「さとうはもうフラットだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

アイドルに見てもらおうなどと思って始めたブログではないし、今でもアイドルに見てもらう前提で書いているわけでもない。

もっとも、このライブアイドルというフィールド、良くも悪くもアイドルとファンの距離が近すぎる。当然のように、僕が何かをここで書けば彼女たちの眼にも触れる。直接、彼女たちから感想をいただくことも少なくない。

気がつけば書き始めて15年、その間に世の中も変わった。表舞台に立つ者に対してマイナスのことを記すのも、ずいぶんとやりづらくなった。勿論それだけの理由ではないが、僕が書く内容も書き方もずいぶん変わったように思う。

 

彼女はどうも、このブログの熱心な読者だったようだ。たとえば、このブログのおかげで佐野友里子さんが好きになった、そんなことも言っていた。

そんな彼女に、請われて、この記事を書く。

 

「あ!さいごにさとうのブログかいてくれたら喜ぶ!」

 

請われなくても、書くつもりではあったが。

しかしもはや僕が彼女について何を記すことができるというのだろう、そんなものを探しても冴えたものは出てこなくて、そもそももはや僕に何を語る資格があるだろう。

それでも。

 

FuMAが4月1日に、あまりに向かい風に吹かれすぎた末の航海を終えた。FuMAとなってからは2年も経っていない。前身のルナビスナップから考えても、3年はもたなかった。

それでもこれだけ何もかも長続きしない中で、2年半もグループとしてなんとか成立していれば、そしてその中で辞めずに病まずにアイドルを全うできていれば、それだけでもさとうは偉大だったように思う。

 

静かに耐える能力だけは誰よりも高い。圧倒的だ。それだけの執着がなぜかアイドルに対してあったのだろうし、諦めが悪すぎるとも言える。

穏やかで静かで控えめなさとう、でも負けず嫌いで諦めの悪すぎるさとう。めでたく、合計でおよそ3年半のアイドル生活を終えた。終えたのだろう?

3年後にアイドルとして復活している確率が40%くらいなんて言っていたが。まだアイドルをする気なのか?

意外なくらい、まったく意外なくらい、アイドルを愛していた。今ではいちファンとしてアイドルを愛している、さとう。

(さとうにとってアイドルってなんだろうね?)

「酸素。」

 

上に貼ったリンクの通り、僕はさとうについて幾度となく、ここにも記してきた。

最後に書いたのはちょうどひとさいが始まる直前。これ以降はさとうにもあまり会うこともないのだろうな、一つの終わりだな、そんな思いで記した。

そして僕はひとさいに足繁く通うようになり、自然とFuMAからは離れ。たまには行くこともあったが、それまでほどにはさとうの日ごろの様子も手に取るようにはわからなくなった。

 

そんな僕がいったい今更、彼女について何を書けばよいというのか。

何かを語ろうとしても、そこに戻ってくる。

 

もうさとうが去ってから5ヶ月が経った。春、梅雨、夏すら終わろうとしている。

蒼波ユウはミツキユウとなり、nemuriorcaあらためネムリオルカとして、今度こそ故郷に錦を飾るべく、まだ飽きずに同じフィールドで戦っている。

綾瀬アイリはようやくメイプルインクから足を洗い、西島愛莉と名を変え、HACKというグループで再出発している。どうもまだアイドルを辞めるという結論にはならなかったらしい。

未知セランはCRそにあとなって、TELLMITというグループで相変わらず呑んで打って身体をさらけ出して、それなりに幸せそうだ。

そして、かつての相棒・なこ(ナ子)も帰ってくる。chuuumというらしい。なんて読むの。プロデューサーの名前を見て吹き出してしまった。そこまで君は彼女に殉じるのか。帰ってきてしまう以上は幸運を願っている。

 

さとうは最近、SNS活動を再開すると宣言し、TwitterもInstagramも動かし始めた。

まさかアイドルとしてカムバックするわけではあるまいね?おそらくつかみ取った、スポットライトが当たるわけではない日々の暮らし、そこに順応して、一庶民として粛々とでも幸福に過ごしてほしい。

