奈良 興福寺~南円堂 | 尚吾の「人生七転び八起き」

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座右の銘「人生七転び八起き」の如く、日々のさまざまな出来事を書き込んでいきます。

バレーボールと体の鍛錬、休日は、秘仏拝観、社寺仏閣巡りを楽しみ、美味しいお店に出没しています。(*^_^*)

今日から7月。

 

この辺りではあまり雨の降らない梅雨でしたが

雨昨夜から雨です。 先程から雨土砂降り久しぶりの大雨です。


 

6月15日は、奈良大和四寺巡礼の旅 (時間切れで三寺で終了)

・安部文殊院 アメーバ http://ameblo.jp/syenron1/entry-12039541647.html

・室生寺 アメーバ http://ameblo.jp/syenron1/entry-12040534837.html

・長谷寺 アメーバ http://ameblo.jp/syenron1/entry-12041666403.html



 

一昨日、春日大社「式年造替」 に、特別拝観の期限は6月中、急げ~あせる

 

再び奈良へ car**ダッシュ 阪神高速右矢印第二阪奈道路、

 

目の前には生駒山 大山 学生時代には毎日眺めていた風景です。

この日、朝から清々しく爽やか~気持ちの良い晴天晴れ




 

奈良に着!!

 

駐車場はこの辺りでと、興福寺の駐車場 に入れると

国宝館の真ん前に駐車。

 

なんと今、あの阿修羅像が展示中 ( ̄▽+ ̄*)

 

予定変更で、まず興福寺国宝館に

 



 

拝観料¥500

 

初めての興福寺国宝館、お釣りが来るほどの国宝のオンパレードです。

詳しくは、右矢印 http://www.kohfukuji.com/property/kokuhokan.html





 

天龍八部衆、(仏法を守護する8神)

 

(天 衆、龍 衆、夜叉 衆、乾闥婆 衆、阿修羅 衆、迦楼羅 衆、緊那羅 衆、摩睺羅伽 衆。

仏教が流布する以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に帰依し、

護法善神となったものである。)

 

何故か一番有名な「阿修羅」   写真撮影は禁止禁止 Webから引用です。




 

お目に掛かるのは2度目、以前は確か・・・京都美術館だったような


 

戦闘の神、阿修羅は厳しい表情をしているのですが、

興福寺の阿修羅像は穏やかな表情で有名、3つの顔の左側は唇を噛みしめ、

右は自己を見つめている表情とか。


 



 

この様な形で、展示中!  (写真撮影は禁止禁止 Webから引用です。)

 

天龍八部衆 (てんりゅうはちぶしゅう)。 8体の像すべてが国宝、真ん中に阿修羅像、


 

 

国宝館から出て来ると、鹿が迎えてくれました。

奈良でお馴染みの光景です。






 

興福寺境内を散策


 



 

東金堂 (国宝)

 

神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願し、

薬師三尊を安置する堂として創建した。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、

興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて、

東金堂本尊に据えた。

 

東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建の室町時代の建築である。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。

平面規模は、創建時の堂に準じている。 (web参照)


 

何度も言いますが、晴れ青空が気持ちイイです音譜

向こうに見えるのは、南円堂


 

右は再建工事中の「中金堂」。 平成30年完成予定、

 


 

これは、中門の基礎です。




 

五重塔(国宝)

 

天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。

 

現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建である。

高さ50.1メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。(web参照)

 




 




 

青空に塔の「相輪」が映えます。 

 

(上から順に、宝珠、竜車、水煙、法輪、請花、伏鉢、露盤)


 



 

これも奈良ではお馴染みの

 

猿沢の池

 

奈良でバレーボールの大会がある時は近くの旅館に泊まっていたので

懐かしい所です。






 

猿沢の池を通り過ぎてナイフとフォークランチの後、 

 

南円堂にお参り


 




 

初めての「南円堂」、大きいですね  ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


 

西国三十三所第九番札所、

 

弘仁4年(813)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父 内麻呂(うちまろ)追善の為に建てた。

基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかにされた。また鎮壇には弘法大師が係わったことが諸書に記される。

 

創建以来四度目の建物で、寛保元年(1741)に立柱された。

江戸時代の建物といっても、その手法はきわめて古様で、再建には北円堂を参考にしたのであろう。
毎年10月17日に特別開扉。


 

不空羂索観音菩薩像を本尊とし法相六祖像、四天王像が安置されている。

 

興福寺は藤原氏の氏寺であったが、藤原氏の中でも摂関家北家の力が強くなり、その祖である内麻呂・冬嗣ゆかりの南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めた。その不空羂索観音菩薩像が身にまとう鹿皮は、藤原氏の氏神春日社との関係で特に藤原氏の信仰を集めた。(Webより引用)

 



 

正面の灯篭は、国宝。

 

(本物は国宝館で展示中)