バブルが世界を作る?
イナゴの群れが去った後では何も残らない。
津波が去った後では何も残らない。
しかしバブルが去った後には知識が残る。
世界的に、原油価格、穀物価格が上がっています。投機資金が流入しているとされ、バブルが発生するのではないかとのささやきも聞こえます。
歴史を振り返ると、バブルは繰り返し何べんも起こってきました。チューリップバブル、南海泡沫、鉄道投機、ITバブル。政府機関と経済学者はずっと戦い、研究してきましたが、バブルを抑える方法は見つかっていません。
マルクスはバブルこそが経済にとって悪の根源であるとし、これを抑えようと、共産主義を提案しました。たしかにバブルは抑えられたかに見えましたが、根本的に人間の欲望を経済に転換するシステムがうまくいかず、失敗してしまいました。
資本主義を取る以上、バブルは避けられないのかもしれません。そして、資本主義は人類の欲望を経済活動にうまく転換してくれる、(今のところ)最も成功しているシステムです。人間はどこまでいっても欲望と野心を持った「生命」という呪縛からは逃れられません。資本主義は人類(生命)にマッチしたシステムである。そしてそれにはバブルが付きまとう。というならば、バブルというのは資本主義というよりも「生命に組み込まれた必要悪」なのかもしれません。
そしてバブルが生命に組み込まれたされたシステムというならば、これはそんなに悪いことではない、もしかしたらそれなりに必要な現象なのかもしれないとさえ思えてきます。
バブル発生時には、その地点に資源(カネ、モノ、ヒト、情報)が集まってきます。資源は資源を呼んで、ますます膨れ上がっていきます。それは見方を変えれば、優秀な人材を呼び込み、世界中から情報と材料が集められ、有用な物を生み出す土壌ができたともいえます。そして、その地点からは新しい何かが生み出されます。
よくバブルはイナゴの大発生にたとえられます。大量発生したイナゴは食物を食い荒らし、すべて食い尽くすと次の餌場を求めて一斉に去っていく。そして後には何も残さないと。
しかしバブルが去った後には残るのものがあるのです。確かに、バブルがはじけた後は、資金は去ってそれに伴いヒトもモノも去ります。何もかも元通り、単にお祭りを踊っていただけだったと、人は思います。しかし、そこで得られたアイデア、知識、発明、方式、これらは死にません。残り続けて次の発展の土台となるのです。
経済の世界では常に小さな泡が生まれては消えて、どこまで大きいのがバブルというのかは定かではありませんが、もし、経済がまったく平準化された状態であり、波ひとつ立たないのであれば、経済は停滞し、なにも生み出さなくなるでしょう。波があるからこそ、そこに変化が起こり、何かが生まれるのです。あたかも原始の海の波間で最初の生命が誕生したように。
小さなバブルはあらゆるところで生まれてははじけています。そういう意味では、バブルが世界を作ってきたのかもしれません。
もちろん、行き過ぎたバブルが起こらないように、予防策を打つことは重要です。そして、バブルが発生した(発生している時点では正確には判断できないので、発生していると思える)場合、ソフトランディングに持っていくべき努力することは必要です。それでも、いくら努力しても、これからもバブルは起こり続けるでしょう。それは人間が何か大きなものを作り出す手段であり、これからも有用な手段であり続けるからです。今までの生命の発展の手段でもあり、これからも手段であり続けるからです。
ですから、我々に必要なのは、バブルを完全に抑えることではなくて、「バブルとうまく付き合っていく」、という心構えではないでしょうか。