これは以前書いたかもしれませんが、
私のブログの検索ワードの1位は『ukロック』です。

『usロック』は皆無です。
何故これだけ『uk』に片寄るのでしょうか?

今回はその謎に迫りたいと思います。
まず『ukロック』の定義ですが言うまでもなく
イギリスのロックミュージックですね。

更に突っ込んで書くとそもそも『ロックミュージック』とは?
となるのですが、これは余りにも漠然としたものだし、
書き始めたらとんでもない数の言葉と時間が必要なので今回は言及しません。

さて横道にそれましたが、何故これだけの国と文化、歴史がある中で
『ukロック』のソースへの需要があるのでしょうか?
確かに『ukロック』の祖『The Beatles』が切り開いた音の世界は
現在の全ての音楽の基盤と言っても良いでしょう。

しかしそれでもって『ukロック』の需要が存在し続けるというのは考えにくい。
何故なら半世紀という時間が経っており、⬆にもある様に、
既に彼らの音楽は『世界標準』となった。
音楽を作る全ての人にとって『The Beatles』は、良くも悪くも
避けては通れないモノなのである。

そこをまず定義した上で、これから検証をしていくのだが、
既に『世界標準』となった『The Beatles』の音楽は言葉通り、
世界中で、あるいは世界中の音楽に含まれているものと思われる。

であれば、何故未だもってして『uk』に固執されるのか?
およそ『ロックミュージック』に対するイメージの問題だと思う。
『us』はマッチョで『uk』は繊細なものであるという
既知とされている誤認である。

音楽をある程度聴いている人にとっては、それがどれだけ
『ステレオタイプ』な誤認であるという事は言うまでもない。
そもそも『uk』と『us』で分ける事自体ナンセンスである。

唯、それでも『uk』への需要がある事は事実である。

勿論『uk』の音楽は良質である。
しかし、『us』あるいはそれ以上に面白い音楽は世界中に
溢れている。

少し前で言えば、北欧のノイズミュージックはとても
刺激的なものであった。

ナショナリズムについて言及すると、更に長く、困難な言葉、
説明を必要とするので割愛するが、これだけ情報化社会が進む
中で、ナショナリズムを論議する事はおよそ無意味である。

国家、地域でものを考えるのではなく、そのヒト即ち『個人』
で捉える事が、その作品へのフェアなアプローチである。

繰り返すようだが、国、地域はもう意味を成さない。
(文化を語る事が出来る階級において)

即ち、『us』『uk』はただの看板である。
その先に何を見て、何を語るのか?
それこそが作品への純粋なアプローチである事は間違いない。


※注釈
お願いだから色んな音楽を聴いて欲しい。
国、ジャンルを問わず、自分の耳に素直であって欲しい。
そこに見出すのは新しい自分の発見である。
それがどれだけ自身の価値観を変える事なのかは言うまでもない。
すぐそこにあるものを手にするだけで、世界は姿を変える。
突然ですが問題です。
さてこれは何でしょう?

誰でも分かる洋楽入門-like a tree


答えは『サグラダファミリア』の建物内の天井です。

恐らく実際に見られた方ではないと分からないでしょう。
殆どの写真はあの外観しか映していないのですから。
勿論私も中がこんな風になっているなんて知りませんでした。
そしてこれは⬇のようにどこまでも続き建物を構成しています。


誰でも分かる洋楽入門-chain


『サグラダファミリア』の凄さとは皆さんが頭に浮かぶであろう
あの正面から捉えた外観だけではないのです。
実はこの聳え立つ柱こそがあの外観(建物)を支え、そして幾何学的でありながら、樹々、即ち自然界の美しさを具現化したものなのです。

私のスペインの旅の始まりはこの『サグラダファミリア』でした。
それは正にこの旅の象徴だったと言えます。
予想を遥かに超えるものが次々に姿を現し、私の価値観はあっけなく崩れ去りました。

誰がこんな建物を建てようとしたと思う事が出来たでしょうか?
そしてご存知の通り、今尚造り続けられているのです。
建物のスタッフの方に聞いたら『あと20年は最低かかると思う』と、答えてました。
自分が完成した姿を見れないと分かっていながらも、いつしか完成するであろう作品を想い描き、線を引き続けたのです。

この件は、遂に自身の作品を自分の耳で聴く事が出来なかった
ベートーヴェンを思わせます。
それが不幸と思うか、幸せと思うかは人それぞれですが、私は
その想い描いた姿こそが作品であり、それを目に耳に出来なかった
という事はそこまで作者にとって悲しい事ではなかったと思います。

何故なら、その作品が持つ力強さを前にした時、遂に完成を目に
耳に出来なかった無念さなど微塵も感じられないからです。
いずれも完成された作品は既に作者の中に個として存在していて、それを具現化する事の必要性など、そもそも存在しないのではないか?と思うのです。
でなければ、志半ばで閉ざされてしまうと分かっている自身の作品にこれ程の力を注ぎ、またそれを完成させる事など到底出来ないと
思えるからです。

少なくとも、ガウディはここにあらゆる力を注ぎ込み、その作品は多くの時間や空間を隔てた人々に想像する事の素晴らしさを教えてくれました。




急に話は変わりますが、私は、写真が嫌いでした。
その瞬間を目に焼き付ける事こそ、真実だと思っていたのです。
更に言えば、後になって写真を目にした時に幻滅するのが
怖かったとでも言えますでしょうか。
なので、中国でもNYでも写真は一枚も撮っていません。
しかし今回は、750枚というとてつもない数のシャッターを切りました。
それは、『カタチに残したい』という本能に近い思いからでした。

今こうやって文章を書きながらも、私は目にした多くの奇跡を思うのです。

スペインは予想を遥かに超えてくれました。
それはただただ感謝する事を意味します。



追記、
折角多くの写真を撮れたので、自己満足になってしまうかと思いますが、写真と共に、私の見たスペインを綴っていこうかと思っております。
もしこれから行かれる方への参考にでもなればと思います。
スペインです。
今バルセロナにいます。

脱皮出来るんじゃないかと思う程エキサイティングです。

NYもエキサイティングな街だったけど、ここは別物です。
街全体がパワーに満ち溢れています。

まだスケジュールも半分。

明後日にはマドリッドに行く予定。

これから何が待っているのかワクワクします。

すんません、ただの日記で。
訳の分からない内に終わった2011年。
そしていつの間にか始まった2012年。

今年は逃げない一年にしたい。

結果にこだわらずまずやってみる事。
駄目な自分を受け入れる事。

上手く言えないけど、今年は重要な一年だと思う。

今まで人知を超えた何かに導かれるような事が何度かあって、
その前には必ず虫の知らせのようなものがあった。
偶然という言葉では決して説明が出来ない事。

そして最近その兆候のようなものが沢山あって、
『ああ、これから何か起きるな』と感じるのです。

奇しくも変革を遂げなければいけない2012年の日本。
今年は勝負です。
ずっと昔から気になってた事。

リバース音。
つまり逆回転の音です。

これって何でヒトを惹きつけるんだろう?

面白ければそれで良いじゃんって言ってしまえば
それまでなんだけど、絶対何かが潜んでるって思います。

好きな音なんだけど、何か反則っぽくてなるべく使いません。


さて音繋がりです。

相変わらずバンド活動が楽しくて仕方ありません。
新しい音が次々と生まれていきます。

実はもうライブをやったのですが、あまりにお客さんを無視
してしまった反省から、『セッション』から『ライブ』へと
意識を変えていってます。

ある程度カラダになったらメンバーにアポ取って
ライブ告知や音源アップもしたいと思います。
いやあ、中学生みたいな気持ちです。