アイドルとして帰ってきてほしくない、と言い切ることは、アイドルとしてのさとうを否定するような気もしてなかなかにできないが、要はそう言い切りたいくらいの気持ちだ。

さとうがアイドルとしては幸せになれないよ、君にそんな才能はないよ、そんなことは言うわけでもない、そう思っているわけでもない、正直、すごく向いている人だとも思わないが。

だいいち、僕には未だにアイドルとしての才能とは何か、どうすれば幸せになれるのか、そんなものはわからないし、ひとえに運だけではないか、そんなことも思うわけだが。しかし運だけと言い切るのもまた、有象無象のアイドルに失礼であろう。

 

たかがをたくがアイドルを支えたなどというのも全く烏滸がましい話だが、確かにさとうがどん底の時期、僕はよく通い、彼女を支えたのかもしれない。ただ、別に支えようと思って行ったわけでもなく、理由は、動機はどうであれ、単に行きたくて行った、何かに惹かれて行った、その積み重ね以外の何物でもない。

それが結果的に彼女からは支えられた、というお言葉をいただき、感謝もされた。つまり需給が嚙み合った、それだけのことだ。

確かにひとさいができ、もっちゃんがアイドルに復帰する前の、もっちゃんにとっての受難の時代、さとうにはよく通った。さとうにとっても受難の時代ではあったが、受難でない時代がいつあったのだろう。

 

つまりはやはり、もっちゃんがアイドルシーンに居ない時代の、代替、当て馬、言い方はいくらでもあるが、そういう存在であってしまった、そういう扱いとなってしまった、僕にとってのさとうは言ってしまえばそのような存在だった。さとうにももっちゃんにもそのような話もしているし、さとうに謝りもしている。

足繁く通った僕をさとうは優しく、いつもちょっと困ったようにはにかみながら、浅い話ばかりをしてくれたし、たまに核心に迫るような話をしてくれたし、もっちゃんの話も逐一したし、そう、もっちゃんがさこに落とされたあの頃も話をしていたし、ひとさいが決まってからは、お互いにさようならの準備をして、そしてこれで終わりだね、たまには来てね、そう言って、しっかりとお別れの言葉を交わし、そして僕は違う道へと進んでいった。

推して推されてというにはさよならを聞くことを覚悟していた僕らだった。

 

さとうがどう言おうと、僕はさとうに対して、申し訳なかった、そんなことを思うし、そう言い続ける。

心から惚れこんだ、そんな存在ではきっとなかった、ただ彼女の優しさ、儚さ、そんなものに惹かれて、だらだらと通っていたにすぎない。

それは勿論、さとう自身を否定するものではない。どんな素晴らしいものであろうと、万人が好きというものはほぼこの世には存在しない。1推しと言い切るほどにさとうが僕には刺さってはいなかった、その事実があるだけの話だ。

 

優しい子だったと思う。可愛い毒を静かに吐きながら、それでもいつも困ったようにはにかみ続け、そしてふと気がつけばどこかに飛んでぼーっとしていた。

どうしようもなく静かにアイドルが好きで、そのアイドルになって、あんまり嬉しそうにしているのも見られなかったし、嬉しく思うような体験もあまりできなかっただろうけれど、それでも、人生で初めて長く続いたのがアイドルなのだと言いながら、決してその座から去ろうとしなかった。周りを固める面々が、固めもしないまま、息をするように新しくやってきては去って、それを繰り返しても、さとうはそこから逃げようともしなかった。

 

ASTROMATE2期の超新星として加入して、その控えめさ故にまばゆい光を放ち続けることもそこまではなく、1年も経たずにグループが解散したかと思うと、少々の迷走のあとに数か月で事務所に入りアイドルとして復帰し、しかし全く落ち着かぬ中でまともに活動することすら敵わない時期も多々あり、結局どれだけの期間、追い風が吹いていたのか、まったくよくわからないままにグループ解散、さとう自身の活動終了と相成った。乱暴なまとめだ。

