悩んでいます。

最近ずーっと悩んでいます。

今の仕事を辞めて音楽を本格的にやろうか、
いややっぱり趣味のままに留めておこうかと。

別に仕事やりながらでも出来るじゃん、と言ってしまえば
それまでなのですが、実はそう簡単な訳ではないんです。

今バンドを組んでいて、そのバンドというのが自宅から
遠い場所で活動しているのです。
なので週に一度の練習の為に、往復500kmの移動を
繰り返していて、これが結構大変なんです。

ネットでのデータのやり取りも試してみましたが、やはり
リアルな演奏には遠く及びません。
時間的なズレというのではなく、空気感の違いです。
セッションをするというのは会話をする事です。
データのやり取りは、メールに近いですね。
目的こそ果たせるものの、密度が違います。
結果的にデータのやり取りは却下されました。

話を元に戻すと、さて拠点を変えようかな?という事です。
他のメンバー全員がその場所にいるので、私が動く事になります。
そうすると必然的に今の仕事を辞めざるを得ません。

この仕事についてからそろそろ5年が経ちます。
その間に30歳を迎え、職場での立場が徐々に確立し始め、
やりがいを見出せる様になりました。

いつからこんなにフットワークが重くなってしまったんだろう?
と思います。
昔は捨てるものも守るものも無くて何でも出来ました。
今は、家族はいないものの、簡単に仕事を投げ出す事は出来ません。
それは自分の為というより、これまで積み上げてきた『モノ』に
対して、少なからずの感謝とそれに応えなくてはいけないという
責任感を感じているからです。

悩んでいる理由というのは正にこの点です。
どちらに対しても中途半端というこの状況が本当に嫌なのです。

今のバンドは今まで組んできたバンドの中でも一番面白いバンドです。
全く違うバックグラウンドを背負ってきた者が集まって
全く新しいモノを作り出そうと核分裂を繰り返しています。
全く新しいものです。
これほど面白い事はありません。
これにかけても良いと思っていますが、まだやり残した事もあります。

年明けにスペインに行く予定です。
奇しくも10年前に大きな志を胸にしながらも、最初の国、
中国でのバスの転落事故により、果たせなかった憧れの地です。

そこで答えを出そうと思っています。
iphoneを買いました。

と、突然書き始めましたが、使っていた携帯が
そろそろ寿命を迎えるという事で、買い替えたのです。
それが今話題のiphoneです。

まだ使い方もほとんど分かりませんが、期待していた程
何かが出来るという訳ではなさそうです。
(多分まだ1%も使えていないと思います)

先日のmacbook airと言い、すっかり林檎信者化してますが
やっぱり頭の中はまだwindowsです。

macを使って思った事は、世の中の(少なくとも日本国内では)
ほとんどのアプリケーションソフトはwindows向けだと
言う事です。

いざmacへお引っ越しと、それまで使っていた10年来の
使い慣れ蓄積されたソフトがほとんどmacに跳ね返されて
唖然としました。

当たり前のように目的のソフトを検索していると、大概それは
windowsのソフトなのです。
今は多少過剰かもしれませんが、必ず『mac』か『for mac』という
ワードを入れて検索しています。

macユーザーはそれを既に前提としているのか、
あるいは諦めているのか分かりませんが、私にとっては少し、
いやかなりの衝撃(カルチャーショック)なのです。

と書いたところで、かなりmacのネガティブな面ばかりを
取り上げてきましたが、勿論macの良さも少しずつ分かり始めました。

macは言うなれば、有機的な感じです。
猫に近いとも言えるでしょうか。
急に機嫌を悪くしたり、逆に歩み寄ったりしてきます。

逆にwindowsは無機質な感じです。
macを猫に例えるならば、windowsは犬といったところでしょうか?
飼い主であるユーザーにとても忠実に働いてくれます。

どちらが良い悪いというのは、使う人によって変わるでしょう。
⬆で言うなら、猫好きと犬好きの違いみたいなものですね。

まだ使って間もないですが、macbook然りiphone然り、
上手く付き合っていこうと思っている次第です。
突然ですがmacbook airを買いました。
愛用してたwindowsのラップトップが
壊れたのです。

そこで候補に挙がったのが、
このmacbook airです。

実はmacを使うのは初めてで、色々と
思い悩んだのですが、1台位持っているのも
良いだろうという事と、このリンゴマークに
やられたのです。

私はmacを持っている人の『macの〇〇はwindowsには
ないよな』的な下らない事を言う人が大嫌いです。
結局リンゴマークと、綺麗なデザインが良いんだろ!
と言いたくなります。

5年位前だったら確かにDTMやCAD等のデザイン系の
ソフトはmacに多かったけど、今はwindowsと
ほとんど変わらないと思います。

シェア9割を誇るwindowsマシンに大手ソフトメーカーも
手を伸ばさずにはいられなかったのでしょう。

話が大分逸れましたが、今書いてるこのブログも
macを使って書いてます。
使い始めてから3日経ちますが、全然使い方が分かりません。
同じパソコンなのに、全く別の道具を使っている感じです。

