興福寺 南円堂(西国三十三ヶ所 第九播札所) | 尚吾の「人生七転び八起き」

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バレーボールと体の鍛錬、休日は、秘仏拝観、社寺仏閣巡りを楽しみ、美味しいお店に出没しています。(*^_^*)

さて、週が変わりましたがまだ6月17日、西国三十三カ所参りです。本日は忙しい・・・

大阪右矢印紫雲山 葛井寺 (西国三十三ヶ所 第番札所)

次は、奈良県に

右矢印東光山  龍蓋寺 (りゅうがいじ)、通称 「岡寺」

右矢印壺阪山 南法華寺 (壺阪寺)(西国三十三ヶ所 第六番札所)

右矢印豊山 長谷寺 (西国三十三ヶ所 第八番札所)
右矢印豊山 法起院 (西国三十三ヶ所 番外札所)


ナイフとフォーク昼食を食べる間もなく・・・予定していた最後の寺院にビックリマーク桜井市から少し遠い奈良の中心地。

駐車場に車を止めて、猿沢の池のほとりを急いで歩きます 時計 16:35!! 御朱印受付終了まで後10分。

猿沢池のほとりにある石標。この石段をのぼるとすぐに南円堂です。空羂索観音菩薩坐像の幟がイッパイ掲げられています。


南円堂、過去の訪問は右矢印2015年7月

朱色が目立ち、八角形の大変美しい姿の南円堂音譜 洒落ていますね音譜

手水舎



南円堂は平安京への遷都後、藤原氏の勢力が一層強まっていく平安時代初期の弘仁4年(813年)に藤原一族の「藤原冬嗣」が父親を弔うために建立したお堂となっています。

現在建っている南円堂は、江戸時代中期の寛政元年(1789年)頃に再建されたもので、「4代目」。



御本尊像として圧倒的な存在感と知名度を誇る木造の「不空羂索観音菩薩坐像(ふくうけんさくかんのんぼさつぞう)」普段は見ることが出来ません。

特別開扉は、毎年「10月17日」9時~17時。 一度拝観に来たい物です!!


南円堂は、「西国三十三か所」の第九番札所。掲げられている「扁額」には御詠歌。

南円堂の写真を撮る前に納経所で御朱印を頂きました。受付時間は(16:45)ギリギリで終了ですが、西国の御朱印に限り17:00までOK!! 助かった~ニコニコ


南円堂の隣、納経所の横に有る一言観音様にもお参り




金銅燈籠 東大寺大仏殿前の燈籠に次ぐ古さを持つ平安初期の創建当初から唯一現存する貴重な文化財。本物は国宝館に収蔵されています。



さて、せっかく来たのですから、ざっと興福寺境内を一周。

中金堂 (平成30年再建)

五重塔

天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建。

高さ50.1メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。(web参照)


東金堂 (国宝)


神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願し、

薬師三尊を安置する堂として創建した。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、

興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて、

東金堂本尊に据えた。


東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建の室町時代の建築である。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。

平面規模は、創建時の堂に準じている。 (web参照)

定番の撮影角度音譜

北円堂】 国宝、非公開。しっかりと柵に覆われています。

日本に有る八角円堂の中で最も美しいと賞賛されています。北円堂を元に南円堂が作らたとか・・・、

三重塔 

北円堂の並び、興福寺最古の建物で1180に被災し間もなく再建。

前回訪問右矢印2016年10月  国宝 五重塔 三重塔 同時公開  

三重塔から歩いて南円堂を下から見上げます。



再度正面に回って、お参り

あ~、今日は疲れましたしょぼん 時計17:30、帰路に。軽で行くと小回り効いて便利なんですが高速走行がしんどいですね。2時間10分後無事帰宅!

西国巡礼、十八番目の御朱印を頂きました。 「南円堂」

西国巡礼が最も盛んだった江戸時代の御朱印を復刻されているので頂きました。

「法納経 南円堂 南部 興福寺」

興福寺 南円堂 右矢印HP


住所 奈良市登大路町48

拝観 南円堂内陣は非公開、
納経 9:00〜16:45(西国の朱印は17:00まで)