今回は「紙風船」season1最終回です。
4月からの人生が働きづめになります。
65歳になったにもかわらず,授業をさせてくれる学校があるので嬉しくてホイホイ引き受けたのですが,2校掛持ち6日間勤務。これはさずがに堪えそう。時間と体力が持たないかも
それでは子どもたちにも,雇ってくれた学校にも申し訳ない。
よって,休載を決断した次第です。
最終回のテーマは「教育の無償化」を考える。
実はこのテーマはずっと気にかけていたことです。
なかなか話がデカイので「棚に吊った」状態でした。
しかし昨年12月に「らんちゅう」さんから次のようなコメントをいただき,一度書いておかなくてはと心に決めたのでした。
らんちゅうさんのコメント—ー
学校の話に関連して、最近、何かと話題になっている
教育無償化について、教壇に立たれる先生のご意見、
ブログで発信していただけると興味深い🤔です。
色々、お立場もあるので、無理のない範囲で…
―― 以上です。
以来丸々3カ月…腰が重い人間はしょうがないですね
●「無償化」って何?
まずは,同じ言葉でも思い描いていることは人によって異なる。
これは社会的認識の基礎として重要です。
ボクはこんな理解で書きます。
「無償化」→無料にする。
何を?どうやって?何のために?
何を→基本は「授業料」です。「給食費」を含めることはあるでしょう。副教材費はどうでしょう,含めないでしょうね。修学旅行や遠足などの行事費用はどうでしょう,含めないですね。
すでに「義務教育の無償化」は,日本国憲法第26条2項によって保障されています。
ですから,ことさら「教育の無償化」を問題にするとすれば,
義務教育以前の段階=幼稚園(あるいは保育園)
義務教育以後の段階=高等学校,専修学校,大学,大学院etc.
の無償化の問題であることになります
どうやって→政府が負担します。政府とは国及び地方自治体ですが,地方自治体ごとの財政力に大差がある現状では国の負担率が高くなるでしょう。財源は租税です。
何のために→保護者の負担軽減のため。子どもに教育の機会均等を保障するため。基本は社会保障政策です。「少子化対策」と捉える人もいるでしょう。さらに,国家に有益な人材を生み出すための「国家戦略」と捉える人もいるでしょう。
あなたは,賛成派それとも反対派ですか
どちらの立場にしても,自分とは逆の立場の人はなぜそう考えるのか,それを考えてみることは大切ですね。
ボクもちょっと想像してみます。何も「検索」しないで
・賛成派→上記「何のために」に挙げたような事柄を重要と考える。現状でも経済力が理由で進学できない,あるいは退学に追い込まれる子どもが大勢いる。奨学金の返済が卒業後も重くのしかかり人生に明るい展望を見いだせない若者が大勢いる。こうした状況を改善するために必要だ。etc.
・反対派→財源をどうするのか。増税なんてまっぴらごめん。国債発行も将来が不安。なぜ「子ども」世代,「子育て家庭」ばかりを優遇するのかという(非「子育て」世帯からの)反発。etc.
どうでしょうか。あなたはもっと他の理由を思いついたかもしれませんね。もしそうだったらぜひ教えてください。
でも,概ね,「教育の無償化」自体は「良いこと」だ考える人が多数派だと予想しています。つまり財源論を無視する,あるいは自分のお財布に負担がかからないという前提があれば,反対だ!と叫ぶ人はあまりいないのではないかと思うのです。
でも,ボクは
「教育の無償化」は「良いこと」なのか
疑っています。
●「教育」って何?
実は「教育の無償化」という時に,
「教育」とは何か?みなさん同じイメージを抱いているのか,
ボクはとても気になります。
「えぇそれって学校のことでしょ」
なるほど。それでは,学校ができる以前の世界(社会)には「教育」はなかったのでしょうか
話が大きくなりすぎるので,サラっと飛ばします。
日本において,国家が教育に関与し始めたのは明治初期。
よく知られている「学制発布」(1872年)からのこと。
「すべての村に小学校を建設せよ」
「6歳以上の男女を小学校で教育せよ」
とお達しが出されました。
当時の文部省高官は,特に米国の教育政策に学んでいたため,
これを「子どもが教育を受ける権利の保障」と捉えていました。
だがしかし,人権意識など薄弱な当時において,政府内でもそうした考えは圧倒的少数派であり,ましてやお達しを受けた県・郡市町村においては,「国家から強制された義務」でしかありませんでした。
以来,日本において,「教育」には「国家」「義務」のイメージがまとわりついて分かちがたくなっています。
●子どもたちは「教育」をのぞんでいるのか?
