シュリーマン 念願の江戸へゆく
「シュリーマン旅行記 清国・日本」 から
以前のブログでシュリーマンの江戸ゆきについて想像を交えて取り上げましたが、そのあたりをシュリーマンは著書(石井和子訳・講談社学術文庫)で、次のように語っています。(かなり要約しました)
「素晴らしい評判を山ほど聞いていたので、江戸へ行きたくてうずうずしていた。
しかし、江戸へ行くためには外国列強公使の招待状がなければならなかった。
列強公使は生命が危うくなるような襲撃に遭っていたので、アメリカ合衆国以外は江戸を立ち退いていた。
結局、江戸見物には、合衆国公使(当時は公使代理)からの招待状が必要だが、一介の外国人には大変難しい。
それでも、横浜のグラヴァー商会の友人たちの親切なとりなしのおかげで、招待状が届けられた。」
シュリーマンは、「親切なとりなし」を受けるためにどうしたかは、さすがに書いてはくれていない。
この辺が、個人の才覚の発揮どころで、そう簡単にご披露はできないのは当然だ。
なお、これは1865年6月のことで、8月22日放映の大河ドラマ「龍馬伝」で、亀山社中の近藤長次郎が切腹したのは、翌66年2月のことだった。
さすがに「龍馬伝」でも、坂本龍馬がシュリーマンと遭遇するような場面はつくらなかったが、時代的には可能性はあったのだ。