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超短編小説「ある日のニュートン」        ~T通信(10・7・29)~

1720年12月のある日、ニュートンは


 近代物理学の祖といわれるサー・アイザック・ニュートン(1642年12月25日~1727年3月20日)は、78歳の誕生日を直前にした1720年12月のある日、ため息をつきながら思った。


 今年は、本当にエライ年だったなあ。

 イングランド中が南海会社(The South Sea Company)の株価上昇に有頂天になり、1年ももたないで、悲惨な破目に陥った。


 南海会社の株価は、1月に1株100ポンドだったのが、6月には1050ポンドと半年で10倍に跳ね上がり、後はつるべ落としだった。


 我が輩は、途中300で買い、600で売りで大儲けした時間もあったが、売った後も上昇するのに我慢できず、900という、今から思うとかなりの高値で全資金を投じたおかげで、ほとんどスッカラカンになってしまった。


 そもそも、南海会社は、宝くじを発行したり、南海を開発するという、よく実態の分からない会社だったが、人は時として夢や幻に弱いから乗ってしまったのだ。


 つくづく、天体の動きは計算できるが、人々の特に欲の突っ張った狂気だけは計算できないものだと思う。


 しかし、こうなったら、株式投資は当分止めにするが、歳をとってから一段と力を入れている「錬金術」を成功させて、損を取り戻しみせるぞ。

 株の仇は、金(gold)でとってやる。



作者あとがき


 万有引力の法則や微分・積分で、その名を世界史に残すニュートンは、一方では「最後の錬金術師」とも呼ばれている。


 物理学や数学で功成り名遂げたのち、晩年になって、錬金術に強く傾倒したそうだから、相当ユニークなキャラクターの人であったと推測される。


 バブルの世界史にその名を燦然と残す英国の南海会社バブルに、ニュートンが参加し、損失を被ったことはよく伝えられている話である。

 ただし、当たり前の話だが、本人は決算公表はしていない。


 まあ、「偉人」の人生にもいろいろあって、収まっていればいいものを、収まらない人もいるようです。


 




 


 


 


 


 


 


 

家電の値段と機能       ~T通信(10・7・27)~

ポイントのおかげで値段がよく分からなくなった


 先日、TV(ビエラ 37R2)をヤマダ電機で購入した。

 はじめは、ポイントなしの現金割引でいこうと考えていたが、ポイントが20%程度つくというので、結局、初志貫徹しないで、ポイントがつく方に回った。


 リサイクル料金や保証の安心セット込みで、現金15万円を支払い、少しおつりがきて、ポイントは3万円分程度ついた。

 安心セットには年間3千円の商品券(やや使いづらい)がついている。


 ポイント3万円分で、キヤノンのデジカメを買い、そのうちやはりキヤノンのプリンタを入手しようと考えている。


 それにしても、こういうふうになると、そもそもテレビ本体のお値段がいくらと考えていいのか、よく分からなくなってしまう。

 家電量販店のポイント制度というのは不思議なものだ。

 もし、かの経営の神様・松下幸之助氏が存命であったなら、どう対処するのか興味深いところだ。



商品氾濫の時代には、囲い込まれるのも一手かも知れない


 しかし、このポイント制度は、販売店にとっては顧客の囲い込みができやすくなるし、消費者にとっても買う店を決めてしまえば、それはそれで気楽になれるといメリットがあるように思われる。

 また、これだけいろいろと微妙な差の商品が店頭にあふれると、メーカーを決めてしまうのも精神衛生上いいことかもしれない。



家電は低価になり、進歩しているを実感


 この7月に、TV(録画機能内臓)、デジカメ、パソコン(デル)と、それぞれ約10年愛用したものから、新しいものに乗り換えた。


 価格の方は、合計25万円で、これら3点とプリンタが賄えた。

 5年前なら、37型液晶TV(録画機器は別)だけで25万円はしていたのではないかと思う。

 デジカメのメモリーに至っては、580円で500枚可能だから、10年ほど前の感覚の私とは、売り場の若い店員さんと話が合わなくなってくる。

 電池の充電時間も大幅に短縮していた。


 パソコンも、例えば、エクセルでこういう使い方が出来ないものかと思っていたことは、解決済みで気持よく使える。

 また、カラーもえらく豊富になり、見やすくなった。

 こうなると逆に、つまらない資料を作りすぎないかと心配になる。


 家電類は、10年は持たしたいと考えていたが、今どきの値段と機能を実感すると精々5年で買い替えかなあと思いますね。



 

 

 

 

 

 

 

 


 


 


 

 

 


 

ある日の坂本龍馬     ~T通信(10・7・26)~

 大河ドラマ「龍馬伝」の第4部は、龍馬暗殺の黒幕をめぐるミステリー調で進めると聞く。

 そこで、私は次のようなことを考えてみました。



「ある日の坂本龍馬」


 慶応3年のある日、もはや時代の名士となったが、一方では、新撰組など幕府側からその命を狙われていることを感じていた坂本龍馬には、薩摩藩邸や土佐藩邸など安全な場所を、京での宿泊先にする旨の勧めはもちろんあった。


 龍馬には、念願の新しい時代で思い切り活動してみたい気持は強くあり、ここは自分の命を大切にするときであるとの考えがある一方、脱藩浪士で藩から離れ、生命を賭けて自由奔放に活動してきた自分が、ここで守勢にまわることはどうしたものかとの考えもあった。


 しかしやはり、自分らしさという主観的なことと、倒幕後の自分の立つ位置という客観的なことを考えると、危険はあるが、これまでのように商家に宿泊すべきであろうと結論付けた。


 その後ほどなく、歴史が物語るように、慶応3年11月15日(西暦1867年12月

10日)、坂本龍馬は京河原町の近江屋2階で暗殺された。


 即死状態ということで、この世を去るに際して、その様々なる思いを語ることはなく、伝説が残った。