暇老身辺雑記 -5ページ目

碁会所紳士録12.HAさん

HAさんは小学校の元先生で、現職の頃は時々だったが、定年以降は殆ど毎日碁会所に現れる。棋力は弱い2段か強い初段かと言ったところだ。

礼儀正しさと姿勢の良さは碁会所の客の中では随一で、流石である。花粉症のため今日からマスク姿で、毎年初夏までそれが続く。

彼とは向こう3目の手合いで週に20局近く打つが、私が殆ど勝つ。彼は負け続けるのを不思議がるが、その理由ははっきりしている。私は何度も対局するうちに彼の弱点を知り尽くしたのに、彼は私の弱点を探ろうとしないためだ。しかし、勝ち続けるのか楽しいから、私はその事を彼には話していない。

碁会所紳士録11.M少年

M少年は小学6年生のリトル・ジェントルマンである。彼が碁会所に顔を見せるようになったのは3年生の時で。父親の転勤に伴い宝塚市に住むようになったとの事だった。当時は初段だったが現在は5段になっている。

彼は月曜と金曜の午後4時頃に現れ、指導碁を打って貰っている。彼を指導するのは兵庫県のトップクラス・アマであるSA氏とOK氏の二人だ。SA氏は若い頃から抜群に強く9段格で打たれていたそうだ。最近は体調が思わしくないそうで、普通の対局はされずにM少年の指導に専念されている。OK氏は兵庫県のアマ名人なられた事もある強者で、本業は高校の先生だそうだが大変お忙しいそうで、金曜の夜だけM少年の指導をされている。二人の師匠に恵まれて、M少年の棋力は順調に伸びているようだ。遅くとも大学生の頃には県代表クラスになっている事だろう。

甲東梅林は七分咲き


 昨年は観梅も観桜も全くしなかったので、久しぶりに梅花を観ようと甲東梅林を訪れた。阪急今津線の甲東園駅から坂道を登って行くと、関学のキャンパスの近くにあるこの梅林に着く。面積は大きくはないが樹種は多く、また、古木が多いので歴史を感じる。到着した時には数十人の和服姿の女性たちが輪になって江州音頭を踊っていた。梅林の横に公民館があり、そこの踊りのサークルのパフォーマンスだった。何人かはこの寒さの中で揃いの浴衣姿なのに驚く。

 駐車場にはあちこちの老人ホームのマイクロバスがとまり、車椅子で見物する人達も多かった。公民館には梅の開花状況の表示があり、七分咲きと記されていた。桜の場合には開花の時期がほぼ揃うので何分咲きかは一目で分る。しかし梅は種類により開花時期が異なるので、梅林全体の状況を知らせる必要があるのだなあと感心した。
甲東梅林

碁会所紳士録10.Kさん

 私の同級生のKさんは鉄鋼会社に入り、子会社の社長で定年を迎えた。

学生時代から囲碁部員で、私にも囲碁部に入るように勧めてくれたが、アルバイトで明け暮れる私には部活動をする余裕はなかった。社会人となってからも囲碁部の中心メンバーとして活動していた彼は、現在7段の免状を所持している。おおらかな性格で、こせこせした碁は決して打たない。真似をして、私も悠然とした碁を打とうとするが途中からちまちました碁になってしまうのが情けない。

 仕事を離れた後、彼を慕う鉄鋼各社のOB数人が集まって月に一度開く碁会に参加して指導者役を務めている。この会は私の行き付けの碁会所で開かれている。彼はまた、年に一度開催される関西の各大学囲碁部OB

 抗戦への出場も続けている。

碁会所紳士録9.Mさん

 2段のMさんは白髪の長髪で、いつも紙袋を提げていた。その中には日本酒の4合瓶が入っていて、対局中に目立たない様にそっと飲むのである。彼は碁を打っている間、表情を殆ど変えなかったが、終局して勝利を確認した時には実に嬉しそうな顔になるのが印象的だった。その彼がバッタリ碁会所に現れなくなった。席主に彼の顔を最近見ませんねと尋ねると、ある日対局相手と喧嘩して大騒ぎになったので出入り禁止にしたとの答えが返って来た。あのいつも静かなMさんが喧嘩したとは驚いてしまった。それにしても彼が喧嘩をしていると言うイメージはどうしても浮かばなかった。酒は「百薬の長」とも、「気違い水」とも呼ばれる。彼は酒の悪い面を体現したのだろう。

碁会所紳士録8.HTさん

 スーツ、靴、時計、ベルトなどいかにも高級そうなものを身に付けているので、私とは、異なる世界に住む人のように感じていた。ところがある日、彼の名前が読めるかと訊かれた。確かに、普通は人名に余り使わない難しい漢字なので大抵の人は戸惑うだろう。しかし、私には知人にその名前の人がいたので即座に答えた。すると、自分の名前を正しく読んで貰ったのは初めてだと大いに喜んでくれた。それを機会に碁を終えた後、一緒に居酒屋に行くようになった。ある時彼は自分の身の上について、語り始めた。中学の教師をしていた時に野球部員にノックをしていたら、どうしたはずみかバットがキャチャーをしていた子の眼に当たり、不幸な事にその子は失明してしまった。とんでもない事を仕出かしたので、教師を辞め退職金を全額お詫びとして差し出した。その後、日雇い土工として働いていたら経営者に呼ばれ、このような仕事をするような人間には見えないがと問われた。経緯を話すと経営者は自分はいろいろな仕事を抱えている。本屋をやってみないかと言われ応じて一所懸命に働いていたら、経営者に大変喜ばれ、サラ金業の社長を頼みたいと言われた。それが現在の職業だとの事だった。