 

もっちゃんがさとうのラストライブを見ていた。そしてその感想を当時のツイキャスのお礼で送ってきた。もちろんその性質上、ここで晒すようなことはしないが、そこでもっちゃんも言っていたさとうの特性、さとうが壇上で表現してきた最大のものとして、「儚さ」があるように思う。

触ったら消えてしまいそうな儚さ。どこかにすぐ飛んで行ってしまいそうな、強い光が当たると溶けてしまいそうな儚さ。実際はとんでもない強さでその場に居続けたわけだが、それがアイドル・さとうの最大の特徴であったように思う。

 

アイドルというのはそもそも儚い存在だ。ライブアイドルであるなら猶更。「大切なお知らせ」その1枚で飛んで行ってしまう(最近では、元あすとろのねねが1枚で飛んで行った。真相など誰も知らず、知っていても僕が知らないのならそれはないことと同じであり、つまりは大本営発表どおり体調不良で辞めた、それだけなのだ)、ともすれば大変に不名誉なレッテルまで貼られて消されてしまう。

俺たちに明日はない。ライブアイドルに約束された明日などない。だからこそ一つ一つのライブの場で、お互いに燃え尽きるようにその時々を過ごし、その後言葉を交わす。儚さ、切なさを抱いて、時を過ごしていく。次に会えたらまた会えたねよかったねと、また飽きることなく同じことを繰り返す。

 

さとうが表現してきた儚さこそライブアイドル最大の特性であるように思う。それは日本人が古来から好んできたものだ。潔さ、儚さ、切なさ、燃え上がっては灰として消えていく、そんな存在を愛してきた。

そんな文脈においてさとうは好まれるもの、そんな象徴だったように思う。もっとも、さとうが燃え上がった瞬間というのを提示してきたとは思わない(彼女なりの強い思いは勿論あったが、それが表出した瞬間というのはあまり記憶にない)し、やはり静かにそこに存在する、それがさとうだったようにも思うが。

 

もう少し押し出しの強い性格だったら、もう少し拘りを前面に出し、我を出し、強気で血の気の多い性格だったら、少しは違う未来もあったように思うが、そんなさとうではない。

声もビジュアルも性格も、吹けば飛ぶような、或いは消えてしまうような、それでいてその場にいて、風雨に耐えることだけは天賦の才がある、そんなさとうだった。

 

FuMA時代のメンバーカラーは灰色だった。白ではなく、灰色。さとうは灰色が好きだと言っていた。そんな光る棒の色はなかったから、僕も白色を振っていた。

白よりは少し控えめな灰色。決して光り輝くだけではない、どこか暗さを秘めた色。なんともさとうというアイドルに似合う色だと思う。

 

ただ、素敵なアイドルだったと言っておきたい。

さとうのことをそこまで知っているわけでもなく、混じり気なく純粋に全力で推したわけでもなく、それでも僕が曲がりなりにも彼女に足繁く通ったのは、さとうが魅力的な、素晴らしいアイドルだったからだ。

可愛くて、優しくて、いつも少しの毒を吐いて、溜息をついて、ぼーっとして、驚くと目をまん丸にして、そしてどんどん強くなっていって、何も動じなくなっていって、アイドル業の傍ら、しっかり学校も卒業して、アイドルの次の道を見つけて、羽ばたいていった、儚い、儚い、儚いアイドル。

ここまで向かい風に吹かれても、自分の羽根で最後は羽ばたいていった、灰色の天使。

 

こんなに同じことを何度も言いながら長文を拵える必要なんてなかったのだ。

さとうは素敵なアイドル、灰色の天使で、僕はたださとうにありがとうと伝えたい、それだけなのだ。

アイドルとして壇上に立って、僕をフロアで踊らせてくれて、そしていつも優しく迎え入れてくれて、ゆっくりとしたテンポで話してくれて、緩やかな時を過ごさせてくれて、そして可愛くて、ありがとう、それを伝えたいだけなのだ。

 

さとうが幸せになれますように。