分からない。

何でかは分からないけれど、とにかく声を上げるべきだと思う。
誰かの為でなく、それは僕個人に対してであるし、
僕の周りにいる人に対してである。

本当に分からないのだ。
何故こんな状況になってしまったのか?
恐らくそれはほとんど僕自身の問題でありながら、
周りの人を巻き込んでしまっている事だから声を上げようと思う。

幸いにも僕が今もこのブログを書いている事を知っている者はいない。
(少なくとも面識のある人に関してだが)

後になって分かっても構わない。
僕は今こうやって声を上げているのだ。
僕は少しでも長くこの世界にぶら下がっていたい。
長く続く螺旋階段を一段でも多く昇ってみたいと思うのだ。
最近皆さんのブログの更新も無く(私も含め)、
ブログはもう過去のコミュニケーションツール
となってしまったのでしょうか?

ツイッターってどうなんでしょうか?
私は食わず嫌いでした事無いですが…。

まあそんな事は気にしません。


最近、遺書を書いております。
『おやおや』と、思った方、まああまり声高に言える
内容ではないですが、そんなに後ろ向きなものでもないのです。

『遺書』というと、死を覚悟した人が残していく者に対して綴る
メッセージといった印象があるかと思います。
いや、実際そうだと思います。否定する気はありません。

しかし私が今遺書を書いている理由は、100%自分の為です。

言うまでも無く、前者と後者の違いは、書く理由、矛先が
全く違うという点です。

話を進めます。
では何で遺書を書いているのか?
繰り返すようですが、自分の為です。更に言えば、
自分の事を客観的に見る為です。

私は自分でも認めておりますが、ひどく面倒臭がり屋なのです。
そして、ダラダラと何となく毎日を過ごしております。
それ自体を否定するつもりはないのですが、
どこかでそんな自分を変えたいと思っております。

そこで始めたのが遺書を書くという事です。

『遺書』を書くという事は、砂時計をセットするように、
残された時間の中で何をどうすべきか?という事を
否が応なしに考える一つの行為です。
死を前にした人間はあまりに無力なものですが、
それでも最後の悪あがきにうってでます。

話が長くなりましたね。
そうです、言うまでも無く、今自分はどうすべきか?という事を
考えられる一つの手段なのではないかと考えています。
(死や遺書などというものを軽はずみに扱わないべきである事は重々
分かっておりますが、不愉快に感じられたのであればお詫び申し上げます)

遺書を書き進める事で、自分がすべき事が浮かび上がってきます。
逆に言えば、後悔の念がそれを浮かび上がらせるのです。
幸いにも(?)私には事実上の妻子がありません。
財産分与等の事務的な作業から解放され、
自我という完全なる主観性の塊を客観的に見つめる事が出来るのです。

遺書を書いている時には、完全に死と向き合います。
いやいや結局死なないから、といった余白を残す事はしません。
その過程に於いて徹底的に自分を追い込みます。
実際、眠れなくなったり、食欲が無くなって体重が2,3kg落ちます。
芝居になった時点でこの行為は意味を無くします。

そのようにして自分を追い込む事で、自分のしたい事、すべき事を
文字通り、掘り起こします。
そして、実際の生活において最低限必要な作業を逆算したうえで、
優先順位を決めながら、タイムテーブルに落とし込んでいきます。

こうまでしないと、中々ベッドから身動き取れない自分に苛立ちますが、
平凡な生活を少しスリリングに変える事に少しだけ喜びを感じます。

さて、ここまで書いてみて注意点を挙げてみましょう。
人間は同じ作業を繰り返すと、慣れからなのか、技術的に向上します。
つまり今回で言えば、『遺書を書く』という事の技術が向上します。

これは私も何回か経験したのですが、あまりにも上手く遺書が書けると、
『ああ、もう死んでも良いかな』という思いに駆られます。
これでは本末転倒です。
より良く生きようと思って始めた遺書が、結果的に死へと向かっていく。
これは本当に注意が必要です。

私がここで書きたい事は、遺書の書き方ではなくて、より良く生きる
ツールとしての提案です。

上記の内容もあって、手放しにオススメ出来るものでは
決してありませんが、少なくとも私は上手く向き合えてると思います。

久し振りに書く内容がこんな重い感じになって、遺書のせいじゃない?
って言われたら身も蓋も無いですが、まあリアルタイムの勢いだけで
あるいは高い匿名性を利用して発言する、無責任な主張よりは、
少しまともな事を書いている気でいます。

にゃあ。
怖いです。
本当に怖いです。

何が?って、勿論原発の件です。

テレビでは、最近ようやく『どうもやばいらしい』
といった報道がなされ始めたが、ustreamで東電の記者会見を
ずっと観てきた方々は、当初から事態の深刻さに気付いていただろう。
勿論、私もその一人である。

ustreamでは殆ど毎日、東電の記者会見を生中継していた。
テレビでは報道されても、ごく一部で、スムーズな質疑応答が
なされているように編集されていたが、実際は担当者と耳打ち
したり、『確認します』、『調査しておりません』などといった、
とても当事者である責任感を感じられない、ひどい対応であった。

