところだったが、まだ事故による
心の整理が出来ていなかった。
しばらくはそれについて触れたくなかったし、協力できる事といっても
微々たるものに過ぎなかった。
それは即ち、双方にとって好ましくない結果をもたらす事を意味していた。
だから私は泣きすがるご遺族の母親を相手に、きっぱりとお断りした。

しかし、帰国後父親からも聞いたのだが、日本の外務省はあまりにひどい。
最初は中国政府やバス会社との話し合いすら行われない予定だった。
しかし父親はいつもの力強さで、取り敢えず話し合いの場を作らせた。
あとはこちら側でケリをつける。
実際に私達が望んだものは全て手に入れた。

感謝の意味を込めて、報告をしたところ、非常に驚かれた。
日中関係が冷えきっているのは言うまでも無いが、
中国が日本に対してお詫びをしたり、解決手段として様々な条件を提示するのは例外中の例外らしい。
外務省の中国の担当の方は話し合いの場は設けたが、
所詮軽くあしらわれて終わりだろうと思っていたのだった。
それが、希望通りの結果だったのだから、驚くのも当然だ。


また、この旅では不思議な事が多々あった。
言うまでも無く、あれだけの大事故で全くの無傷であった事、
またその直前に(ラオスに向かう)、親しくしてた中国人の友達からの
『南に行くな』という言葉。以前にも書いたが私が南に向かう事を
彼は知らなかったのである。それでも彼ははっきりと『南に行くな』と
口にした。

一番不思議だったのは、バスに乗る直前にバス停でしつこい位に他の
バスに乗る事を勧めてきたバーの隣の中華料理屋のお兄さんである。
と言うのは、バーの隣にあったのは中華料理屋ではなく、観光客向けのお土産屋さんだったからだ。
あまりにもその風景に見慣れていた私は、もはや一軒一軒どこに何が
あるといった見方ではなく、町全体が一つの風景になっていたので
隣に中華料理屋があったなんて事は気にもしていなかったのである。
それではあのお兄さんは誰だったのか?
友人や隣のお土産屋さんのオーナーに体格や顔の特徴を伝えるも、彼を知っている者は一人もいなかった。

都市伝説のような話だけれど、私なりの解釈はこうだ。
『南に行くな』と言った友人も、正体不明の中華料理屋のお兄さんも
すべて虫の知らせだったのではないか?と言う事。
実際『南に行くな』と言った友人に後日何でその言葉を発したのかを
聞いたところ、別に理由は無く、何となく口から出ただけとの事だった。
また他の友人達が気持ち悪い位止めたのもやはり虫の知らせだったの
では無いかと思う。

更に言えば、出発直前にラーメンを食べに行った事も
大きく関わっている。
素直にそのまま乗っていれば、まず命は無かっただろう。
中華料理屋のお兄さんから逃れる為にバスに乗った事、
また遅れて空いていた席に乗った事も含めて全てが奇跡的に組み合わさってこのような結果になった。
事故に遭った事を考えると運が良いのか、
悪いのか分からないところではあるが…。


さて私のこの旅の目的は、何度も書いている様に、
各国の民族音楽の研究にあった。
結果的には中国で終わってしまったが、当初の目的以上の
収穫を得て帰国する事が出来た。

それは知識や情報というのは作品を作る上で、
確かに大切な要素ではあるけれど、それ以上に内面的な要素、
つまりは自分の言葉を持っている事が何よりも重要であるという事が
単なる言葉ではなく体験として分かったからである。

それを具現化し、発表、プレゼンしようと思って
翌年行ったのがNYである。

ここでもドラマチックなストーリーが待っていた。
これについてはいずれNY編としてアップしようと思う。


この中国編の最終回についてだが、仕事の都合で、時間を掛けれず
あまりにも唐突で、稚拙な文章になってしまったので、
少し手直しをしました。(それでもひどい終わり方だが…)



最後に、このつたない文章に最後までお付き合い頂いた読者の
皆様には感謝の言葉を送りたい。

ありがとうございました!