新しいテレビで感じた時代の風 ~T通信(10・7・23)~
地デジ・テレビがやって来た
この7月から、テレビ番組は地デジ仕様が一段と進み、アナログテレビは非常に見づらくなった。
「モッタイナイ」は時代の合言葉だったはすだが、まだ1年間は使えるアナログテレビを残念ながら、手離すことになった人はこの夏多いのではないかと思われる。
新しいテレビはコンピュータ?
前から、マークしていたビエラの37型のHDDが500GBに増量されたので、これにのった。
説明書には、「本機には非常に高度なソフトウェアが組み込まれております」や「リモコン『切』の間(本体電源は入)に、最新の制御プログラムが自動受信されます」といったことが書かれており、ソフトウェア的にはテレビは変化していくのだ。
詳しい説明は、印刷された説明書ではなく、テレビ内蔵の説明書に任されている。
消費者には便利だが、印刷業界にとっては嫌な流れではないのかなあと思う。
また、番組表もいい大きさで画面に映し出されるが、これで新聞の役割のひとつが減少することになる。
それから、注文もしないのに朝、住む地域の天気や気温が映し出されるのも、不思議な感じがするが、直ぐに慣れて当たり前になるのだろう。
HDD内臓はやはり便利だ
アナログ時代は、ビデオテープがやたら増えて、整理できなくなったので、今回は容量一定の良さがあるHDD内臓にした。
デジタルだからどこに内蔵されているのか分からないHDDで、標準で45時間もきれいに録画できるのだ。
予約する際も、再生の際も、テレビのなかで全部完結するのは、便利すぎて不思議な感じさえする。
録画一覧で、整理整頓もテレビがやってくれる。
いくら名作でも、2回熱心に見れば、3回は必要なしというのが、経験をふまえた私の持論である。
これはテレビでも本でもいえると思う。
だから、45時間の容量があれば十分だと思うが、実践でどうなるかこれからのお楽しみだ。
テレビ周りが、きれいになった
テレビも威圧感がなくなり、スカッとしたし、ビデオもなくなって、テレビ周りが、きれいになった。
デジタル時代で、かさばっていたものが小さくなり、機器の方で整理整頓してくれるのは精神衛生上も大変いいことだと思う。
デジカメも、580円のSDカードでなんと500枚の時代になっており、もはやパソコンに移し替えなくてもやっていける。
そのうえ、クラウド・コンピュータのように情報を外部化するとなると、もっと整理整頓されて、精神的にも気楽になれる。
そういうわけで、今回も、最後は、「本当にエライ時代になったものや」で締めくくります。
「偶然」とか、「裁定取引」的なもの ~T通信(10・7・21)~
NHKスペシャル「恐竜絶滅 ほ乳類の戦い」が教える「偶然」の力
7月18日、19日に放送された同番組は映画「ジュラシック・パーク」的な面白さがあり、長時間の番組だったが、飽きさせるようなことはなかった。
最も興味をひいたのは、それまで恐竜に散々な目にあっていたほ乳類(後に人類も派生する)が、なんらかの進歩をして恐竜に打ち勝ったのではなく、いん石の地球衝突という「偶然」によって巨大な恐竜が壊滅的な影響を受け、ごく小さかったほ乳類が生き延びたということであった。
地球とか生き物の、何億年にわたる「通史」をみてみると、まさに「偶然」という要素が、実に大きな影響を及ぼしているのだ。
必勝法は、「偶然」とか、「裁定取引」的なものとの上手なつきあい
巷には「株式必勝法」とか「競馬必勝法」の類は、何十年も前から、あふれかえっている。
そういう必勝法は、偶然を排して、理路整然と必然の道を説くものがほとんどだ。
そして、その実践の結果は、ほとんどは敗北の歴史だ。
「株式」は、流動性に厚みを持たせるということで、現在、「空売り」それも「naked short」というような手法が横行している。「naked」までいくと株価の動向に経済学的な説明は難しいのではないかと思われる。
「競馬」は、期待率 75%では「大数の法則」により長期的には儲けることは絶対に不可能だ。
ただ、こいったことにも、「偶然」にも、力と人気・評価のバランスが崩れることがある。
株式でいえば、「リーマン」直後、大変な急暴落になったが、空売りなら買戻しはあるはずだし、例えば、社員の自社株買いというものを考えれば、地道に買い続ける集団もあるので、非常な安値からいずれ一定の範囲に戻るとみるのは無理な話ではないと思う。
また、政策金利は超低空飛行していても、資金の流れに不都合が起こり、大きな金融機関でさえかなりの金利で社債(劣後債)を発行するようなことも起こる。
リスクをどうみるかだが、好機到来と考えもありうる。
競馬でいえば、例えば、世界的に「無敗の三冠馬」の三冠達成後の初戦は敗れるいうデータがあるが、力と調子と人気のバランスが崩れやすいケースで、これは非常に説得力ある話だ。
されど、その場の当事者となると、無敗を続けてほしいという人情もあり、敗北を予想することは難しい。
それに、こういう「裁定取引」的なものを狙うといっても、こういうケースは精々20年に一度程度のことだ。
「偶然」 この厄介で、おもしろいもの
「偶然」思わぬ好機が到来した。あるいは、ピンチに陥った。
そういうことにどう対処するかは、人生の醍醐味のひとつでもあるように思える。
しかし、教科書では、「偶然」とか「裁定取引」」的なものが説かれることはまずないと思うので、結局、各人が試行錯誤しなければならないことのようだ。
ネイサン・ロスチャイルドの話 ~T通信(10・7・18)~
ネイサン・ロスチャイルドは「売り」から始めた
1815年、大陸のワーテルローでの戦いで英国がナポレオンに勝利し、いち早く、ひとりその情報を得たネイサン・ロスチャイルドは、勝利で上昇が見込まれる英国債を素直に「買い」にいかずに、「売り」から始めた。
他の相場参加者がそれをみて、英国敗北と読み間違い、売りに追随し、暴落したところで、ネイサンは猛烈に買いまくった。
その結果、資産はなんと 2,500倍に増えたという話もある。
このときの情報伝達に伝書鳩が使われたの使われなかったなど、いろいろ伝説はあるが、始めは「売り」で国債を暴落させ、その後、安値で買いまくったという話はどの本でも共通しているので、確かな話だと思う。
素直に買いから入ったとしても、それなりの利益は得られたのではないかと思うが、莫大な資産をつくり上げる人間というのは、こういう精神不安定なはずの場面で、冷静にワンテンポおいて、人の裏をかくというような芸当ができる人種なのかと、つくづく感心してしまう。
そういうような行動は、実際、その場で当事者になってみると、なかなかできないことだと思う。
ネイサン・ロスチャイルドは調子に乗って、失敗することもなかった
また、こういうかたちで大儲けをしてしまうと、調子に乗ってしまい、何年後かに大失敗をやらかすのが、人の常と思うのだが、ネイサンはそういうこともなかった。
例えば、ジェシー・リバモアという米国の大相場師は、あの大恐慌の際、空売りで大儲けしたが、結局、その後10年ほどしてピストル自殺するような破目に陥った。
まあ、こういう話が普通にありえるところだと思われる。
だから、ネイサンのようにひと芝居打って大成功し、その後、大失敗しなかったという話は、普通では非常に難しいことだと感じる。
まあ、長い歴史には、こういうこともたまにはあるのだということで、今回分は終わります。