龍馬の最後の場所 ~司馬遼太郎「竜馬がゆく」では~
名作「竜馬がゆく」では、こうなっていた
以前に取り上げた坂本龍馬の最後の場所(「近江屋」)については、危険回避から安全な宿泊先の選択肢があったのではないかと考え、一文を掲載しました。
坂本龍馬がスーパースターになる原動力となった、司馬遼太郎氏の名作「竜馬がゆく」ではどうなっているのかと思い、そのくだりをみたところ、次のようになっていました。
「藩邸に移るか」
と中岡は伊東(※元新選組の副総裁格)が去ったあといったが、竜馬は黙殺した。
伊東の忠告をきいてからあわてて藩邸に身を移すなど、竜馬の一分がゆるさない。
竜馬は妙に頑固になっていた。
「生死は、天命にある。それだけのことだ」
げんに天命であった。
(中略)
佐幕派の狂気は大政奉還後、ほとんど頂点に達したといっていい。
司馬氏は「竜馬は妙に頑固になっていた」とも考えた
藩邸に移るのは一分がゆるさないと書く反面、妙に頑固になっていたと付け加えている。
このあたりは、いろいろ考えをめぐらすことのできる興味深いところだ。
「魔がさす」というやっかいなことが、このとき、坂本龍馬に作用したとも考えられる。
マクロの鉄則と個人の思い
期待率は結局絶対だ
競馬は賭けたお金の75%しか配当に回ってこない。
統計確率でいう期待率は75%である。(ちなみに宝くじは50%以下である)
ということは、長く多く馬券を買っていると、大数の法則から逃れることは出来ないので、結局、損をすることになるというのがマクロの鉄則である。
また、研究すれば何とかなるのではという考えもあるかも知れないが、研究して何とかなるものなら、そもそも賭け事として公認はされない。
ところが個人は期待する
しかしながら、個人は偶然や例外的なことが自分には起こるのでないかと淡い期待をしがちだ。
されど、時間の経過とともに、結局はそうはならないことを思い知らされる。
これは、谷岡一郎教授も実証的研究でも明らかにされている(「爆笑学問」にも出演済)ところだし、山口瞳氏の「小説・競馬必勝法」でも、小説風にいろいろなストーリー展開をしているが、結末は「僕は、競馬をやめた」である。
かつて、競馬予想の寵児であった大橋巨泉氏が、競馬の予想をしなくなって久しい。
巨泉氏の予想については、谷岡教授が実証研究されており、やはり期待率を超えることはできなかった。
マクロには鉄則がある
マクロ観察や歴史観察をすると、努力しても成果は得られないということや、理屈としては成功してもよいが、なかなか成功できないというこが、この世の中にはある。
個人は、いろいろな事情や思いがあったとしても、まず、そこをわきまえなければならないと思う。
もっとも、駆け引きや自己コントロールの鍛錬として役に立つという、二次的な効用もあるという考えもあるが、それはまた別の話としたい。
※かの司馬遼太郎氏は、若き日の自分自身に対して書いているという趣旨の発言をされていましたが、 今回は、私も40年前の自分自身に対しての話でした。(いわば後悔の記)
ブログの最高峰
物理学者 故・戸塚洋二氏のブログに、畏敬の念をもって接する
戸塚洋二氏は、2008年7月に66歳に亡くなられましたが、もう少し長生きされれば、ノーベル賞間違いなしとの評価のあった東大特別栄誉教授です。
NHKスペシャル「物理学者 戸塚洋二 がんを見つめる」にも大変感動しましたが、同氏のがんとの闘病を真摯に記述されたブログが、現在でも拝見できることは大変ありがたいことだと思います。
実験物理学の大家だけあって、自身のがんの変化を、写真も交え、数値化し、グラフ化し、冷静に観察される姿は、自然科学を極めた証しのような気もします。
ブログに「ガンマ治療のために枠を頭脳に取り付ける」と説明された自身の顔写真を掲載されていますが、なかなかできることではないと思われます。
がんの闘病記のほかにも、人生を考える様々なことも語っておられます。
これはブログのひとつの最高峰だと思い、紹介させていただきました。