暇老身辺雑記 -23ページ目

パリ旅行6―印象に残った観光スポット



 ・モンマルトルの丘

  丘の上にそびえる白亜のサクレ・クール聖堂は、近付くと威圧感を受ける程の迫力のある建物であった。ドームの高さが83m、奥行きが100mもあるとの事だった。大勢の観光客がたむろしてカメラを向けあい、正面前の道路には何台もの観光バスが停まり、パリの第一級の観光ポイントである事を感じさせた。近くのテルトル広場には土産用の絵を売る人達や似顔絵描きが何人もいて、モンマルトルらしさを醸し出していた。ボーっと眺めていると、いかにも画家らしい風体の初老の男性が日本語で話かけて来た。『私は自分の才能を自負しています。しかし貧乏画家なのです。絵を買って下さい』と。海外で日本語で話しかけて来る外国人には、本能的に警戒心が働く。『ノン』と答えて急ぎ足で広場を後にした。

 ・パレ・ロワイヤル

 綺麗な花壇のある中庭を、小さな商店やレストランの入った回廊が取り囲んでいる。一周すると約1kmにも達する大きな建物である。1789年の大革命以前の王族達の贅沢な暮らしを実感出来る建物であった。

 ・パレ・ガルニエ

 オペラは見なかったが、入場料を払って内部を見学した。さすがに豪華な造りで、かつては貴族たちの社交場であった事が納得出来た。出口の近くの売店ではバレー・シューズやバレーの衣装なども販売されていた。正面入り口の広い横幅の階段で、20人ばかりの女児が記念撮影のために集まっていて、何かの合図で一斉にバレリーナのポーズを取る様子が実に可愛らしかった。

 ・ヴェルサイユ宮殿

 パリ市内からバスで40分ほど掛かった。年間400万人が訪れる観光地だそうだ。建設時に『有史以来、最も大きく、最も豪華な宮殿』を目指したそうで、広大華麗な宮殿であった。この宮殿の建設も大革命の遠因となったに違いないと感じた。

 ・シャンゼリゼ大通り

 コンコルド広場と凱旋門とを結ぶ全長約1.9kmの道である。散策していて、キャバレー「リド」の前を通った。95年に出張で来た際に、取引先がここに招待してくれたのを思い出した。しかし、折角招いて貰ったものの、シャンパンで乾杯して以降終演に至るまで舞台に背を向けて商談に夢中になっていたのが今となっては惜しまれる。

パリ旅行5―市内を歩き回る

 日本を発つ前には、モン・サン・ミッシェルへの日帰り旅行をしたいと思っていたが、片道360km、バスで4時間も掛かると聞いて断念した。結局少し遠出したのは、ヴェルサイユ宮殿観光だけで、後の6日間はひたすらパリ市内を歩き回った。お蔭で、点としての存在だったモンマルトルの丘、オペラ座、ルーブル美術館、コンコルド広場、シャンゼ凱旋門、モンパルナスタワー、カルチェ・ラタンなどが線でつながり、パリの地理が立体的に頭に入った。歩数も歩行距離も測っていなかったが、総歩行距離は恐らく150kmを超えたような気がする。

 あちこち歩いたせいで、美しい建物やきらびやかな飾り付けなどの華やかな面と対照的なごみまみれで異臭が漂う一角、町はずれでシートを被って眠るホームレスなども目にした。また、パリには乞食が多いのも意外だった。

 市内を歩き回る上で非常に役立ったのは磁石であった。この時期のパリは毎日曇り空なので、太陽で方角を知るのは難しい。また、古くから徐々に発展して来た町なので、三叉路や五叉路が多く方向感覚が狂いやすい。磁石で助かった事が何度もあった。

 ベルサイユへは旅行会社の日本語ガイド付きのバスツアーに参加した。日本に3年住んで日本語を覚えたと言うフランス人ガイドの日本語は驚くほど流暢であった。なお、フランス人は歴史と地理の知識があればガイドの資格試験に合格できるが、日本人はネイティブ並みの仏語能力要求に応えるのが難しいので、資格が取り難いらしい。ちなみに、ガイドを個人で雇う場合の時給は約1万円位らしい。

パリ旅行4-宿泊したホテルの周辺

 ホテルはルーブル美術館の正門から数分、パレ・ロワイヤルの西側に殆ど隣接する所にあり、リシェリュー通りに面していた。周辺は商業地域で各種商店、レストラン、ビストロ、喫茶店、ブーランジェリーなどが建ち並び、賑やかな雰囲気を醸し出していた。

