木下英範のブログ -28ページ目

5秒スタジアム

へんないきもの(写真)

ゲーム

映像 - うさぎのペーパーナイフ

バブルが世界を作る?

イナゴの群れが去った後では何も残らない。
津波が去った後では何も残らない。
しかしバブルが去った後には知識が残る。


世界的に、原油価格、穀物価格が上がっています。投機資金が流入しているとされ、バブルが発生するのではないかとのささやきも聞こえます。


歴史を振り返ると、バブルは繰り返し何べんも起こってきました。チューリップバブル、南海泡沫、鉄道投機、ITバブル。政府機関と経済学者はずっと戦い、研究してきましたが、バブルを抑える方法は見つかっていません。


マルクスはバブルこそが経済にとって悪の根源であるとし、これを抑えようと、共産主義を提案しました。たしかにバブルは抑えられたかに見えましたが、根本的に人間の欲望を経済に転換するシステムがうまくいかず、失敗してしまいました。


資本主義を取る以上、バブルは避けられないのかもしれません。そして、資本主義は人類の欲望を経済活動にうまく転換してくれる、(今のところ)最も成功しているシステムです。人間はどこまでいっても欲望と野心を持った「生命」という呪縛からは逃れられません。資本主義は人類(生命)にマッチしたシステムである。そしてそれにはバブルが付きまとう。というならば、バブルというのは資本主義というよりも「生命に組み込まれた必要悪」なのかもしれません。


そしてバブルが生命に組み込まれたされたシステムというならば、これはそんなに悪いことではない、もしかしたらそれなりに必要な現象なのかもしれないとさえ思えてきます。


バブル発生時には、その地点に資源(カネ、モノ、ヒト、情報)が集まってきます。資源は資源を呼んで、ますます膨れ上がっていきます。それは見方を変えれば、優秀な人材を呼び込み、世界中から情報と材料が集められ、有用な物を生み出す土壌ができたともいえます。そして、その地点からは新しい何かが生み出されます。


よくバブルはイナゴの大発生にたとえられます。大量発生したイナゴは食物を食い荒らし、すべて食い尽くすと次の餌場を求めて一斉に去っていく。そして後には何も残さないと。


しかしバブルが去った後には残るのものがあるのです。確かに、バブルがはじけた後は、資金は去ってそれに伴いヒトもモノも去ります。何もかも元通り、単にお祭りを踊っていただけだったと、人は思います。しかし、そこで得られたアイデア、知識、発明、方式、これらは死にません。残り続けて次の発展の土台となるのです。


経済の世界では常に小さな泡が生まれては消えて、どこまで大きいのがバブルというのかは定かではありませんが、もし、経済がまったく平準化された状態であり、波ひとつ立たないのであれば、経済は停滞し、なにも生み出さなくなるでしょう。波があるからこそ、そこに変化が起こり、何かが生まれるのです。あたかも原始の海の波間で最初の生命が誕生したように。


小さなバブルはあらゆるところで生まれてははじけています。そういう意味では、バブルが世界を作ってきたのかもしれません。


もちろん、行き過ぎたバブルが起こらないように、予防策を打つことは重要です。そして、バブルが発生した(発生している時点では正確には判断できないので、発生していると思える)場合、ソフトランディングに持っていくべき努力することは必要です。それでも、いくら努力しても、これからもバブルは起こり続けるでしょう。それは人間が何か大きなものを作り出す手段であり、これからも有用な手段であり続けるからです。今までの生命の発展の手段でもあり、これからも手段であり続けるからです。


ですから、我々に必要なのは、バブルを完全に抑えることではなくて、「バブルとうまく付き合っていく」、という心構えではないでしょうか。

一輪バイクの映像

かっこいいんだか、かっこ悪いんだか。でも本当に作っちゃうところはすんっげーかっこいい。
前が見えづらそうですね。最後クラッシュ。

検索エンジンの未来 - 察してくれる検索エンジン?

