「暦」の話つながりで書きます。
2022年は「皇紀制定150周年」です。
ちなみに「皇紀」とは略称で,
「神武天皇即位紀元」が正式名称のようです。
「神武天皇即位紀元」とは,今さらですが,「神武天皇即位」の年を「紀元(歴史の始まり)」とする紀年法です。
今年,西暦2022年は皇紀2682年にあたるそうなので,
「皇紀元年」は西暦の紀元前660年ということになります。
明治政府は,明治5年(1872年)11月9日に,太政官布告により,従来の太陰太陽暦を太陽暦改暦することを布告します。
その6日後,
11月15日に神武天皇即位を紀元とすることを布告しています。
旧暦の「明治5年11月15日」は新暦の「1872年12月15日」です。
ところで,11月15日にしろ,12月15日にしろ,「皇紀150周年」を祝賀する話題がどこかで盛り上がっているのでしょうか。
ボクは「社会科のセンセイ」ですから,多少は気にしているのですが,そうした記事を見聞きしたことがありません,なぜでしょうか(見落としている可能性は大なので,ご存じの方は教えてください)
そういえば「神武天皇の子孫」であるはずの天皇家では祝賀しないのでしょうか?
実は,「皇紀」と「天皇家」はそもそも何の関係もありません。天皇家自らが「皇紀」を制定したわけではないし,
紀元前660年から使い続けてきたわけでもありません。
繰り返しますが,
皇紀は明治政府が1872年に制定しています。
その歴史は150年に過ぎません。
それにしても,暦や年齢の数え方(つまり「個人の歴史の数え方」)を「西洋風」に改めようとした明治政府が、
「国家の歴史の数え方」だけは新しく「日本風」に定めたというのは複雑な話です。
いや,明治政府は「元号」も併用します。
これはいわば「中国風」の暦法・紀年法ですから,
ますます複雑です。
3種類の「紀年法」が鼎立し,
さらに,「満年齢」と「数え年」が混在し…
明治~昭和戦前の日本は,
まぁ何ともしっちゃかめっちゃか。
過渡期の社会,政治の宿命なのか。
「数え年」はほぼ使用されなくなり,
「皇紀」を使用する人(機会)はさらに減り,
あとは「元号」でしょうか
そろそろ整理したほうがよいのかもしれませんね。