「教育の無償化」はおのずと,通学・進学の強制につながります。お上が(じゃない政府が)金を出してあげると言っているのに,学校へ行かないとは何事だ
この怠け者
税金泥棒
そんなことを言いだす人って…いますよね。きっと,いや絶対。
ある広域通信制高校ではたらくセンセイに教えてもらいました。
そこに通学する生徒は,ほとんどが小中高のどこかで「不登校」になったか,公立私立を問わず毎日授業があるようなフツーの高校では,生活サイクルが合わない(すでに起業をしている,スポーツ・芸能等で才能を発揮している)などの子どもたちだそうです。大ざっぱにくくってしまえば〈現在の学校制度が自分に合わない人たち〉と言ってよいかもしれません。
今年3月,その高校を卒業した人の数は2,000人
今や日本にいくつもある広域通信制高校の一つだけで,一つの学年だけで,それほどの数の子どもがいるのです。これには驚きました。ある調査では「2022年3月における通信制高校の卒業者は7万993人」だったそうです。この人たちは,広域通信制高校という選択肢がなければ,学校に行かなかった人たちだったでしょう。その人たちに向かって「政府がおカネを出してくれるから学校に行きなさい」と言っても,誰もなびかないのでは?
もう一つ。
大学へ進学しない人は,能力的・経済的に「できない」からしないのでしょうか。それとももう「勉強なんかしたくない」からしないのでしょうか。もちろん両方いるととしても,じゃぁ大学の授業料がただになったからって,進学率が目に見えて向上するとはボクには思えないのです。
現在の「学校制度」「学校教育」は,多くの子どもたちに魅力あるものではなくなっています。保護者だって(自分自身の経験からしても)内心そう思っている人がかなりいるでしょう。
「教育の無償化」は,このような人たちとって,何か意味があることなのでしょうか。
●国家がカネを出すということ
下の4つの言葉をみてください。
(A)「カネは出すが,口は出さない」。
(B)「カネは出すが,口も出す」。
(C)「カネは出さないが,口も出さない」。
(D)「カネは出さないが,口は出す」。
あなたはどの言葉が一番好きですか
たぶん(A)「カネは出すが,口は出さない」と答える人が一番多いでしょう。
だがしかし,です。日本において「教育の無償化」が実施されたとすれば,(B)「カネは出すが,口も出す」になることは疑いもありません。
それは果たして,子どもや保護者にとって,幸せなことなのでしょうか。すでに多くの大学は「補助金漬け」になり,トップは天下りや政府とのコネがある人物ばかり就任し,企業と連携してカネを稼げる学部・学科・教授に学内の予算配分が偏っています。
文科省が推進する「教育改革」も,世界で戦える人材育成という「国家戦略」の側面が強いのです。もっと分かりやすく言うと,〈東大の授業についていくことができる子どもの育成〉が目標になっています。
ちなみに2023年における
東大入学者数約3000人/18歳人口約112万人=0.003%
(浪人や留学生は考慮しないで仮にの数字です)
こんなごくごく一部のエリート育成のために,日本の子どもたちは「教育」を強いられているのです。
「教育の無償化」は「お国のため」の教育のさらなる強制につながることでしょう。
だから,ボクは
「教育の無償化」は「良いこと」なのか
疑っています。
●有償でも人が集まる教育
昨日おととい,ボクは「東日本たのしい授業フェスティバル」に参加してきました。連日300名を超える人が集まりました。
主催者はフツーの学校のセンセイたちです。
東京都と北区の教育委員会が後援していますが,補助金は一切もらっていません。いわゆる官製研修会ではないのです。
参加者は7000円~1万2000円の参加費を払います。有償です。
県市町村の教育委員から行けと強制された人はいません。
参加費を補助してもらったり,出張費を貰っている人も(たぶん)いません。
「自分がやって子どもたちに喜ばれたたのしい授業がある」
というセンセイたちが主催して,「自分もたのしい授業をしてみたい」というセンセイたちが集まる。
いや,中には70歳代80歳代の方もいらっしゃいました。
もう授業をすることはないけれど、ここにくると新しい発見があって楽しい。自分が楽しく学べるから来るのだとおっしゃいます。なんかスゴイです。
みんなが自発的に主体的に取り組んでいる。
そんな集まりです。
ボクはこれが「教育の原点」なんじゃないかと思います。
義務教育だから,学校があるから,
通うことになっているから,通わせることになっているから
…そうじゃない。
「学びたいことがあるから学びに行く」
そんな教育がもっともっと広がるといいなぁ。
未来は広がって行くんじゃないのかなぁ。
こうした会に参加するといつもそんな気持ちになれます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
そして,フォローしてくださったり,いいねしてくださったり
コメントやリブログまでしてくださった方々,
有難い気持ちでいっぱいです。
きっとまた書きたくなって,書けるときが来ます。それまで
再見,see you again, またいつかお会いしましょう。