googleは使いづらい。なぜなら検索をしなければ使えないからです。


そもそも検索キーワードを入力しなければいけないことが不便です。適切なキーワードが思い浮かばないこともあるし、入力が面倒です。


検索の条件というのは、その時点でのユーザの置かれた環境や行動によりある程度絞られるはずです。例えば、Webを閲覧していて、あるキーワードをコピーして、検索エンジンを開いた場合。この場合は、そのキーワードで検索して、意味を調べるという可能性が非常に高いです。だからコピーした時点で辞書なり百科事典なりを起動できないでしょうか。


天気を知りたいと思ったら、ほとんどの場合は、ユーザの住んでいる地域の天気です。ガジェットに入れておけばいいと思われるかもしれませんが、天気は一日一回見ればいいのです。ずっと表示しておくのは邪魔です。それも朝に一回見ればいいのだから、向こうからポップしてくれればいいのです。


電車に乗っているときに、検索エンジンを開いた場合、それは到着時間や乗換えを知りたい可能性が高いです。それも今乗っている電車で今の時間。だからモバイル端末を開いた瞬間に、乗り換え案内を起動し、乗車中の電車の各駅への到着時間が出る。そこに目的地(もちろん適切に絞り込まれている中から選択)を入力すると、乗換えや、目的地の地図を表示すればよいですね。


このように、ユーザの環境・行動によって、ユーザの知りたいことがある程度予測できます。今の検索エンジンというのはまったくそれができていないです。わざわざ真っ白な検索エンジンのページを開いて、キーワードを入力して、一覧された検索結果の一部のヒントから、目的を達成できるであろうサイトを自分で選別しなければならないのです。


もはやこれがめんどくさい。
Googleが目的を達成してくれることは無い。目的を達成してくれるのはその先の情報であったり、サービスです。Googleはそれをつないでいるだけです。だからGoogle自体には内容が無い。


違いは「察して」くれること。現在の検索エンジンは決して「察して」くれない。未来の検索エンジンは、パーソナライズ、履歴、GPSを駆使して、察してくれる検索エンジンになることを期待しています。完全にやりたいことを察してくれて、ダイレクトにつないでくれるのならば、もう自ら検索する必要はなくなります。検索の究極は「検索エンジンを通さないこと」です。

本当の友

本当の友ならば、
10年会わなくても、何をやっているのかわかる。
あいつなりにがんばっているんだろうな、とわかる。
あいつならこういうとき、こういうだろうな、とわかる。
たとえ途中で道が分かれても、
ただ同じ時代を生きていることが感じられればそれでいい。

たとえ同じ世界にいなくなってしまっても、それは変わらない。
あの頃の席順はずっとそのまま。
あの頃座っていたお前の椅子と机はみんなの心の中でずっとお前のものだ。ずっと。

ゲーム - シマカ・ラデール

恐怖を克服する方法 - 自分を乗りこなす

恐怖はその対象について知らないということから生まれます。子供は暗闇に入るのを怖がります。そこに何があるか知らないからです。大人になるにつれて暗闇には何も潜んでいないことを知ると、いつの間にか恐怖はなくなります。恐怖を克服するのは対象を知ることです。


もうひとつ大事なことがあります。それは自分を知ることです。本当の恐怖は自分を知らないということから来るのです。ある対象や問題に接したときに、自分がどういう反応を示すのか、どういう判断をし、どういう対応を取れるのか。これがわからないから怖いのです。これがわかってくると、どんな物事に対しても落ち着いて対処できるようになります。


深い自分研究が必要です。自分がどういうときに喜ぶのか、どういうときに悲しむのか、自分を奮い立たせるものは何か、自分を消極的にする要素は何か。ときには自分をうまくだまして、その気にさせることも必要です。自分という車の乗りこなし方を学ぶのです。アクセル、ブレーキ、それだけではありません。窓の開け方、ボンネットの開け方、壊れたときの直し方、給油状態、空気圧の見方と調整。


「自信」は自分を信じると書きます。自分を信じられている状態とは、自分を知って、自分を乗りこなせるようになることです。そうして恐怖は克服されていきます。本物の自信家というのは自分を研究し、自分を知り尽くしている人です。