 まるで小説のような話が現実にあるのを知って驚いたのを覚えている。その後のある日、何気なく新聞の三面記事を読んでいたら、神戸のフェリー乗り場で転落事故があった事を報じていた。読んでみると、フェリーに乗る際に運転ミスで乗用車が下に転落した。夫婦が乗っていたが、奇跡的に二人は無事だったそうだ。そして運転者に何と彼の名前があった。何日か経って彼に会うと、照れくさそうな顔をしながら『事故のお蔭で若い女房を持っているのがバレてしまった』と呟いた。確かに記事にあった夫婦の年齢差は20歳を超えていた。『禍福はあざなえる縄の如し』と言う格言があるが、彼は人並外れて禍福を味わう人生を送っているのだなあと改めて思った次第だ。

碁会所紳士録7.ONさん

5段のONさんは独特の碁を打つ。厳しい手と穏やかな手のどちらかを選ぶ場面では、必ず厳しい手を採用する。だから誰と対局しても格闘技のような碁になる。棋風で言えば、プロ棋士の宮沢吾朗九段(タレントの「さかな君」のお父さん)に似ている。厳しい手を選ぶのが良いかどうかは時と場合による。真剣勝負で大上段に構えた剣を相手目掛けて振り下ろした途端に体をかわされて、自分の足を切ってしまうと言うような事がよく起こり得るからである。だからONさんの勝率はそれ程高くはないが、うまく行く場合〔(たいていは下手(したて)相手)には、抜群の破壊力を発揮する。だから彼は上手(うわて)とは滅多に打たない。

碁会所紳士録6.Uさん

「無くて七癖、有って四十八癖」と言う言葉があるが、4段のUさんの癖は変わっている。ガシーンと叩きつけるように石を打ち、盤面をにらみつけるのが癖なのだ。初めて対局した人は高い石音に驚いて、何が起こったのかとUさんの顔を見る。そして鬼のような形相になって盤面をにらみつけているのを見てさらに驚き、碁を楽しもうなんて気分が吹っ飛んでしまう。そんな訳で、一度対局した大抵の人は二度と彼とは打とうとしない。彼と打つのは、初めて訪れた碁客、どんな相手とでも打つ奇特な人、そして一人でも多くの客を集めたい碁会所のオーナーしかいない。結局、彼は碁会所に来ても多くの時間を他の人達の対局を見て過ごしている。それでも彼は対局態度を変えないし、忠告する人もいない。たとえ忠告があったとしても、多分何十年も続けて来た癖が改まりはしないだろう。また、彼と世間話をしようとする人もいないので、彼がどんな仕事をしていたのか、住所がどこなのか。何歳なのか誰も知らない。

碁会所紳士録5.Hさん

 十歳年下で初段だったHさんが他界してからもう2年半経つが、碁会所に入る度に彼の面影が浮かび寂しさをかみしめる。彼は早打ち、私も早打ちで呼吸がよく合い、1日に20局位対局する事も稀ではなかった。

 彼は身長約185cm、体重約90kgと立派な体格をしていたが優しい性格だった。信用金庫の支店長の時にバブルが弾け、部下の退職勧奨を命じられた。しかしどうしてもその命令に従う事が出来ず、自身が早期退職したと言う逸話が彼の人柄を表している。

 私が宝塚市に移って来て碁会所で初めて彼に会った際に、山歩きを勧めてくれた。宝塚周辺には適度のコースが幾つもあり、歩かないと勿体ないと言う事だった。彼の提言に従い70歳近くになってから山歩きを再開した次第だった。

 彼は亡くなる半年位前から肝臓の調子が悪いと話していた。しかし、入院して1週間で彼岸に渡って閉まったと聞いた際には、ただ茫然とするのみであった。

碁会所紳士録4.Sさん

 Sさんはボランティアで初心者や下級位者の指導に当たっている。穏やかな性格で、優しく噛んで含めるように説明するので、女性陣に人気がある。業界新聞の元記者で、インタビュー記事などで人と接する機会が多かったため、人当たりの柔らかさが身に付いたのだろう。

 棋力は5段で、指導対象者がいない時には普通の対局もする。しかしボランティアを始める以前と比べると少し弱くなったような気がする。リーグ戦に入っても成績は振るわない。指導を続けながら自分も上達するのは至難なのかも知れない。お酒が好きで、私は同席した事がないが、終始穏やかに乱れる事なく楽しそうに飲んでいるらしい。