経済論議 ~T通信(10・8・31)~
日銀は出し惜しみ?
8月30日、ようやく日銀は金融緩和に動いた。
FRBのように事前に特にメッセージを発するのではないにもかかわらず、また、来週には定例の会合が開催されるのに、総裁が米国出張を繰り上げて、わざわざ早く帰国して、臨時の会合を招集しての決定であった。
反対もあったそうだから、マーケットなどに催促されたもので、中央銀行としての自主性もち、満を持した意思決定とはいえないようだ。
日銀OBのエコノミストからは、日銀は「出し惜しみ」というような声も聞かれた。
マーケットは大荒れ
そういうような対応だから、翌日(8月31日)のマーケットは大荒れだった。
ドルやユーロは元の84円台、106円台に戻るし、株は年初来安値をつけてしまった。
米中間選挙(今年は11月2日)のある年は、9-10月前半にNYの株価は安くなるというアノマリーがあるので、外人投資家に席巻されている東京市場はまったくどうなるのか不安が一杯だ。
何しろ日米の経済実態の先行きは相当暗いというのが現時点での一般認識になっており、株でいえば底値がみえない感じだ。
そのうえ、首相を選ぶことになる民主党代表選の影響もある。
もっともこういう時こそ、実は千載一遇の好機なのかも知れない。
国民総背番号の経済効果
国民総背番号というと、プライバシー保護の観点から話題になることも余りないが、財政の悪化を考えると、経済効果、特に財政への効果はどれほどのものなのだろう。
公務員の削減なども含めると相当の経済効果、財政効果があるように思われるのだが、どこかで誰かが研究くらいはしていないのだろうかと思う。
シュリーマン 念願の江戸へゆく
「シュリーマン旅行記 清国・日本」 から
以前のブログでシュリーマンの江戸ゆきについて想像を交えて取り上げましたが、そのあたりをシュリーマンは著書(石井和子訳・講談社学術文庫)で、次のように語っています。(かなり要約しました)
「素晴らしい評判を山ほど聞いていたので、江戸へ行きたくてうずうずしていた。
しかし、江戸へ行くためには外国列強公使の招待状がなければならなかった。
列強公使は生命が危うくなるような襲撃に遭っていたので、アメリカ合衆国以外は江戸を立ち退いていた。
結局、江戸見物には、合衆国公使(当時は公使代理)からの招待状が必要だが、一介の外国人には大変難しい。
それでも、横浜のグラヴァー商会の友人たちの親切なとりなしのおかげで、招待状が届けられた。」
シュリーマンは、「親切なとりなし」を受けるためにどうしたかは、さすがに書いてはくれていない。
この辺が、個人の才覚の発揮どころで、そう簡単にご披露はできないのは当然だ。
なお、これは1865年6月のことで、8月22日放映の大河ドラマ「龍馬伝」で、亀山社中の近藤長次郎が切腹したのは、翌66年2月のことだった。
さすがに「龍馬伝」でも、坂本龍馬がシュリーマンと遭遇するような場面はつくらなかったが、時代的には可能性はあったのだ。