あとがきです。

帰国後、周囲のリアクションがあまりにも大きくて
事故が残した爪跡の大きさを改めて感じた。

事故が起きたのは夜の10時30分頃。
その日、両親はテレビで映画を見ていたので、
珍しく夜更かしをしていたのだ。

そこにニュース速報の字幕が流れる。
『中国の雲南省でバスの落下事故が発生。
日本人の旅行客も乗っていたもよう。』

私はhotmailで大きな移動や出来事があった場合などは
両親を含め友達等にはメールを送っていた。
私が雲南省からバスで移動した事もメールで
知らせていた。

そのニュース速報を眺めながら父親が冗談で
『○○(私の名前)がまさか乗っていないよな?』
と言うと、母親は『まさかねえ…』なんて話していたら、
突然電話のベルが鳴って、母親が出ると電話口の向こうから
『外務省の○○です。突然ですが、おたくの息子さんが
中国のバスの落下事故に巻き込まれた様子です』
と言われたらしい。

母親はその言葉を聞くと、映画みたいに膝からガクンと
崩れ落ちた。
その様子を見ていた父親が受話器を取って、事故の詳細を聞くも、
『ただ乗客の名簿に名前があっただけで容体までは分かりかねる』
との事。

二人とも眠れない夜を過ごして明け方にまた外務省から連絡があって
『軽傷です。』の一言で取り敢えずの安心を手にした。
それでも『軽傷』の範囲はあまりに広い。
私が一般病棟に移ってから話した電話でようやく安心したらしい。

しかし、私の友達や知人達は事故翌日の新聞の記事以降の情報が無い。
メールを送るも、私からの返事は無い。
それが300通を超えるメールの理由だ。

帰国後、歓迎パーティーをしてくれたが、中国の友人同様、
私のあまりの元気さに皆一様に驚いていた。


かくて私は有名人になっていた。
色んな所に帰国の挨拶に向かった。
相手の反応はもう見慣れていた。
そして同じ言葉を繰り返した。
『ご心配お掛けしましたが、おかげさまで元気に過ごしております』と。

ただ母親だけ、大きなダメージを受けていた。
事故から一週間位経って、頭部に500円玉位の
大きさのハゲができたのである。
医者からは精神的なダメージによるものだと言われたらしい。
原因は言うまでも無く私である。
半年位してようやく毛が生えてきたものだから私も安心した。

あと一つ、私の知らない人が、私の帰国を待ちわびていた。
それは同じバスでたまたま乗り合わせた日本人の乗客の遺族の方である。
帰国から一週間もせずに電話のベルが鳴った。
受話器を取ると、亡くなられた方の母親が間髪入れずに
『私の息子の事で相談したい事があります。ご協力頂けないでしょうか?』
と言ってきた。

勿論、出来る限りの協力はしたいところだったが、まだ事故による
心の整理が出来ていなかった。
しばらくはそれについて触れたくなかったし、協力できる事といっても
微々たるものに過ぎなかった。
それは即ち、双方にとって好ましくない結果をもたらす事を意味していた。
だから私は泣きすがるご遺族の母親を相手に、きっぱりとお断りした。

しかし、帰国後父親からも聞いたのだが、日本の外務省はあまりにひどい。
最初は中国政府やバス会社との話し合いすら行われない予定だった。
しかし父親はいつもの力強さで、取り敢えず話し合いの場を作らせた。
あとはこちら側でケリをつける。
実際に私達が望んだものは全て手に入れた。

感謝の意味を込めて、報告をしたところ、非常に驚かれた。
日中関係が冷えきっているのは言うまでも無いが、
中国が日本に対してお詫びをしたり、解決手段として様々な条件を提示するのは例外中の例外らしい。
外務省の中国の担当の方は話し合いの場は設けたが、
所詮軽くあしらわれて終わりだろうと思っていたのだった。
それが、希望通りの結果だったのだから、驚くのも当然だ。


また、この旅では不思議な事が多々あった。
言うまでも無く、あれだけの大事故で全くの無傷であった事、
またその直前に(ラオスに向かう)、親しくしてた中国人の友達からの
『南に行くな』という言葉。以前にも書いたが私が南に向かう事を
彼は知らなかったのである。それでも彼ははっきりと『南に行くな』と
口にした。

一番不思議だったのは、バスに乗る直前にバス停でしつこい位に他の
バスに乗る事を勧めてきたバーの隣の中華料理屋のお兄さんである。
と言うのは、バーの隣にあったのは中華料理屋ではなく、観光客向けのお土産屋さんだったからだ。
あまりにもその風景に見慣れていた私は、もはや一軒一軒どこに何が
あるといった見方ではなく、町全体が一つの風景になっていたので
隣に中華料理屋があったなんて事は気にもしていなかったのである。
それではあのお兄さんは誰だったのか?
友人や隣のお土産屋さんのオーナーに体格や顔の特徴を伝えるも、彼を知っている者は一人もいなかった。

都市伝説のような話だけれど、私なりの解釈はこうだ。
『南に行くな』と言った友人も、正体不明の中華料理屋のお兄さんも
すべて虫の知らせだったのではないか?と言う事。
実際『南に行くな』と言った友人に後日何でその言葉を発したのかを
聞いたところ、別に理由は無く、何となく口から出ただけとの事だった。
また他の友人達が気持ち悪い位止めたのもやはり虫の知らせだったの
では無いかと思う。

更に言えば、出発直前にラーメンを食べに行った事も
大きく関わっている。
素直にそのまま乗っていれば、まず命は無かっただろう。
中華料理屋のお兄さんから逃れる為にバスに乗った事、
また遅れて空いていた席に乗った事も含めて全てが奇跡的に組み合わさってこのような結果になった。
事故に遭った事を考えると運が良いのか、
悪いのか分からないところではあるが…。


さて私のこの旅の目的は、何度も書いている様に、
各国の民族音楽の研究にあった。
結果的には中国で終わってしまったが、当初の目的以上の
収穫を得て帰国する事が出来た。

それは知識や情報というのは作品を作る上で、
確かに大切な要素ではあるけれど、それ以上に内面的な要素、
つまりは自分の言葉を持っている事が何よりも重要であるという事が
単なる言葉ではなく体験として分かったからである。

それを具現化し、発表、プレゼンしようと思って
翌年行ったのがNYである。

ここでもドラマチックなストーリーが待っていた。
これについてはいずれNY編としてアップしようと思う。


この中国編の最終回についてだが、仕事の都合で、時間を掛けれず
あまりにも唐突で、稚拙な文章になってしまったので、
少し手直しをしました。(それでもひどい終わり方だが…)



最後に、このつたない文章に最後までお付き合い頂いた読者の
皆様には感謝の言葉を送りたい。

ありがとうございました!