福聚山 平等寺 参拝(因幡薬師と呼ばれるがん封じの寺) | 尚吾の「人生七転び八起き」

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バレーボールと体の鍛錬、休日は、秘仏拝観、社寺仏閣巡りを楽しみ、美味しいお店に出没しています。(*^_^*)

12月11日(月)

京都に車ダッシュ

 
人混みを避けて

もみじ紅葉の終ったこの時期に訪問。

右矢印高雄山 神護寺

右矢印槙尾山 西明寺

右矢印栂尾山 高山寺

 

京都市内に来て
 
最後にもう一か所訪問
以前から気になっていた寺院です。
 
佛光寺に車を止める事が出来たので
歩いて来れました(約100㍍)
 
烏丸通りに面した所にある
「いなばやくし」の石標!!
 
むか~し、
京都に2年住んで居ました音譜
 
会社がこのすぐ近くで、
烏丸通りから南行の時は
信号が無いので左折して
 
この燈籠の間を
抜け道で通っていました。
懐かしいな~爆  笑
 
道が鍵型になっているので
行き止まりに見えます。
 

 

この道を行くと「松原通り」
反対に行くと「高辻通り」
に出ます。
 
いや~、便利な道でした。
 
当時、私は23歳。
 
観光気分で
有名な寺院には行きましたが
 
宗教的にも興味が無く
お寺もそこら中にありますから
ここは未訪問でした。
 
 
真言宗
福聚山 平等寺
 

 

ブロ友の右矢印チャッピー さん

が、何度も訪問されていて

気になっていました。

 

ブログ見て、住職の奥様が

同じ三木市出身と言う事忘れてた!

また次回ご挨拶しよ。

 

 

「因幡薬師」の名前で呼ばれる
ガン封じの寺院キラキラ
 

 で、いつもの事です。


因幡薬師 平等寺について

色々と調べながら

ブログを更新します。



建物は何度も火災に合い、

明治19年(1886)の再建

 
以下、HPより抜粋
下矢印
約一千年前、
第三十代敏達(びたつ)天皇の子孫で
従四位上(じゅしいじょう)中納言の
貴族であった
 
橘行平(たちばなの ゆきひら)が 
村上天皇の命で

因幡国(現鳥取県)の
一宮に赴きました。
 
そこで神事を済ませ帰洛の途中、
行平は急病になり、
平癒を神仏に祈り続けていると
 
「因幡国賀留津の海中にある
浮き木を供養しなさい」
 
と、僧が言う夢を見ます。
 
大網をもって海底を探らせたところ、
お告げの通り
一つの浮き木がありました。
 
そしてそれはよく見ると
身の丈五尺余り(165㌢位)の
薬師如来の尊像でした。
 
行平はこれを信心し供養する
「座光寺」をこの浦に建て
薬師如来像を祀りました。
 
その後、病気は平癒し、
無事に京に帰ります。
 
その後、
長い歳月が過ぎたある日、
行平の元に客人が有ると呼ばれ
門を開けると
 
あの
薬師如来の尊像が立っていましたびっくり
長保五年(1003)4月8日の事。
 
行平は屋敷を改造してお堂を作り、
薬師如来像を祀り
因幡堂と名付けました。
 
これが、
因幡薬師 平等寺の起源である!
 
歴代の天皇も厄年には勅使を派遣し、
祈祷をうけたという。
 
御本尊は
「日本三如来の一つ」
と言われる
 
薬師如来像
 
日本三如来とは、

長野善光寺「阿弥陀如来」

京都嵯峨清涼寺「釈迦如来」

京都因幡堂「薬師如来」

 

有難い事に、これで三寺院

参拝させていただきましたキラキラ

 
 
本堂前に立っているのは珍しい
馬頭観音

 
境内にある
洛陽三十三所 第27番霊場
観音堂

御本尊は「十一面観音」

 


因幡堂 平等寺
 
京都市下京区因幡堂町728
☎ 075-351-7724
 
参拝
6:00~17:00