旧フジテレビ本社があったコリアンタウン 新宿河田町ごゆるり徘徊 | 舟水の世界ごゆるり街歩き

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               NHK教育番組「たんけんぼくのまち」で強烈な刺激を受け、小学校の頃から地理大好き人間。日々の散策からちょっとした世の中の宝箱を覗いて見ませんか?

お台場にあるフジテレビ本社。お台場に移転する前は新宿河田町にその本社を構えていました。新宿河田町と聞くと、えっ?どこっ?ってなる人もいるかもしれません。コリアンタウンとしては同じ新宿でも新大久保の方が圧倒的に有名なコリアンタウンですが、実は新宿河田町も東京を代表するコリアンタウンのひとつです。そんなコリアンタウンのど真ん中にかつてフジテレビ本社が存在していました。地方の方だとあまり知らない旧フジテレビ本社界隈。そんな日本の深~い場所をごゆるり徘徊です。

 

(2016年9月撮影)

まずは、都営地下鉄新宿線:曙橋駅からアプローチしていきます。曙橋駅はよっぽど付近に用事が無い限りは乗降しないと思いますので、都心にも関わらず、東京ではそこそこマニアックな部類の駅に入るのではないでしょうか。

 

 

旧フジテレビ本社が存在した場所です。

都営地下鉄新宿線:曙橋駅より徒歩5分程の場所になります。曙橋駅の東方面には市ヶ谷の防衛省の広大な敷地が見えています。

 

 

(2016年9月撮影)

曙橋駅から地上に出ると、東方向に防衛省のシンボルでもある高さ220メートルの無線鉄塔が見えます。東京タワーの3分の2の高さがあるので、そこそこ高く見えます。

 

(2016年9月撮影)

曙橋駅から地上に出てすぐ、あけぼのばし通りの商店が現れます。あけぼのばし通りは、かつてフジテレビ通りと呼ばれた、いわば旧フジテレビ本社の門前町でもありました。その名の通り、この商店街を抜け、念仏坂という階段を昇ったところに、本堂のフジテレビがそびえていた訳です。ちなみに、この写真をよーく見ると、時計の後ろに、大きなタワマンがそびえているのが分かるかと思います。このタワマンが立地している場所が旧フジテレビ本社でした。

 

(2016年9月撮影)

曙橋駅方面を振り返るとこんな感じです。旧フジテレビ本社が存在した場所は新宿河田町ですが、こちらの門前町のあけぼのばし通りは新宿住吉町になります。

 

(2016年9月撮影)

あけぼのばし通りを進んでいくと、右手にちよだ鮨が見えてきます。ここを右折して細い路地を入っていくと、念仏坂の階段があり、旧フジテレビ本社への参道だった抜け道です。写真をよく見て下さい。角に子供がいますが、その前を行く大人の人に被って写っている細長い石碑のようなものが見えるでしょうか?ちよだ鮨の前の看板の真左になります。

 

(2016年9月撮影)

それがこちらの道標です。

 

(2016年9月撮影)

こんなものが設けられるくらい、フジテレビへの人の流れがあったということです。河田町にフジテレビが存在していた頃、曙橋駅とフジテレビとを行き交う関係者で、曙橋通り商店街はその恩恵を受けていたと言います。

 

(2016年9月撮影)

ちよだ鮨の角を路地に入り、あけぼのばし通りの方を振り返った風景です。

 

(2016年9月撮影)

路地を入るとすぐに目の前に念仏坂が現れます。かつてはここを多くの関係者が行き交っていたのです。坂に沿って住宅が段々に建てられており、閑静な住宅街のど真ん中を通り抜けていきます。商店街のすぐ脇がこのような独特の地形をしているのは、かつてこの場所が市ヶ谷谷町と呼ばれる湿地帯であり、その周りを高台が挟むという地学的環境だった為です。この階段は、湿地と高台を結ぶ生活階段だったものと思われます。

 

(2016年9月撮影)

念仏坂の地名は、昔この坂に老僧がいて昼夜念仏を唱えていたことに因んでいるとのこと。またこの坂は左右を谷に臨み、屈曲しており危険だったので、仏名を念じて往来する人がいたことにも因むそうです。

 

(2016年9月撮影)

念仏坂からあけぼの橋通り商店街の方面を振り返ります。

 

(2016年9月撮影)

これだけの急な坂が昔から存在していた訳です。写真左の看板をよく見て見ると・・・・

 

(2016年9月撮影)

出ました!ハングル。このエリアがただならぬ場所であるということが少しずつ見えては来ないでしょうか?