誰か私にmacの使い方を教えて下さい。
めちゃくちゃ久し振りに音楽を紹介します。

今回はジャンルと言うよりアーティストを紹介します。
理由は最後まで読んで頂ければ分かります。

さてそのアーティストとは『細野晴臣』です。

多分、音楽をやっている人や音楽好きな人はご存知かと
思いますが、意外に知られていないかと思います。

細野晴臣の名前を一躍有名にしたのは、1978年に結成した
『YMO』です。

『YMO』と言うと、坂本龍一がまず頭に浮かぶかと思いますが、
実は声を掛けたのは細野晴臣で、スタジオ等で面識のあった
坂本龍一、高橋幸宏にエレクトリックミュージックという
新しい音楽へのアプローチを目指して結成されたのです。

元祖テクノと言うとドイツの『Kraftwerk』が有名ですが、
民族音楽等の独特のグルーブ感をコンピューターで再現し、
ある種音楽を研究し、プログラミングする事によって、
コンピューターを楽器、あるいは楽器をコンピューターに
見立てる事で、音楽の可能性を追求したのが『YMO』です。

今でこそDTMという環境は当たり前ですが、当時はあくまで
生楽器、つまりは演奏するのは人間(プレーヤー)だったのです。
それ(リズムやベースライン等楽曲の基礎)を解体して
再構築する事によって、音楽というものの概念が大きく変わりました。
それは単に、コンピューターが自動演奏するという事ではありません。
人とコンピューター、音楽が能動的に絡み合い、それぞれが
組み合わさる事によって全く新しい音楽が生まれたのです。

そんな『YMO』は1983年に解散します。
理由については諸説ある為割愛しますが、たったの5年間で彼らが
築きあげたものはあまりにも大きなものでした。
『YMO』と言うのは楽曲もさる事ながら、音楽へのアプローチの
仕方そのものが、実に画期的であったと思います。
今のテクノミュージックに関わらず、スタジオ環境、編集等
全ての音楽に多大なる影響を与えたのは言うまでもありません。

駆け足で『YMO』の足跡を辿りましたが、今回紹介したいのは
『細野晴臣』です。

何故彼を紹介したいかと言うと、『細野晴臣』という音楽家の
懐の深さを是非とも知って頂きたいからです。
↑でも書きましたが、どうも『YMO』と言うと坂本龍一に
フォーカスがあたり気味ですが、実は『YMO』の基盤を支えていたのは
言うまでも無く『細野晴臣』です。
(別に坂本龍一を否定している訳ではありません)

彼のバックボーンはあまりにも広く奥深い。
恐らく知らない音楽は無いんだと思う。
クラシックからポップミュージック(実際に松田聖子の楽曲も手掛けてる)
民族音楽等、私が知っている限りの音楽のトップを走り続けている。
(彼が監修した民族音楽の6枚組のBOXセットは秀逸である)

『YMO』以前は、はっぴいえんど、ティン・パン・アレーを結成し、
ソロワークでは、特にワールドミュージック、アンビエントの世界を
追求していった。
アンビエントの祖、ブライアン・イーノを凌ぐ傑作を残している。
(彼の消費社会に対する一つの答えであると思う)

本当に音楽そのものと言える程、多方面の音楽に優れた音楽家ではあるが、多くの作品の中でも一番好きな作品があるので是非とも聴いて欲しい。

『MIX FORM』
2004年に発表された本作は、『SILICOM』の青木孝允を始め、
現在のElectronicaの第一線で活躍しているアーティストの作品の
リミックス集ですが、原作とは違った側面を描いている。
この違った側面こそが、『細野晴臣』である。
殊サイクルが早いテクノミュージックに於いて、65歳になる音楽家が
尚も、新しい世界を切り開いている事に尊敬の念を抱かずにはいられない。


※しんどいので本文のみとしますが、近日中に作品アップします。
(復帰戦と思って温かい目で見守って下さい)
面倒臭い。

その一言に尽きます。

この世の中には、自分が常識だと思っている事が
通じない世界が存在している事に驚かされます。


『善と悪』


こんな分かり易い図式も、もはや誰かの解釈で変わってしまうのです。


今までの歴史で人間は何を学んだのでしょうか?
多くの血が流され、また所以の無い涙が流され、それでも
利己主義というのは共産主義の美意識を踏み倒して
存在するのです。

『利己主義』

辞書に載っていないならば私の言葉で紡いでみましょう。
つまりは自己を何よりも優先して、『他』なるものを全て
無くしてしまう事です。

無くすのは自分以外の全てです。
自分が守りたいものは、その結果失うであろう代償全てを
尚欲しながら、切り捨てるのです。

こんな不条理な見解、世界は存在し得るのでしょうか?

残念な事に、その利己主義を掲げる者の立場によって守られ、
また許される事になります。

歴史上、自己を推し通した者、またはそれに付随する思想は
生物学的にも絶滅を余儀無くされていますが、
善と悪の境界線が、限り無いグレーのグラディエーションを
描いているものに関しては、次の時代が判断する事になります。

私は次の時代に含まれるかは分かりません。

それでも自分以外の価値観を、あるいは存在を自己の都合、
定義でのみで推し量る者の未来があるとすれば、
それは原始時代に戻るのではなく、あくまで未来、
倫理という概念が一切失われた時代にのみ受け入れられる
考え方、イディオロギーなんだと思います。