 近くに日本食材店(京子食品、十時や)、うどん屋(国虎屋)、日本料理店(かどや、アキ、たからなど)、ラーメン屋(サッポロラーメン、ひぐま、来来軒、大将軒、北海道など)、ジュンク堂書店、ヤマト運輸、日本人経営の旅行社(マイ・バス、ミキ・トラベルなど)、日本人経営の不動産屋(パリ不動産、センチュリー21)、日本人経営のチーズ専門店(サロン・ド・フロマージュ・ヒサダ)などがあり、日本人旅行者には大変便利な場所であった。また、大手スーパーのモノプリ、ヨーロッパ最大規模のラファイエット百貨店、プランタン百貨店も歩いて十数分以内の距離にあった。

 パレ・ロワイヤルの東隣りには、広大なフランス銀行本店の建物があり、10mに1人位の間隔でガードマンが警護に当たると言う物々しさであった。

パリ旅行3-宿泊したホテルの概要

 今回宿泊したCitadenes Louvre Parisというホテルは、世界中でアパート式のホテルを展開しているCitadenes(シタディーヌ)グループに属し、パリ市内だけでも16軒のホテルがある。日本でも東京、京都及び博多に何軒かあるらしい。大部分はCitadenesの名を冠しているが、SomersetAscotと言う名前のホテルも経営している。

 アパート式のホテルは、アパートメント・ホテル、レシデンス・ホテル、アパートホテルなどと呼ばれ、食器や調理器具を備えた台所が付属していて短・中期の滞在にはまことに便利な宿泊施設と言えよう。ちなみに今回利用したホテルには下記の品々が備えられていた。

 テーブル、小テーブル、椅子2脚、TV、ラジオ、シングルベッド2台、衣装戸棚、金庫、ヘヤードライヤー、加熱式物干、ADSLインターネット端子、電気ポット、食洗機、電子レンジ、冷蔵庫、トースター、IHコンロ、調理器具一式、食器一式

 掃除とシーツ交換は週に1回が標準となっているが、費用負担すれば毎日サービスも受けられる。地下室にはコインランドリーも設置されていた。また、食堂ではビュッフェ形式のコンチネンタル・ブレークファースト(有料)が供される。

 ホテルのTVにはJSTVと言う日本語の衛星放送(24時間連続)が入るようになっていた。この放送は英国に本社があり、欧州・中東・ロシア・北アウリカをカバーしているとの事であった。放送内容はNHKの番組が中心で、「笑点」などの人気民放番組も放映されていた。大部分が録画での放送だが、ニュースだけは日本と同時放送となっていた。

パリ旅行2-自宅からホテルまで



 自宅からJR宝塚駅まで歩き、駅前から大阪空港行のバスに乗り、大阪空港から関空行のバスに乗り換える。関空についてエールフランスのチェックインカウンターでパスポートを提示すると、無事に搭乗券を受け取る事が出来た。

 搭乗機が離陸して間もなく前方7列目くらいの座席の周辺に慌ただしい動きがあった。乗務員が何人も集まり乗客に問いかけたりしているようだ。暫くして機内放送で『急に体調を崩された乗客がおられますので、お医者様がおられましたらお知らせ下さい』との趣旨のアナウンスが流された。瞬時に二人の医師が現場に現れ、そのうちの一人が問診を始めた様子だった。20分ほど付き添っていたが幸い、たいした事がなかったようで医師が立ち去った。暫くして立ち上がった急患だった人は、比較的若いカップルの女性の方だった。

 その一件以外は何事もなく乗機は約9600kmを飛び終えてシャルル・ド・ゴール空港に着いた。出口近くのベンチに座りコーヒーを飲んで一休みしてからタクシー乗り場に向かおうとしていると、長身の男性が近づいて来て英語で話し掛けてきた。タクシーに乗るのか、パリ市内に向かうのか、宿泊予定のホテルはどこかなどと聞いてから、自分のタクシーに乗ってくれと言う。さらに電卓を取り出して130と言う数字を示し料金はこれだと提示する。数字を見て即座に乗車を断った。ガイドブックに空港~市内のタクシー代は50~60ユーロと記載されていたのを覚えていたからである。その後、正規のタクシー乗り場から乗ったタクシーでは、ホテルに着いた時に50.9と料金が表示されていた。相場を知らなければ危うく2倍以上の料金を支払うところであった。