周知の通り、もはや一企業、更には一国家としても手に負えない
状況となっている。

これは天災ではなく『人災』である。
結果論といえばそれまでだが、事故後すぐに適切な対応をしていれば
ここまで被害が拡大する事が無かったのは間違い無い。
目先の利益、あるいは損害を避けようとして後手の対応となった結果、
最悪の事態を招いてしまったのだ。

もしかしたら最悪の事態というのは、人類が過去に経験した事が
無い状況に発展するかもしれない。

私が一番危惧していた『プルトニウム』は既に漏れ出している。
そして復旧どころか、日を増す毎に事態は悪い方向へ向かっている。
ここに、原発の最前線に従事していた方の遺書がある。
これを読んだら、原発がいかに危険性を秘めた物である事が分かる。


これからどうやって事態を解決、打破していくのかは分からない。
もしかしたら東電の関係者は未だに電卓をたたいているかもしれない。

せめて願おう。
唯一核爆弾の投下があった国が、再び放射能の被害に遭わない事を。
そしてその国が、世界に放射能の危険性、核廃絶をうたえる事を。



追記。
東電の執行役員は、猛省すべきである。
そして事態の解決を最優先すべきである。
唯でさえ、今回の震災の被害は過去に無いものであるのだから。
もはや原発の問題は、震災の被害を上回る懸念事項となってしまった。

未だ姿をみせない社長。
他人事のように無責任な回答を繰り返す副社長。
まるで小学生の理科の実験のように、笑顔さえ見せながら記者会見に
臨む技術員。

今更、腹を立てても仕方が無いが、全て他人事の様に今回の件を
捉えている様に見える彼らの言動は、あまりにも無責任である。

誰が悪いとかいったものではなく、皆が協力して一日も早く事態の
収拾に向かっていく事を切に願っている。
最初に断っておきます。
今回書く内容は読まれる方によっては気分を害される場合があります。

しかし私が意図したい事は、特定の個人や団体を誹謗中傷する
事ではありません。
むしろ特定の個人や団体を守りたいというというのが、
本文の趣旨です。

東北地方太平洋沖地震。
観測史上最大の地震であり、被害である。
死者は8,000人超、行方不明者12,000人超。
これが連日ニュースで流されている。

私の友人や家族も、この被害にあった。
幸い、死に至る事は無かったが、少なからず日常生活において
大きな影響を受ける事となった。
本当に悲しい限りである。
何か私に出来る事は無いか?と、現在試行錯誤を繰り返している。

さて、話は最初に戻る。
私が被害に遭われた方々の人数に触れたのは意図しての事である。
何故ならニュースで伝えるのは取り分け被害者の人数であるからだ。

もうお分かりの方もいらっしゃるであろう。
私が言いたいのは、何故被害者の方々の『数』にこだわるのか?
という事である。

被害に遭われた方の数と、悲しみは果たして比例するのであろうか?
私の意見では『No』である。

確かに多くの被害者を生む事となった、今回の地震は、言葉では
とても言い表す事の出来ないものである。
しかし、被害者の方々の人数によって悲しみが大きくなる事と
いうのは全くもってして無いと思う。
被害に遭われた方々、及びその方の関係者の方々。
とても辛い思いをされていると思う。

例えばであるが、その方々に、『死者は8,000人を超えましたが
どのようにお感じになられていますか?』と非常に不謹慎な
質問をされたら、恐らく激怒するか、沈黙を守ると思う。

つまり被害者が一人であろうが、100万人であろうが、被害者の
方々の悲しみや辛さというのは変わらないのである。
当事者の方にとっては、それが全てであり、それ以上でも
それ以下でもないのである。

しばしば、ニュースの冒頭で『被害者は○○を超えました』という
言葉を聞く度に、数字に埋もれた一人一人のドラマを思うのだ。
そして掛け替えの無い一人の不運を。

もう一度言おう。
悲しみの数こそ増えるものの、悲しみの深さは数字では決して
表す事が出来ない事を。
そこには一人一人の掛け替え無いの人生があった、あるいは
これからあったであろう事を。

この内容をこのタイミングで書くのは時期尚早であったかもしれない。
しかしそれでもこのように書く決断を下したのは、
いつまでも変わらぬマスコミの報道の在りかたへの
アンチテーゼであり被害者及び関係者の方々へのオマージュである。
皆さん最近ケンカしてますか?

何を突然といった感じですが、実は少し前に
友達とケンカをしたのです。

記憶にある限り、大人になってからのケンカって
数える位しかありません。

まあ一言にケンカと言っても、些細なものから
大きなものまで色々とあるかと思いますが、
今回のは大きなものでした。

結果から言うと、今現在、絶縁状態です。

子供の頃のケンカはいくら大きくなっても、次の日には
ケロッとしてたりするものですが、大人になると
下らないプライドとかが生まれて中々仲直りが難しいという事です。

私は相手に対して何か抱えるものを持ちながら付き合うという
スマートな付き合いが出来ず、思った事はすぐ口に出してしまうのです。
それが今回は相手の地雷原だったみたいで、
エスカレートしてしまったのです。

開き直る訳ではないですが、そんな抱えるものを持ちながら
付き合うというのは、どうも嫌なんです。
なので、今更『ごめん』と思ってもいない事を言うのも如何かと。
あるいはそうまでして今後付き合う必要があるのか?云々…。

まあ、賛否両論あるかと思いますが、何と言うか面倒な今日この頃です。