 

(2016年9月撮影)

念仏坂を登り切って、旧フジテレビ本社の跡地にそびえるタワマンを通り過ぎたところで、写真撮影しましたので、方角的には、念仏坂のある方角を振り返って、撮影した構図になります。こちらが旧フジテレビ本社の場所になります。元々この場所は高台に位置しており、下界の湿地を眺めることが出来る眺望の良い場所だった為、大きな屋敷がいくつも建てられていた場所でした。その屋敷のひとつであった徳川家の邸宅の敷地に、戦後フジテレビ本社が建てられたのです。つまり、時の権力者たちに好まれた土地柄だったということです。東京で、このような大きなタワマンが建設されるような場所は、大体、その昔の大きな屋敷跡地ということが多いのが特徴です。それでなければ、湾岸の埋め立て地や工業地帯の再開発でくらいしか広大な土地の取得できないという都心の事情が垣間見えます。

 

(2016年9月撮影)

三徳と一体となってひとつの街が形成されています。

 

(2016年9月撮影)

河田町コンフォガーデン。 この一帯が、旧フジテレビ本社の場所でした。

 

(2016年9月撮影)

河田町の方からも防衛省の無線鉄塔がよく見えます。

 

(2016年9月撮影)

河田町コンフォガーデンの角には女子医大通りなる通りがあります。

 

(2016年9月撮影)

通りの名は、こちらの東京女子医大病院から来るものです。東京女子医大病院・・・・と言えば・・・ 確かコロナ禍で、経営が苦しくなり、病院に勤務する職員に冬のボーナスゼロ通達がなされたことで、400人程の職員が一斉に退職するやのなんやで、お茶の間を賑わせた病院です。最終的には経営側がボーナスの支払いに応じるという形で決着を見ましたが、今後も注視していかなくてはならない病院であることは間違いいりません。こちらを徘徊したのは2016年ですが、今となってこの写真を見ても、建物の老朽化が見え隠れしています。茶色のパッとしないデザインの病棟を改築できなかったのは、かつてより経営難であった為なのかもしれません。

 

(2016年9月撮影)

その女子医大通りからも無線鉄塔がよく見えます。

 

(2016年9月撮影)

女子医大通りを挟んで、東京女子医大病院の対面にはこちらの施設が・・・ こちらはなんと東京韓国学校です。積極的に住みたくないようなエリアに存在する朝鮮学校とは異なり、明らかにエリートの韓国人が通う学校のようです。

 

(2016年9月撮影)

女子医大通りの電柱はまさにカオスで、ハングル文字の広告があちこちに。韓国人の駐在員の住居斡旋を行う韓日不動産の広告です。塾と言い、韓国学校と言い、この駐在員不動産と言い、河田町は、まさに勝ち組の韓国人が住むエリアなのです。

 

(2016年9月撮影)

こちらもClassとあるので、塾の広告でしょうか?

 

(2016年9月撮影)

女子医大通りの新宿区の地図の看板広告には・・・明光義塾の広告が・・・完全に乗っ取られています。河田町を実効支配しているのは在日か!って感じです(笑)

 

(2016年10月撮影)

こちらは、2016年10月に東京都庁を訪れた際、展望室から撮影した光景です。東京女子医大病院、河田町コンフォガーデンがはっきり見えています。旧フジテレビ本社はそんな場所に長く存在していたのです。フジテレビが在日の放送局だ!韓流ドラマばかり流して一大ブームを作った、そんな理由が何となく見え隠れしては来ないでしょうか。

 

 

以上、旧フジテレビ本社があったコリアンタウン 新宿河田町ごゆるり徘徊 でした。

 

 

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