 フロントでパスポートを提示すると、8泊分の料金は前金で頂いているが、そのほかにパリ市税が一人1泊に付き1ユーロ支払う必要があると告げられた。16ユーロ支払いカードキーを受け取ってチェックイン手続きを無事に終えたのは、現地時間の11月7日午後6時過ぎで自宅を出てから約19時間経っていた。やはりヨーロッパまでは遠い。

パリ旅行1-準備

 10月以降、体調に恵まれた日々が続き、この機に海外に出ようかと思い立った。行き先として先ずパリが浮かんだ。今までに出張で4回も訪れているのに、殆ど観光する余裕がなかったのが心残りだったのだ。それにしてもヨーロッパは遠い。家を出てからホテルに着くまでの十数時間の旅に耐えられるのかどうか。大いに迷った末に、パリ行きを決断した。次に航空券とホテルの手配をどうしようかと迷い、EXPEDIA社を利用する事にした。同社のホームページで見ると、パリには1600軒以上のホテルがありそこから1軒を選ばねばならない。迷った末に自炊の出来る台所付きのアパート式ホテルの中から、「CITADENES LOUVRE  PARIS」を選んだ。次に航空機だが、関空からパリには多数の便があり所要時間も代金も様々である。時間は直行便の12時間半から、長いのでは何回か乗り継ぎして30時間も掛かるものまである。少しでも短い方が良いと迷いなく、関空-パリ直行便のエールフランスに決めた。

 EXPEDIA社に予約依頼し、経費をカードで支払うと、旅行確認書がメールで届いた。同社は予約券も航空券も出さないバウチャーレス方式で、チェックインはパスポート提出で可能と記されていた。

 次いで、スーツケースに衣類や日用品を詰めて準備完了となった。

無二の親友の他界

 パリで8泊し、昨日帰阪した。この旅行中に無二の親友が急死したとのメールを奥さんからパリのホテルで受けた。亡くなったのは9日だったが、知らせを受け取ったのは13日だった。奥さんは私が帰阪後にメールを開くと想定されていたとの事だった。

 彼は実は職場の先輩であったが、長く友人として遇して貰っていた。振り返ってみて教えを受けた事柄の多さを改めて感じる。彼は職場では独創的・先駆的な仕事をする研究者であった。定年退職後は陶芸に多くの時間を費やし、華麗な作品を創出していた。我が家で愛用しているコーヒーカップ、ぐい飲み、大皿、茶碗、湯呑みなど今は遺作となってしまった。

 50年近く前に囲碁を覚えようと思い立ち、二人で一緒に勉強を始めた。25級から初めて5段格で打てるようになるまでに十数年掛かったような気がする。最近まで年に45日は対局していて、お互いに碁仇でもあった。

 今回の旅行に際しては、元気で楽しんで来るようにとメールで送り出してくれた。帰国後、土産話を聞いて貰うのを楽しみにしていたのに、まさかの急逝が待ち受けていたとは。

 明日から書く積りのパリ旅行の記事を彼に捧げたい。合掌

しばらくお休みします

明日から旅行に出かけますので、しばらくお休みします。

宝塚市の碁会所がまた減る

 JR福知山線の北側にあった碁会所が先月末で営業を止めた。私が宝塚市に引っ越した直後から約半年間その碁会所に通っていた。その後、今通っている碁会所の方が環境も雰囲気も私に合うと感じて行き先を変えたのだった。

 最近定年退職した人達は碁を打たないようだし、若い人達は碁に興味が無いようだ。したがって、碁会所の客は減り続けている。ゴルフの好きな碁友によると、ゴルフ場も似たような状況らしい。彼がメンバーになっているゴルフ場はほとんどが60歳以上で、70歳以上が40%を占めているとの事であった。碁会所もゴルフ場も暇老人のたまり場と化したようだ。

市街地での猪

 今日のTVのニュースで小学生が猪に噛まれたと報じていた。ビックリしたが、幸いにごく軽傷だったらしい。最近神戸市や西宮市で猪を見掛ける事が多くなった。先日も、越木岩神社横の歩道を、体長40cm位の3匹の仔猪が悠々と歩いていた。まさに市街地のど真ん中である。

 TVに出ていた猪の生態について詳しい専門家の意見では、六甲山に食料がなくて市街地に下りて来るのではなく、楽に美味しいものを食べたくて市街地に出没するのだそうだ。早朝以降に出すと定められた燃えゴミを夜に出したり、餌付けをしたりする人が後を絶たない事が猪を呼び寄せる結果を招いているらしい。人間のマナーの悪さによりスポイルされた猪が可哀そうだ。