銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機 | 舟水の世界ごゆるり街歩き

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               NHK教育番組「たんけんぼくのまち」で強烈な刺激を受け、小学校の頃から地理大好き人間。日々の散策からちょっとした世の中の宝箱を覗いて見ませんか?

東京都中央区銀座。日本で最も土地が高いこの地に鉄道信号機が残されていることは、鉄道マニア以外んはほとんど知られていない、そのような場所があります。それが、銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機です。

 

日本の鉄道は新橋~横浜間での開業が全ての始まりですが、当時の日本の玄関口はもちろん成田空港ではなく、横浜港でした。その成田エクスプレスとして開業されたのが我が国最初の鉄道になります。鉄道開業当時は新橋駅が終着駅ということで、当然、近くに車両をプールしておく場所が必要でした。それが汐留ターミナルになります。汐留ターミナルがぶっ潰されて、再開発された跡地に日テレや電通などが本社を構えるようになったわけです。赤●で囲った部分は操車場の役割を果たすと同時に貨物ターミナルとしての機能を持っていました。そういったことから日通の物流ターミナルもこの汐留ターミナルに存在していたのです。そんな汐留の貨物ターミナルから築地の中央卸売市場に向けて貨物専用の線路が敷設されていました。それがピンクの線で示した箇所です。(築地は魚市場のイメージしかない人もいるかもしれませんが、青果市場も併設されている中央卸売市場でした)

現在、もちろん線路はありませんが、その面影が色濃く残されている場所、それが銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機の場所になるのです。

 

(2016年9月撮影)

その踏切がこちらです。土台のコンクリートには保存理由などの説明書きのプレートが張り付けられています。

 

(2016年9月撮影)

 

 

 

銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機の場所です

場所は銀座郵便局前の角地です。銀座郵便局は本局に当たり、それなりに大きいので、そちらを目指して訪れるのが良いかと思います。

 

 

(2016年9月撮影)

昭和6年から昭和62年まで56年間運用されていたと記されています。地元民の要望により残されたというところに銀座で代々住んで来た人々の思いと言うものが伝わってきます。

 

 
 
 

(2016年9月撮影)

 

(2016年9月撮影)

黒光りしたいかつい住友不動産ビルの谷間にそっと、息を潜めている踏切信号機です。

 

(2016年9月撮影)

信号機には梯子が残されているので、梯子を登るマニアも絶対いるような気がします。

 

(2016年9月撮影)

 

(2016年9月撮影)

踏切信号機が残るこの細い道が当時の築地中央卸売市場へと続く支線になります。

 

(2016年9月撮影)

左手に見えるのは朝日新聞本社と浜離宮朝日ホールです。線路跡の道が旧築地市場へと延びています。

 

(2016年9月撮影)

後ろを振り返り、踏切信号機の方角を眺めます。カレッタ汐留の建物が光っています。こちらの線路跡の道路をよく見ると少し違和感があると思います。これは、私有地と公道が交じり合っているためです。その境目にガードレールが設けられ、道を利用する者にとっては、分かりにくい構造になっています。

 

(2016年9月撮影)

浜離宮朝日ホールの真横です。ここも私有地と公道の区別の為、特殊な道路状況となっています。ここを抜けると、中央卸売市場になります。

 

(2016年9月撮影)

浜離宮朝日ホールを抜けたポイントがこちらです。この先にあった中央卸売市場まで線路が伸びていたのです。

 

 

 

以上、銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機 でした。

 

 

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